こんな形の「和解」なんて

 3日前の朝は嫌なニュースで目が覚めた。朝鮮総連の本部が銃撃されたそうだ。

犯人のうちの1人はヘイトデモに常連で参加していた男だった。
 実はその数日前に民団本部前でヘイトデモがあった。
この1週間に在日と関係の深い場所が襲われたことはショックだった。
 在日の社会には民団と総連という大きな2つのグループが存在する。
ざっくり言ってしまうと、民団は在日韓国人側のグループで、総連は在日朝鮮人側のグループだ。もちろん、この2つのグループとは縁遠い在日や私みたいにどっちかのグループから抜けてしまったような在日も居るが、基本的にこの2つのグループに分かれていると思って欲しい。
 民団の方は韓国を支持していたし、総連の方は北朝鮮を支持していた。本国が対立を深めていくようにこの2つのグループは70年近くずっと対立していた。
それは普通の在日の生活にも現れてくる。その昔、チャンジャ1つを買いに行くにしても、こっちが民団系のお店だからこっちのお店に行くとか、あっちが総連系のお店だからあっちのお店に行くとか、そんな光景があった。

 さらにこの2つのグループは自分たちの呼び名をめぐっても対立している。
これもまた昔のこと、在日が多い地域のとある公立学校で教師が「在日朝鮮人の皆さん」と授業中に話した。すると、これを聞いた韓国籍の親が抗議して、教師たちは「在日韓国人の皆さん」と言うことにしたが、次は朝鮮籍の親がこれを聞いて、抗議した。結局、今よく使われている「在日韓国・朝鮮人」に落ち着いたそうだ。

 私の家は韓国籍の家だった。遠い親戚たちが朝鮮籍だそうだが、私の周りには朝鮮籍が居なかった。今では日本籍になっているが、実は朝鮮籍の人に会ったことがなかったのだ。私が初めて朝鮮籍の人に会ったのは、共通の友人を介して出会った朝鮮大学校に通っている女の子。彼女と話をしていると同じ在日なのに全く考え方が違うことに驚いた。(元)韓国籍だった私は「韓国」と言うが、彼女は「南朝鮮」と言っていたし、私が「北朝鮮」と言うと、彼女は「共和国」と言っていた。なんだか彼女からその言葉を聞くたびに違和感を感じている私が居た。
 そして、もっと違和感を感じたのは日本籍だけれども在日コリアンだという私に対して、なんだかよそよそしい感じがしたことだった。上手くは言えないけれども、彼女の中の「同胞」だとは認めてくれていないような壁があったように感じた。

 じゃあ、私はと言えば、純粋培養の韓国籍として育ったので、朝鮮籍の人たちに対しては壁を作っているところがある。どっかで「ああ、思想が違うからね。」とか「総連の人たちだからね。」とかそんなことを思っているのだ。

 今から考えてみれば、彼女にとって私は日本に帰化した「日本人」でしかなかったのかもしれないし、私の「ああ、思想が違うからね。」みたいなところが出ていたのかもしれない。

お互いに違和感を感じたまま友達付き合いをしていたのだろう。

今でもSNSでは繋がっているが、私はどっかで38度線という溝を感じている。

 日本の中にも「分断」の現実はあるのだ。

 総連本部の銃撃事件で最も驚いたことは「気持ちは分かるが」というコメントがあったことだ。民団側に居た人間だし、総連をどう思っているかと聞かれれば、はっきり言って良い印象はないし、むしろ、悪い印象しかないのだけれども、だからと言って、銃撃する気持ちは全く分からない。むしろ、次は私自身なのではないかということしか思えない。たとえ、日本の中の分断の現実があったとしても、こうした脅威の現実は全く変わらない。

 こんな現実の中で民団と総連の「和解」を唱える人たちも出てくるだろう。私もその「和解」には賛成だ。しかし、分断の現実を見てみれば、簡単に「和解」することができないことも分かっている。70年も対立し合っていれば、「遺恨」なんていうレベルじゃないものがたくさん積み重なっている。それを少しずつ少しずつ解決していかなければいけない。
 もう、格好つけないで正直言ってしまおう、ヘイトが原因で「和解」なんて言うってなんか嫌だ。
もっと別の形で出会って、もっと別の形で和解することはできなかったのだろうか。