動かない舌

 なんと呼べばいいだろう。

 「朝鮮語」はなにか違う。わたしにとって、「朝鮮」は金一族の3代目が王さまのくに。釜山に留学した身からすると、38度線から北に住むひとたちのことばとは、おなじでない気がする。

 「韓国語」がよいかと尋ねられると…。明洞で飛び交う声は祖母たちが話す口調よりも柔らかい。

 NHKは「ハングル語」といっている。韓国と朝鮮の双方に「配慮」した結論らしい。日本語を「ひらがな語」もしくは「カタカナ語」といっているようなもので、まったくピンとこない。

 「コリア語」と呼ぶひとたちもいるらしい。間違ってないかもしれないけど、パッチムが聴こえてこなさそうなのは気のせいか。

 「ウリマル」なんていわない。わたしが「ウリ」になれないとバレてしまうから。

 祖父母の生まれ故郷のことばを話そうとしても舌が動かない。釜山に1年間居たけど変わらなかった。

 動かない舌にじれったくなると、母方の祖母のいいつけを身体が守っていると感じる。韓国で「国語」の先生だった彼女は外で祖国のことばを使わないよう、わたしにいいつけていた。理由を尋ねたら「日本人にいじめられるし、北が好きな連中にああでもないこうでもない探られるだろ。こっちはアカに殺されかけたってのに…」と答えた。

 彼女はことあるごとにおなじ話を繰り返した。数え切れない回数聴いているうちに、祖母の故郷のことばで発話するために舌をどう動かしていいのか分からなくなった。

 朝鮮人民軍に追いかけまわされた彼女は終わらない戦争から孫を守りたかったのだろう。おかげで銃弾は飛んできていない。もっとも、祖母のいいつけをいつまでも憶えている舌にじれったくなっているが。