わたしもおっさんになった

 スピーカーから『河内のオッサンの唄』が流れると父は「これは在日のおっさんを歌ったと思うんだ。」という。酒を飲ませたがったり、疎遠になった身内の様子を聴いたり、ギャンブルにはまっている感じが「在日っぽい」ということらしい。

父の話を聴いて、私の記憶を思い返してみた。

 「おう!元気か!頑張ってるな!メシは食ったか!」
 おっさんたちはわたしのような若い衆に会うと大きな声でそんなことを言って、行きつけの焼肉屋に連れていく。こういうときにかぎって、若い衆のお腹はいっぱいなのだが、「先輩」の前でそんなことを言えず、勧められるがままに肉を食う。
 こんなとき聴かされるのは「小学生のとき、高校生のツッパリと喧嘩して勝った」とか「民族学校の制服を着ていたから地元の不良に毎回、喧嘩を挑まれて、毎回、ボコボコにした」とか「線路の上で喧嘩をして電車を停めた。」とかおっさんが若いころの「武勇伝」だ。しまいには自分の握りこぶしを見せ、「いいか。こういう握り方であごに当てろ。」と喧嘩のしかたまで講義してくれる。

 「そんな知識、どこで使えばいいんだ。」と思っていても先輩の話はちゃんと聴かなくちゃいけない。

 こんな話も終盤になってくると「若いときっていうのは勢いでなんでもできる。だけど、やっぱり金だぞ。稼げなきゃダメなんだ。おじさんみたいに喧嘩ばかりじゃなくて、勉強したり、金儲けの方法を考えて金持ちになって、だれかにおごれるようになれ。」と武勇伝を語っていたときと打って変わって、哀愁に満ちた表情で、静かに語る。
 その落差に圧倒され思わず「はい!頑張ります!」と言ってしまうのだ。
わたしはこんなおっさんがいまでも大好きだ。

 たしかにこのひとたちを思い出してみるとどこか懐かしい声で歌われているあの唄は在日のおっさんを歌ったものかもしれない。

 しかし、どうして若い衆におごりたがっていたのか。
 今年の3月、クルドの春祭り「ネブロス」に行った。学習支援で出会ったクルドの子どもに会うためだ。会場である秋ヶ瀬公園に着いて、その子を探しにサッカーをしていた子どもたちの集団に目を凝らしていたが、見当たらず、まだ来ていないのかもしれないと思い、その子が来るまでサッカーに混ぜてもらい、1時間ほど遊んでいた。しかし、来る気配がない。
 「もしかしたら、もういるのか?」と思い、サッカーを抜け、別の場所を探すことにした。するとケバブ売り場の隣で大人に飲み物を売っているその子を見つけた。

 頑張っている姿を見て、思わずこう声をかけていた。

 

 「おう!元気か!頑張ってるな!メシは食ったか!」

 

 お腹を空かしていたのか「有難うございます!ケバブを買ってきてください!野菜は少なめで!」と彼は言った。
 ケバブ売り場の長い行列に並んでいると待ちくたびれたクルドの大人たちが店主とクルドのことばで怒鳴りあっている。「こんな光景を東上野でも見たっけ」と思いながら、わたしの番はいつになるだろうと待ちぼうけていた。我慢しきれなくなったのか、ケバブを頼んだ子が「まだですか~?」と言いながらわたしのほうにやってきた。「もうちょいの辛抱。」と答えると「腹が減りすぎて死にそうですよ。」とちょっと情けない声で言った。

 そんな会話をしていると前に並んでいた10代後半のクルドの女の子たちが「お前、〇〇の甥っ子じゃん。」と彼に気付いたようで、目の前でじゃれはじめた。そんなほほえましい姿を見て、女の子に「いくつなの?」と訊く。すると「2003年生まれの16歳です。おばさんですよねー。」と言うではないか。

 思わず、「1991年生まれの27歳なんだけどおじさんかな?」と訊くと「おじさんだと思います。」と即答されてしまった。

 ミレニアム生まれ以降のひとと話したことがないので、ちょっと話をしてみたいと思い、「好きなアーティストはだれ?」と聴いてみる。すると「TWICEです!」と答え、TWICE愛をとうとうと語りはじめた。彼女によればYoutubeで動画を観たことがきっかけでハマったらしく、学校でも流行っているそうだ。K-POPといえば「少女時代」や「KARA」で止まっているおじさんのわたしは「ついていけない。」と思いながらも話を聴きつづけていると、韓国語が喋れるようになりたいと言いはじめた。

 すかさず「俺、釜山にいたからちょっとできるよ。」というと彼女は目を輝かせ「しゃべってみてください!」と頼んできた。下手な韓国語でちょっと話すと「かっこいい!」と言った。
 「『いいか、外で韓国語なんか使うな。韓国人だってバレたらなにされるか分からない。』っておじさんが小さいころは親や親戚に言われたんだよなぁ。」と心のなかでつぶやいた。
 「韓国語教えてくださいよ。」

彼女はわたしにそう言ったが、自分のレベルを知っていたので東京の韓国語教室をいくつか勧めた。すると「そこまでは行けないんですよね。」と彼女はぼそりと言った。

 「そうだ、この子たちは県外へ出るにも届出が必要だったんだ。」

踏んではいけないものを踏んだような気がして、気まずい気分になったが彼女は「いつか、新大久保に行ってみたいんですよねー。」と夢を話してくれた。
 そうしているうちにケバブの順番がやってきた。

2003年生まれとの話に夢中になっていて、途中からほったらかしにしていたお腹を空かせたクルドの子にケバブを渡すと、「有難うございます!」と嬉しそうに言って、どこかへ行った。
 帰り道、あのおっさんたちが若い衆におごったときの気持ちはこんな感じだったのかもしれないと思った。

 日本というアウェイで生きていると、ひとより冷たい現実と向き合わなければいけないことがある。それでも頑張って生きているんだから、せめて、メシぐらいはおごってやろう。

 そんな気持ちが芽生えてきたと気づいたとき、わたしも「おっさん」になったと感じた。
 おっさんたちが若い衆にメシをおごる理由がを書こうとしていたとき、川口市の学校で、あるクルドの子どもがいじめで不登校になったという新聞記事を読んだ。

 「しまった。喧嘩のしかたを教えてなかった。」と一瞬頭をよぎったが、あのおっさんのことばを思い返した。

 

「おじさんみたいに喧嘩ばかりじゃなくて、勉強したり、金儲けの方法を考えて金持ちになって、だれかにおごれるようになれ。」

 

 そうやって生きなければいけない事情も分かる一方で、おっさんたちの陰でどんなひとが泣いていたのかも知っている。ひとことでは到底、言えない気持ちをいまでも持ちながらみんな、生きている。
 メシをおごる側になったわたしはそんなおっさんたちのことを書くことにした。それは「差別」としか思えないようなことは昔からあったし、いまでもつづいていることを、子どもに注意することができる大人へ「対岸の火事」にすることなく伝えたいと思ったからだ。
 そうすれば喧嘩の仕方なんて教えずに済むかもしれない。なによりあの愛しのおっさんたちのような生き方をしなくてよくなるかもしれない。

 そう思いながら、新米のおっさんは書いている。