蓮舫よ。ここで戦わなくてどうする?

 蓮舫議員がどうやら戸籍謄本を開示するというニュースを知った。代表選の時の二重国籍疑惑に答えるという意味で、自身の戸籍謄本を公開するそうだ。

 蓮舫氏のやることは今後、この国で公職者になった帰化人は全て戸籍謄本を公の公開することを先例化してしまう可能性が大きくなる。自民党内のモデル・マイノリティーである小野田議員を同じ立場として助けることが出来たのも関わらず、党内の事情を優先させて、差別構造を固定化する行為をしてしまったのだ。これが立憲政治家のやることなのか?

 私自身、帰化した立場として、彼女の行為は差別行為を固定化するものだと受け取った。私は政治家になるつもりもないし、そういった公職者につけるぐらい人格も素晴らしいものではない。だけれども、彼女の行為ひとつで私の可能性が閉ざされてしまうそうなことが許せない。私の能力が足りなかったというのであれば諦めはつく。だが、そうではなくて、愚かしい誰かのせいでその可能性が無くなるという事実に腹が立つ。

 彼女がもし、公職に就いていない立場だとしたら、「差別と抗え!」とか「差別と闘え!」なんていうことを言うつもりはない。声を上げることは何よりも大変なことであることは私が良く知っている。だけれども、彼女は公職者であり、日本国憲法の理念を尊重する義務を持っている。ましてや野党第一党の党首という首相候補者の立場として、やってはいけないことをやってしまったのだ。そして、この問題を結局、党の利益としてしか考えられないことに私は腹が立つ。これは党の利益云々という話ではない。日本国憲法の理念を守るための生命線の中でどのようなことをしなければいけないのかということを問われているのだ。

  中にはこの問題を蓮舫氏も被害者ではないかという声もある。確かにそうだ。蓮舫氏は常にミソジニストやレイシストに罵声を浴びせられ続けてきたことは間違いない。だが、今回、「蓮舫さん可哀想」という問題で済ませることはできない。攻撃されていた蓮舫がその攻撃に対して、感化されてしまい、最終的には差別構造を固定化することをしてしまった。

 差別に反対する側として、その事実を言及しないでどうする?

これは「攻撃されてしまった蓮舫可哀想。」という話ではない。

この国に住む人々の人種差別の話をしているんだ。私からしたら蓮舫の被害者性云々の話をしている人たちが差別されている人間が加害に回ることを無視しているようにしか感じない。差別している側も差別されている側も常に行ったり来たりの構造をしている。今回のケースは差別をされている側が差別する側に回り、差別構造を固定化してしまったのだ。私は帰化した人間だからこそこれを告発しなければいけない。

差別されている側であろうともそれを理由に誰かを差別してはいけないからだ。

  この国に私が帰化したのは小学校1年生の頃だ。それは私が当時、警察官になりたくてしょうがなかったことをきっかけにして、両親が帰化を決めてくれた。あの時代は「在日は皆、帰化していくんだ」と言われたことを憶えている。

今では考えられないかもしれないが、今よりも少なくとも帰化することは良いことだと思われていた。

名前を日本名にしてしまうなど、同化してしまう危険性をある程度ではあるものの、この国で権利を得て、民族としての「韓国人」のアイデンティティーを守って生きていくためにはこの方法が私は一番だと思っていた。

 だけれども、蓋を開けてみればこんな現実だった。帰化をしても日本国民とは認められず、私の目の前で行われている現実は、日本人ではないということを理由に排除する理論だった。日本国籍を取得した時に幼い私が少しだけ感じた希望と私の両親が感じた将来への可能性はどこへ行ってしまったのか。

 そして、そんな差別の構造を固定しようとする私と同じ立場の政治家が憲法の理念よりも自分自身の利益を選んだことが許せない。私はそんな利益のための犠牲にならなければいけないのか。

 もしも、タイムマシーンがあって、小学校1年生の頃の私に何と言えば良いのだろう。私には分からない。この子を絶望の淵に立たせたくはない。そして、私と同じ立場の人間が差別する構造を強化するような社会になるということを言いたくはない。

私がこの国に帰化したことは成功だったのか?失敗だったのか?

私には全く分からない。

蓮舫よ。私は私のやり方で今、ここに立っている。

お前さんのやっていることはあの時の私から夢を奪う行為なんだ。

お前さんの保身とお前さんの党のためにどうして私は可能性を奪われなければいけないんだ?

今、お前さんがやらなきゃいけないことは自分自身の立場を受け容れて戦うことなんじゃないのか?