2018-01-01から1年間の記事一覧

あのスラッシュはまやかしだった

小さいころに通っていた公文の教室で学習図鑑『日本の歴史』と出会ってから私は日本史オタクになった。 「どんな時代が好き?」と訊かれると小さい私は決まって「戦国時代」と答えていた。多分、父が借りてきてくれた日本史のビデオが「徳川家康」だったから…

君はあの唄を歌えるか

秋空になると急に肉まんが食べたくなる。私はお昼どきのコンビニに入って、秋の味覚肉まんを買うためにレジの行列に並んでいたところ、私の前の客で流れがつっかえた。 つい最近、入ってきたばかりの新人店員だったのかレジ打ちでミスをして、もたついてしま…

まぁ、いいや、そこにいろい。

談志師匠を好きになったのは若いころに演じていた『源平盛衰記』をYouTubeで聴いたのがきっかけだった。 私が聴いた回では談志師匠がいきなり客席に向かって「立っているのは大変だなぁ。」と語りかける。どうやら、このときのひとり会は満員札止めで立ち見…

「統一された祖国」よりも

韓国を旅して回っていたころ、貧乏留学生だった私はいつもチムジルバンに泊まっていた。 チムジルバンとは24時間営業のサウナだ。 その昔、詩人の田村隆一さんが「平日昼間の銭湯の幸せを味わったらカタギに戻れない。」と書いていたが、チムジルバンもまっ…

私がこの人と本を出そうと思った理由

去年の今ごろだっただろうか。 私のTwitterアカウントにある人からダイレクトメールが届いた。読んでみると送り主は埼玉にある小さな出版社の編集者で、ブログに書いた文章をその人が出しているコミュニティー雑誌に掲載したいので会いたいとあった。 私はと…

そういう「日本人らしさ」はもういらない

今年のサッカーワールドカップ日本代表は「訳の分からない」チームだった。 「訳の分からない」ままハリルホジッチが解任され、西野が新監督になり、 「訳の分からない」ままワールドカップでベスト16に残り、 「訳の分からない」まま森保が代表監督として、…

さようなら、純血日本人。

私の身の周りにいる在日コリアン1世たちは日本語が上手だった。 母が祖父を日本人だと勘違いしていたぐらいに祖父は日本語が上手だったし、祖母たちも訛りがきつい日本語ではなくて、とても綺麗な日本語を喋っていた記憶がある。 小さいころ、教会で訛りのき…

関東大震災後の虐殺事件で犠牲になった全ての方々とその子孫たちへ

関東大震災後の虐殺事件で犠牲になったすべての方々に哀悼の意を表します。 関東大震災から95年目の今年も小池百合子都知事は追悼文を出しませんでした。昨年、私は来年こそは必ず出してくれるだろうと思い、自らの言葉で追悼文を書きました。しかし、その期…

人にやさしく

先日、上野駅前のマルイでとある人と待ち合わせをしていたところ、隣で笑いながらゆで卵を剥いているアメリカ人観光客らしき人たちを見かけた。ゆで卵を笑いながら剥いている理由は分からないが、「この人たちなんだろう。近寄らないでほしい。」と思って、…

日本人よりも働かなければいけない

私の母方の祖父は忠清南道の田舎の生まれだった。周りには山と痩せた田畑しかなかったそうだ。私が韓国留学をしていたとき、祖父の出身地を訪ねたのだが今でも山と田畑しかないような場所で、思わず、祖父がこの土地を出るのも当然だと思ってしまった。 かつ…

人柱を立てても災害は治まらない

本題に入る前に私がこのブログを書く上で信条としていることを書く。まだひよっことは言ってもひとりの物書きとして、同じネタで同じようなことを書くのは嫌だと思うものだ。読者から「それしかネタがないの?」と思われてしまうし、書く側も同じネタだと飽…

「平成」という言葉を探して

私は平成3年に生まれた。生まれたときの日本はすでにバブルが終わっており、混迷の時代が始まっていた。 私が一番、古く記憶しているニュースは阪神淡路大震災だ。小さい頃からテレビっ子だった私はいつも観ていた教育チャンネル(3番)で眉毛の長いおじいさん…

靴を脱いで、お辞儀をして

最近、寄稿したHAFU TALKや蕨で作っている途中のココシバなど、私の周りではクラウドファウンディングに挑戦する人たちが多い。 とある人からあるクラウドファウンディングページを教えてもらった。そのページとは『スラム街の暮らしを肌で感じたい』と題さ…

終わらない戦争を語ろう

68回目の6月25日はとても晴れている。あの戦争が起きたときもこんな青空だったのだろうかと思いながら私は朝ご飯を食べて、自転車で図書館に行く準備をしていた。きっとあのときも人々は普通に過ごしていたに違いない。そんな日常が失われてから今日で68回目…

ロックンロールは生きている

私は高校生の頃から忌野清志郎が好きだった。最初に清志郎を知ったのはタイマーズの曲がきっかけだった。今まで聴いていた曲に何か物足りなさを感じていた私は過激なスタイルで暴れまわる清志郎に魅了された。そんな私が次に好きになった曲は『君が代』だっ…

