派手なシャツと黒いサルエルパンツが似合ってました。
デカい身体は会うたびに横へ成長していました。飲み屋で中ジョッキを一気飲みしまくっていたからでしょう。
きょうがくるたびに彼を思い出します。
大阪でハーフ研究をやっていたケイン樹里安とはTwitterで出会いました。彼のサイトにエッセイを寄稿してほしいとダイレクトメールをもらったんです。
はじめて対面したのはNHKの控え室でした。『おはよう日本』の生放送で共演したんです。放送前の控え室にあったおいしいビュッフェを食べながら、修学旅行の中学生みたいにお互いはしゃいでいました。
本番での彼は日本に住む海外ルーツの子どもについて語りました。真剣な表情で日本の人種主義を柔らかく突く姿がとても頼もしかったです。
生放送が終わってから代々木公園で何人かと呑みました。朝のまぶしい中で缶チューハイを呑んではしゃいでいるわたしたちは夜間バイト終わりの学生だと思われたかもしれません。あのときに撮った写真はいまでもわたしのiPhoneに入っています。
彼から社会学の教科書を作ったと連絡がきました。名前は『ふれる社会学』です。学生時代に出逢いたかったと読んで思いました。
ケイン樹里安が東京にきました。池袋で刊行イベントをやるためです。登壇している彼はあのときみたいに柔らかいのですが、どこか控えめでした。
終わった後の飲み会では話し足りず、ケイン樹里安と彼の大学院時代の先輩で居酒屋に入りました。
わたしは水割りのジョッキを飲みながらいいました。
「もっと本音でいいんじゃない?」
「それなり抑えないと聴いてくれないんだよね。ハーフの子たちにおなじ苦労してほしくないから頑張んないと」
「その年齢の口だからいえることはたくさんあるだろ。遠慮しちゃダメだよ」といまならいえますが、このときは「俺たちとおなじ目には遭わせたくないもんなぁ」と答えました。
翌年、彼とイベントをやることになりました。朝鮮半島にルーツがあるミュージシャンたちも交えたトークです。
わたしとおなじ日本国籍の在日コリアンの友人を誘いました。国や民族に囚われない場にしたくて主催者と打ち合わせを重ねていたんです。
「日本国籍のひとだと差別される側の気持ちは分からないかもしれないけど」
登壇したひとりの素直なことばに、国籍で散々、差別されてきたわたしたちが、国籍で排除していいのかと怒り混じりに問いかけました。ケイン樹里安も柔らかい口調で必死にたしなめていたのを覚えています。
友人は発言を聞いて帰りました。あのときから連絡は取れません。
イベントが終わりました。いつもならふたりで飲みにいきますが、このときはおとなしく帰りました。無力さとやるせなさに支配されて酒が入りませんでした。
しばらくしてからです。彼から謝罪のLINEがきたのは。わたしだってフォローしなきゃいけなかったのになにをさせているんだろう。情けない気持ちで返信しました。
2022年5月16日は転職先の入社日でした。ひさしぶりに着たスーツは慣れません。トイレで何気なくTwitterを観たら、ケイン樹里安の死を知らせるツイートが流れました。
「嘘だろ」
思わずつぶやきました。コロナ禍が落ち着いたら絶対に会おう、そして、あのイベントを反省するための会をふたりでやろうと思っていた矢先でした。
彼とは2022年になってから連絡がつかなくなっていました。博士論文に集中しているかもしれないと思って、あえて、そっとしておいたんです。悪性リンパ腫で闘病しているなんて夢にも思わずに。
帰りにコンビニで買ったビールを一気に飲みました。ケイン樹里安みたいに。
あれから4年経ちました。着慣れたスーツに身を包むわたしは仕事帰りです。彼の元に何度か行こうと思いましたが、いまはいいです。
まだ飲まなきゃいけない酒があるもんで。