張本さんを思い出す日

   日曜日の朝、私は必ず『サンデーモーニング』を観てから礼拝に出掛ける。別に他のチャンネルでも良いのだが、『サンデーモーニング』でなければいけない理由がある。それは張本勲さんの『週刊御意見番』を観るためだ。先に言っておくが、多分、私と張本さんは全くスポーツへの感覚が違う。いや、違い過ぎる。そもそも、私は父親の影響で野球よりもサッカーが好きだったし、物心ついたときには、海外サッカーが普通にテレビでやっていた。なので、張本さんが時折、繰り出す、日本スポーツ至上主義的な考え方や古い精神論を主張する時には「おいおい!何言ってるんだよ!」と思ってしまう。だけれども、不思議と観ている(笑)どうやらこういう感覚になっているのは私だけではないようで、SNSを観ていると、「また張本かよ。」とか「これだから老害は・・・・・・。」といった発言も数多く見られる(笑)まぁ、言わんとしていることは分からないではない(笑)

 ネットで嫌われている張本さんの擁護をするわけではないが、ああいうおじいちゃんは在日社会の中に必ず居るタイプの人だ。そんなおじいちゃんの隣には必ずツッコミ役のおばあちゃん(奥さん)が居て、おじいちゃんが私のような「若手」に「武勇伝」を語ろうものなら、「あんた!外でそんな恥ずかしいこと言わないの!」とか「もうあれから何年経ってると思ってるの!もう時代は新しくなっているんだよ!」という鋭いツッコミが入る。その後は、大体、軽い夫婦喧嘩のようなことが起こり、気付けばそんな夫婦喧嘩も終わっている。多分、こういう夫婦漫才なのだろう。

 私が張本さんを観ている理由は分かりやすく言えば、そういう昔、活躍していたおじいちゃんが色々なことを語るところが観たいからかもしれない。個人的には張本さんに素晴らしいバディが居れば、きっとフォローもできるだろうし、違った愛され方もするんだろうなぁと思うこともある。

 そんな「在日のイケイケなおじいちゃんの張本さん」からまた別の顔を観たのは、張本さんの幼少期に関する新聞記事を読んだことがきっかけだった。張本さんは広島出身で、実は1945年8月6日の原爆投下に遭遇している。その時に、実のお姉さんを原爆で失っているそうだ。張本さんは野球選手を引退してから2回ほど、原爆資料館に行こうとしたが、どうしても行けなかった。悔しさや怒りで冷静になることが出来ず、あの空間に足を踏み入れられなかったとのことだ。

 当事者であればあるほど、どうしても語ることから遠ざかってしまう。私の父方の祖母は済州島の出身で、どうやら済州島4・3事件のことも色々と知っていたらしいのだが、私が色々と聴き出す前に亡くなってしまった。父曰く、「昔は苦労したんだよ。」ということだけを言って、どうしても過去のことを語ろうとしなかったそうだ。祖母はそうやって辛い過去に蓋をしていたのかもしれない。張本さんはそんな祖母とは対照的に早くから自分自身が在日韓国人であることを公言していたし、広島の語り継ぎも積極的に行っていた。どちらが「正しいか」という問題ではなくて、どちらも時代に向き合い続けたということなんだと思う。 

 オバマ前大統領が広島に来た時、張本さんがとても感極まった表情をして、『サンデーモーニング』で語っていたことを憶えている。安倍政権支持だと捉えられてしまった面もあるそうだが、そういう政治の問題を超えて、あの時代を知っている人の声だった。毎回、『週刊御意見番』を観ながら、「張本さん、それは違うよ!」とテレビに突っ込んでいるこの私が初めて、張本さんのカッコ良さを感じた瞬間だった。

 張本さんは時に、古い理論で私のような若い人とぶつかることもある。でも、そういうぶつかりとは別に張本さんの歴史を語り継いできた姿勢は張本さんの現役時代を知らない私でも語り継いでいきたいことだと思っている。

8月6日は原爆と同時に張本勲という人を語り継ぐ日にしていきたい。