「拝啓 デマサイトを管理していた人へ」を読んで頂いた方へ

 このブログを読んで頂いた皆様へ

 この度はお読み頂き、誠に有難う御座います。私が先日、執筆した「拝啓 デマサイトを管理していた人へ」が思いのほか、様々な方に読まれ、様々な反響を頂き、とても驚いています。それと同時に執筆した側として考えさせられることも数多くありました。記事のコメントの中に極めて差別的な表現があります。これに関してはしっかりと応答させて頂く予定です。無視して無かったことにしてしまうよりも、私はコメントに対しての応答をさせて頂きたいと思ったからです。それこそが私は言葉の可能性だと考えております。

 ところでインターネットはあらゆる人の悪意が書かれやすいという言説があります。それは確かに正しいことだと思います。このブログのコメントだけではなく、TwitterFacebookYahoo!のニュースコメント欄には様々な差別的なコメントが存在します。その差別的なコメントの前で多くの人々が傷つき、中にはそのコメントが原因で起きている現実世界の悲劇的な出来事によって、命の危険に晒されている人たちも数多く存在します。

 ネトウヨたちは判を押したかのように「インターネットで真実を知った」と言います。インターネットという、自分があたかも世界の全てを知ったかのようになれる武器を手に入れ、その武器の魅力に取りつかれてしまえば当然そうなってしまうでしょう。しかし、インターネットにはそんな典型的な差別主義者たちだけなのでしょうか?私は差別的なコメントにはまた別の問題が隠されていると思うのです。それは差別されることが「画面の向こう側」の問題として処理されているという問題です。あくまでも差別の話は教科書の話で全くリアリティーがない。そして、よりリアルを感じられるネットにある誤った情報に頼ってしまうのではないかと。

 事実、私がされてきた人権教育にはリアリティーが感じられませんでした。というよりも教育しないことの方が多いようにも思います。先日、大学の後輩と会った時に「私は部落問題について学校で学んだことがなかった」と言った後輩が居ました。彼女の告白に私は驚きました。私が住んでいた地域には同和地区があって、部落差別についての教育を受けていたからです。ですが、良く考えるとこのようなことが起きているかもしれません。何故ならば、私は部落差別以外の教育をされた記憶が無いからです。

 私がこのブログを始めたきっかけは私がたまたまマイノリティーであったということ、そして、この社会においてそんなマイノリティーの人間がどういう立場に置かれているのかを知って欲しかったからです。近年、ますます、マイノリティーにとって生きにくい時代になってきました。そんな時代の中では大体が無かったことにされてしまいます。私が在日の話をするときにそれを私のアイデンティティー問題として聴く人たちが居ますが、私はアイデンティティーでは悩んではいません。今、置かれている状況を少しでも多くの人に知って欲しいから話すのです。その為に私はインターネットという技術を使って、語る怖さを感じながら、言葉と向き合っています。

 人間の歴史は有史以来、技術を開発して、発達していきました。

本来、動物は自己の身体能力を自然の中に適応させながら生きていきます。しかし、人間はどうしたことか技術を用いることによって、大地を切り開き、文化や文明を発達させて今日に至るのです。今、私たちが直面している問題はそんな人間が生み出した技術に振り回されていることではないでしょうか。本来は技術は人間のためにあるものです。人間が無くては技術は存在しませんし、その技術は人間が用いるものです。ですが、今、起きていることは技術によって人間が使われてしまい、人間が傷つけられているという現実です。もう一度、技術から人間を取り戻さなければいけません。技術を差別のためにではなくて、人々を繋げるために使うのです。これ以上、ことが悪い方向に進んでしまえば、より多くの人が傷つき、その命まで奪われることになるでしょう。その瀬戸際に私は立っていると感じています。

 私の記事をたくさんの人に読んで頂き、たくさんの人に拡散して頂きました。その事実こそが私にとっては大きな希望です。表現することは時に大きな挫折が伴います。それは私の言葉を一切、相手にしてくれないという時です。言葉が切り捨てられてしまう瞬間に私はまるでこの世界が暗闇であるように思えてしまいます。しかし、今回はそうじゃなかった。あらゆる人が私の言葉の前で考え、そして、共に考えてくれました。その事実がインターネットには悪意が書かれやすいという言説を覆したのと同時に、今ある悪意で占められている世界を変えることができるチャンスになるのかなと思っているんです。

 私の言葉をより美しく、より明晰に、そして、人に伝わるようにしなければいけないと思います。そんな言葉を生み出せるように精進していきます。言葉にならないものと言葉の前で向き合うことはとても大変なことです。ですが、それが希望になることが分かった今、決して無駄なことでは無いことが分かりました。そんな可能性をまた信じてこれから精進していきたいです。

ブログを読んで頂いた皆様、有難う御座いました。これからも宜しくお願い致します。