ヘイトと生きる
去年の12月19日に私の本が出版された。
タイトルは『私のエッジから観ている風景‐日本籍で、在日コリアンで』。
https://www.amazon.co.jp/dp/4907873034/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_LHqpAb9VN51GA
この本が出版される前に、私はいくつかのマスコミで取材を受け、そのうちのひとつ、Buzzfeedからの取材記事が、本の発売に先行して、発表された。
どうやらYahoo!ニュースにも配信されたらしく、トップ画面にも私の顔写真が出たようだ。
Yahoo!ニュースのコメントは以前から評判が悪い。
マイノリティーに関する記事が出るたびに、罵詈雑言のコメントがつく。
私を取材した記事も例外ではなかった。
正直、言うと、私は覚悟していた。
ネットの世界では「在日は死ね。」という言葉がいつも飛び交っている。
私はできるだけ、そんな言葉よりも真摯に私に向き合ってくれる言葉にしか目を向けていなかった。
だが、私の家族は違った。
どうやら家族は私の記事をあのコメント欄も含めて、Yahoo!ニュースで読んでしまったようだ。
母は私に「なんで伝わらないんだろうねぇ。」と嘆息し、「お前が名前を出すことには反対だった。それは家族にも色々と迷惑が掛かるから。お前の出した本のせいで妹がお嫁に行けなくなったらどうするんだろう。」と話し、父は「ああいうやつらは何をするか分からないから気をつけろよ。」と言っていた。
今でも厳然と、帰化した人間を含めて、結婚差別や就職差別は存在する。
以前も書いたが、私は通っていたハローワークで「帰化しているかどうか」と尋ねられたことがあるし、結婚する時にも在日であることを理由に話が無くなるケースもある。
ヘイトスピーチを消す方法はいくらでもある。
法規制や路上に出ることだって、そうかもしれない。
だが、現実的な問題として、差別の問題はやはり消えていない。
私の伯父や父の世代の差別はもっと激しかった。
民族学校の制服を着ているだけで、喧嘩を挑まれることもあれば、逆に喧嘩を挑むことだってある。
役所で様々な生活相談をしても、役人たちに蔑まれるだけだ。
パッチギのような世界はどこにでもあった。
伯父や父たちは喧嘩をしたことを誇らしげに語っているように見えて、喧嘩ではない方法で差別と向き合うことを語っている。
それしか方法がなかったとは言え、やはり、暴力的な方法で立ち向かったことを後悔しているのだろう。
もしかしたら、私なんかよりも伯父や父たちの方がヘイトスピーチにはセンシティブになっているかもしれない。
自分たちが受けていた差別をはっきりと憶えているし、また、ああなってしまうことを誰よりも怖れているのではないだろうか。
社会は進歩したように見えるかもしれないが、差別は形を変えている。
そして、声を出すこともままならない状況は一切、変わっていない。
私は父や母に私の記事を「あまり見ない方が良いよ。」と言っておいた。
酷いコメントを見て、びくびくしながら生活するよりも知らない方がマシだからだ。
ヘイトは誰かの声を押しつぶす。
だけれども、私は酷いコメントがあるからこそ書き続けなくてはいけないと思っている。
言葉は必ず遠い誰かの胸に刻まれるものだからだ。
先日、トルコに住むクルド人の文学を読んだ。
トルコ政府がかつて行った大虐殺の記憶を書き残そうとする作品だった。
読んでいるうちに「お前、友達だったのか!」と叫びたくなった。
私は韓国政府によって、殺された人たちを知っているし、北朝鮮政府によって、殺された人たちを知っている。
遠い土地での虐殺事件を書き残す作品なのに、同じような境遇を分かち合えたことが嬉しかった。
こういう「出会い」が文学の醍醐味なのだろう。
私がこうやって書くことによって、きっと誰かが読んでくれること、誰かが共振してくれることを私は信じてやまない。
だからこそ本を書いたし、今でも書き続けている。