土下座してほしいわけじゃなくてね

 ある日、学校指定のバッグに防弾少年団のキーホルダーをぶら下げた女子高生たちが新大久保のスーパーで「情」とパッケージに書かれたチョコパイを買っているのを見かけて、「時代が変わった」と感じた。

 1991年生まれの私にとって「韓国」といえば、ドラマでも、アイドルでもなく、お菓子だった。小さいころ、通っていた教会に行くと韓国から日本に帰ってきた牧師さんが教会の子どもたちにお土産として、現地で買ったお菓子をくれるのだが「甘くすればなんでもお菓子って言えばいいってわけじゃないと思います!」と、まだ味も分からない小学生だった私が思うレベルのもので手に余らしていたが、同じ教会に通っていた母方の祖母は「そんなものは私が食べるから詩恩ちゃんはこっちを食べなさい。」と言って、彼女が持っていた日本のお菓子と交換してくれた。

 普段は「出されたものはなにがなんでも食べなさい。」と言うひとだったが、このときばかりは許してくれた。

 彼女は頭痛がするほど甘い韓国のお菓子を食べながら「なんで私たちのくにはこんな情けないものしか作れないのかねぇ。それに比べて日本のものは素晴らしいよ。」と言う。祖母は以前から「日本のもの」が好きで、自身の生活用品から私や韓国に住む親族にプレゼントするものまですべて日本製だった。

 私はいつも不思議に思っていた。戦前、植民地のクリスチャンとして宮城遥拝を拒絶し、憲兵と大喧嘩していたし、彼女の義兄の家族は日本軍に皆殺しにされていたので「私たちの信仰を踏みにじって、ことばまで奪った天皇を絶対に許さない。」と語っていたひとだったからだ。

 ある日、「どうしておばあちゃんは昔の日本が大嫌いなのに、日本のものは好きなの?」と訊ねてみると「日帝は嫌いだけど、戦争に負けて、そこから反省をして質の高いものを作るようになったからね。韓国も早く日本みたいなものを作れるようにならなくてはいけないね。」と答えた。

 私が18歳になると祖母と同居することになった。浪人生で自宅にいることが多かった私は、彼女の語る昔話の相手をよくしていた。

植民地のひとたちに頭を下げさせる憲兵の話、

解放のときの話、

解放後、ソウルにいた日本人たちが暴動を起こすと思い、家に閉じこもった話、
同じ教会だったという金九先生の話、
ソウルで高級そうな黒い車に乗った若かりし金日成を見た話、

建国記念式典に出席して、李承晩を見た話、

そして、分断してしまい同じ民族で殺しあった話など、聴いていた話を挙げていけばキリがない。

 こんな昔話をしたあと、祖母は必ず、こう言った。

 

「されて嫌だったことをしてはいけない。それをプライドと言うんだよ。詩恩ちゃんはプライドを持って生きなさい。」

 

 彼女は私が大学に合格したおよそ1か月後の2011年3月1日に亡くなった。

 2019年3月1日、誘われていた飲み会を断って、こんな日だから静かにすごそうと決めて、自宅でネットを観ていた。すると今年が3・1独立運動100周年でそれにまつわる記事がたくさんあることに気づく。そのなかに日本のクリスチャンたちが提岩里という3・1でたくさんのひとが殺された場所へ行き、「日本人たちをお許しください。」と謝罪したと伝える記事を見つけた。記事にあった床にひざまずき、頭を下げる写真を見ながら私は戸惑ってしまった。

 祖母から聴いた植民地の話を在日の私がすると「日本人としてあなたに謝罪したい。」と語るひとに出会い、まるで私が植民地のひとに頭を下げさせている憲兵みたくなって戸惑う。
その一方で植民地統治を美しいものとして語り、「韓国人は謝罪と賠償ばかりを求めて先に進めない。忘れちゃえよ。」と言うひとたちにも出会う。「じゃあ、うちのおばあちゃんが観てきたものなんだったの?」と問いかけたくなる。

 私は日本人に頭を下げさせたいのではなくて、植民地で起きたことと同じようなことが起きてほしくないと思って、祖母から受け取った記憶のバトンを受けつぎ、少しでもあのときのことをほんの少しでも良いから明日へ役に立ててほしいと思って語っている。それが彼女が昔話の最後に語った「プライド」ということばの意味だと信じて。

 新大久保で女子高生たちがお菓子を買っているのに釣られ、ついつい買ってしまった韓国のチョコパイを頬張った。小さなころに食べたあの味から美味しくなっていた。きっと、これを作っていたひとたちにも子どもが手に余らせるぐらい甘かった味の記憶があったからだろうか。

 そんなことを思いながら今日をすごした。

 私は私のことばで祖母から受け取った記憶のバトンをこんなことばを添えて次の時代を生きるひとに渡す。

 

 「さぁ、これから、私たちはどうしていこうか。」

 

2019年3月1日。

あのとき亡くなったひとたち

いまを生きるひとたち

これから生まれてくるひとたち

すべてのひとに捧げる。

100周年のこのよき日に。