懐かしのチョコパイ

「懐かしさを感じるお菓子は?」と誰かに尋ねられたら私は迷わず、「チョコパイ」と答えると思う。 我が家は4代続くクリスチャンで、教会に行くことが日課だった。私が小学生のときは、韓国からやってきた牧師さんが牧会を担当する韓国系の教会に通っていた…

名もなきサラダ

我が家には謎のサラダがある。キャベツやにんじん、きゅうりの千切りが酸っぱいドレッシングで和えられていて、最後に粗く挽かれた唐辛子の粉を振りかける。暑いこの時期にはさっぱりしていて美味しい。 小さいころからこのサラダを食べているのだが、どうや…

我が愛しの日本代表に捧ぐ

ふとスマホを覗くと画面には「代表メンバー23人が発表」というニュースの見出しが踊っていた。 そうか。今日はロシアワールドカップの代表メンバー発表の日か。 そう思って、私はスマホをズボンのポケットにしまった。 以前だったら、その場で代表メンバーを…

変わってほしい

私が通っていた大学はとても大きい大学だった。学部ごとにキャンパスが存在していて、私は法学部だったので、東京都心に存在するビル型キャンパスに通っていた。違う大学の友人を訪ねるためにほかの大学に行ったとき、所謂、大学らしいキャンパスを見てとて…

光州は終わっていなかった

私が釜山に留学していた頃、暇があれば寄宿舎を出て、韓国国内の名所を巡っていた。その中で最も印象的だった場所は光州だった。 最寄りのバスセンターからバスで3時間半から4時間かかっただろうか。光州のバスターミナルに着いたとき、「あれっ?ここって本…

阿賀のお地蔵さん

私は日本テレビで放映されている「Another Sky」という番組が好きだ。ゲストとして呼ばれた人が人生の転機を迎えた場所を紹介する。この番組を観ていると私にとっての「Another Sky」はどこだろうと考え、ある場所が思いつく。 その場所とは新潟県の阿賀野川…

デジクッパを食べていた弁護人

釜山からの留学から帰ってきて、もう何年も経つがどうしても食べたくなるものがある。 それはテジクッパだ。 日本ではあまり知られていないが、私にとっては思い出の味なのだ。 テジクッパとは釜山の名物料理で、豚骨スープのクッパと言えば良いだろうか。ス…

もし在日コリアンである私がビビンバについて語ったら

こないだ初めて知ったのだが、李明博大統領の時代に「韓国料理の世界化」政策という韓国料理を世界5大料理の1つに入ることを目指し、さらに韓国料理を高級化することをしていたそうだ。 祖母が焼肉屋だった立場からはっきり言おう。 韓国料理の世界化なんて…

民主主義とは逡巡である

今日は全国で安倍内閣退陣を求めるデモがあるそうだ。私はやらなければいけないこともあり、ネットの動画でデモの様子を観ることにした。 どうやら韓国から文書改竄のデモを応援する声も上がっているらしい。かつて軍事政権だった韓国の民主化を日本人が応援…

悲劇の先に絆を作る

先日、とあるところでインタビューを受けた。そのときに聴かれたことは「若い人たちにどういうメッセージがありますか?」というだった。こういう質問のとき、私は「とりあえず本を読んで下さい。」と答えることにしている。 最近、自信を持って、そのように…

私はともに生きていきたい

実はしばらくSNSから離れていた。悪いニュースしか流れてこないし、頭の中が爆発しそうになったから精神的な休養が欲しくなったのだ。言葉が濁流のように流れているSNSの世界から離れ、好きな本を読んだり、音楽を聴いたりしながら小川のせせらぎのような言…

「美しい国」へ

私が通っている図書館の下の階には最新のニュースを伝える電光掲示板のついた自販機がある。今日、その前を通りかかったところ、老人2人が自販機の前でこんな会話をしていた。 「書類を書き換えちゃうのはいくら何でもマズいよね。」 「うん。まさかこんなこ…

人はそれを「歴史」と呼ぶんだぜ

私はちょうど「ゆとり世代」と呼ばれる世代だ。小学5年生のときに、当時の担任が「今年からゆとり教育が実施されます。」とか言っていた。テレビを観ていると「ゆとり教育で教科書が薄くなりました。」とか「円周率が3.14ではなく、3として教えることになり…

こんな形の「和解」なんて

3日前の朝は嫌なニュースで目が覚めた。朝鮮総連の本部が銃撃されたそうだ。 犯人のうちの1人はヘイトデモに常連で参加していた男だった。 実はその数日前に民団本部前でヘイトデモがあった。この1週間に在日と関係の深い場所が襲われたことはショックだった…

「私は誰なんだろう」と思う島

今日は2月22日で、どうやら猫の日らしい。2月22日が猫の鳴き声である「ニャンニャンニャン」と読めることから、猫の日制定委員会が決めたとのことだ。 そして、この日は竹島の日でもある。1905年2月22日に島根県知事が竹島の所属所管を明らかにする告示を行…