色の無い世界への入り口

   先週の土曜日に岡崎乾二郎さんの個展に行ってきた。

   1年ぶりに行く場所だったから、「どこだっけ? 」なんて思いながら、スマホさんを頼りにあっちでもない、こっちでもないと色んな道を頼りに会場に向かった。

  会場に向かう途中、やたら警官が多いことに気づく。どうやら会場近くの韓国大使館で行事をやっていたようだけどあれだけ物々しい麻布を見たのは初めてだった。 

   とうとう会場に着いて、スマホで写真をとって、会場に入った。会場に入る前、私はとても幸せな気持ちだった。

   私は岡崎さんの作品が大好きだ。

色々な色の世界が自由に踊っていて、なんだか嫌な外の世界を忘れられるような感覚になる。私の周りの世界が単色になっていく中で、岡崎さんの作品の中だけは私に自由の喜びを教えてくれた。

   会場に入った時、何か違和感を感じた。

いつもの岡崎さんじゃない。

なんかどこかどんよりとした霧というか、靄がかかったように思えた。

そして、色も単色で、以前のような様々な色が踊っているような様子もない。

踊っているのかもしれないけれど踊り方がなんだか不気味だった。

「何か違うぞ」と思ったのはそれだけではない。

 人物画があった。それも単色で一筆書きをしたような人物画。

3組9枚の人物画が飾られていたけれど、3組とも何の変哲も無いような線がだんだんと男性の顔に変わっていく絵で、どの男性も何かを睨みつけている絵だった。

    もうちょっと私の主観の見方で言うならば、中学生の頃、日本史の資料集で見たような軍人の顔にそっくりでびっくりした。

以前の岡崎さんの絵とは違う何かを私は感じながら、会場を立ち去った。

   会場で私が感じたことは戦争のことだった。

学生時代、読んでいた戦争中の体験記の中で印象的だったことがある。

それは1945年8月15日、天皇玉音放送が流された時、その時の空は凄まじいほど蒼く鮮明な色だったということだ。

  どうやら戦争というものは人から色を奪うらしい。様々な戦争画があるが、確かに戦争画はなんだかモノトーンな感じと暗さと凄惨さだけを感じる。

   うつ病になったことのある人から聞いたことがあるのだからうつ病になってしまうと段々と世界が白黒になってしまう。それが辛くてたまらないそうだ。

   戦争は様々な人をそんな状態にするということなのだろう。

   最近、世界が様々な色で出来ているのではなく、白か黒かというようなことを言う人が増えてしまった。

その枠にはまらない元来から様々な色を持っている人を否定し、とりあえずモノトーンな世界になんでも押し込めようとする。

こんな話、祖母から聞いたことがあるなぁ…という薄ら寒さを感じながらそんな世界で生きている。

   モノトーンな世界を押し込めようとしている人たちは大体が同じ顔をしている。

それは常に誰かを監視しているような目と常に誰かに監視されているのではないかという不安な目。そんな目で睨みつけられたり、もしくはこちらに何かを願うような目で見られたりするとこちらまでそんな目になってしまいそうだ。

   むかし、むかし、祖母がしていた真夜中でなければ自分たちの言葉が喋れなかった植民地の話、母がしていた韓国の大統領が軍人でなければいけなかった時代の話、そんな負の歴史が私の頭の中に蘇ってくる。

岡崎さんが描いたなんだか奇妙な人物画は将来、そんな顔になってはいけないことを私に教えてくれたのかもしれない。

   帰路につくため、地下鉄に揺られていた時、妹からLINEが来た。

妹からは「トランプが大統領になっちゃったよ。どうしよう。」との内容だった。

妹には2人の子供が居る。私にとってとても大事な姪と甥だ。

普段、国内の政治ですら全く興味の無い妹からのそんな言葉が出て来るとは思わなかった。

妹は妹で多色な世界を許さない政治家に脅威を抱き、お腹を痛めた我が子をどう守るか?ということを考え、私も多色な世界を許さない今の世の中に不満を持ち、なんとかして、私の姪や甥には多色な世界を見せようと様々な試みをした。

それぞれのエッジは違えど、気持ちが通じた瞬間だった。

   私が学生時代についていた映画監督が良くこんな話をしていた。

「良い?作品というのは自分の意味づけでしかないのよ。どれだけ自分で意味付けしていくのかが大事なの。」

   ここに書いたことは私の単なる意味づけでしかない。だが、私のエッジからはそんな風景が見えてしまった。

   多色な世界を許さない時代が近づいていないことを私は祈りたい。

何せこれは私の意味づけなのだから。