「憲法」が「拳法」になるとき

 私たちは小学校の社会科の授業から高校の政治経済の授業まで「憲法」という不思議な法を学ぶ。中には私のように大学生になってからも一般教養として「憲法」を学び続けた人が居るかもしれない。どちらにしろ、学校教育の中で憲法は学ぶことが必須とされている事項であるとされているようだ。

 私が記憶する小学校から高校までの憲法の授業は日本国憲法の基本的原則を憶え、さらに基本的原則が書かれてある条文を暗唱することだった。教育指導要領にそのようにするようにと書いてあるかどうかは知らないが、子供ながらに「こんなことをやって何の意味があるんだよ・・・・・。」と思ってしまった。今になってから言えることだが、暗唱することなんていうのはつまらない。

 私を含めたつまらない憲法の授業を経験した人たちにとって、憲法の中に書かれてあることは全くもって良く分からない。難しい言葉ばかりだし、何より「キレイゴト」ばかりが書いてある。そんな「キレイゴト」に対して、今の日本では反発する人々が増えている。何より、今の首相や防衛相は「キレイゴト」を尊重する義務があるのに、どうやら受け容れられないらしい。では、何故、そんな「キレイゴト」が憲法には書いてあるのか?

 近年、韓国では『弁護人』という映画が流行った。この映画は盧武鉉元大統領の弁護士時代に起きた『釜林事件』をテーマにしたもので、国家保安法による冤罪で捕まってしまった行きつけのテジクッパ屋の息子を助けるために、弁護士のソン・ウソクが奔走する映画だ。

 この映画では法廷にて、テジクッパ屋の息子を捕まえた当局の人間に対し、ウソクが大韓民国憲法第1条を諳んじるシーンがある。

ちなみに大韓民国憲法第1条とは次のような条文になっている。

第1条

  1. 大韓民国は民主共和国である。
  2. 大韓民国の主権は国民にあり、全ての権力は国民より由来する。

 当時、韓国はまだ軍事独裁の時代で、自由や民主主義なんていうものからは程遠い時代だった。そんな時代の中で韓国の国民は何十年も地道に活動し、やがて、自由や民主主義を手に入れた。そんな中で抵抗した人々が、抵抗の拠り所にしたのは大韓民国憲法第1条の条文だった。そして、去年の10月、朴槿恵大統領が国政壟断事件を起こしたときに、人々が朴槿恵大統領に対して抵抗の拠り所にしたのも、この大韓民国憲法第1条だった。

 「憲法」をただの紙切れとして考える人たちが居るかもしれない。それは一面においては事実だ。しかし、時には人々の権利を奪う為政者への有効な武器にもなっていく。アメリカにおいて公然と黒人差別があった時代、キング牧師は常に合衆国憲法の理念に従うことを政府に求め続けた。それは憲法に書いてある「キレイゴト」を頑なにまで信じたからだった。自分たちの生きにくい世の中をどのようにして生きていくのか。そんな時に希望の光になったのは憲法という紙切れに書いてある「キレイゴト」だった。

 為政者によって生きにくい日々を送っている人々にとって、「憲法」は為政者を殴るための「拳法」として機能する。だが、そんな機能を忘れてしまった瞬間に「憲法」はただの紙切れに戻ってしまうのかもしれない。憲法の条文を暗唱させるよりもそんな人々がどんな人々であるのかという想像力を持つことが「拳法」としての威力を発揮させることなのかもしれない。

 だが、日本では「憲法」を「拳法」として発動させる人々は居ないと考えている人が極めて多い。それは大きな誤解だと思う。

 先日、大田昌秀沖縄県元知事が亡くなった。彼はずっと「憲法」を沖縄を守るための「拳法」として考えていた人だった。そんな考え方だったのは大田元知事だけではない。沖縄が日本に復帰することを選んだのは日本国憲法第9条が地上戦で大きな被害を被った沖縄にとって、まさに夢のような憲法だったからだ。そして、今、そんな「憲法」を「拳法」として信じつづけている人は今でも数多く存在する。

 彼の冥福をただ、祈るだけではなくて、そんな「憲法」を「拳法」として発動させようとした人の姿を語り継ぐことが本土に居るこの私のできることなのかもしれない。