評論家として知られている石平氏が参院選の立候補を取り止めた。中国からの帰化を理由に誹謗中傷が殺到し、不出馬を決めたという。
彼の文章はときどき読んでいた。日本を徹底して褒めたたえる論調にのけぞりながら、致し方がない面もあるのでは…。
ここで筆が止まった。石平氏がアウトサイダーだからこそ、愛国的な発言をつづけているのではと書くつもりだった。果たして、1度も会っていなのに出自だけで考察するのはどうなのだろう。
石平氏を誹謗中傷するひとたちに抗議したいなら憲法14条「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」に反した行為は許さないと書くべきではないか。
「バッシングの裏側には保守を自認するひとたちの期待を裏切ったから」とも書きたかった。しかし、保守だけの話か?
リベラルや左翼を標榜しているひとたちだっておなじ行動を取る。運動への違和感をSNSで伝えるたびに炎上してきたわたしがいうのだから間違いない。
燃やした彼、彼女たちのなかには、裏でわたしを「危険人物」と名指ししたひともいるらしい。関東大震災後直後に「朝鮮人は不逞の輩」と無根拠に噂した虐殺者たちとなにが違うのだろう。
違和感の伝え方を考えればいいといわれたことがあった。どうやら激しいことばに見えたようだ。けれども、お行儀のよいことばではスルーされてしまうだけ。何回も経験している。
いったい、どうすればいいのだろう。
どう書くか悩んでいるうちに、Twitterのタイムラインは新宿のデモや首相の商品券の話題に変わっていた。
だれかの権利が出自を理由に行使できなくなっているのにもう忘れられている。切実な問題は消費物なのか。
石平氏の不出馬をどう書けばいいのか分からないまま、画面とにらめっこしている。