天皇の言葉を借りて「民主主義」を語る

   先日、毎日新聞であることが報道された。その報道とは天皇が退位を巡る有識者会議でとある有識者の発言に対して、天皇が不快感を示したということだった。その有識者の発言とは天皇は祭祀さえすれば良いという発言だったらしい。確かに長年、様々なところを行幸し、戦後、残されたことを総決算しようとした天皇の方針とは違った考え方だったかもしれない。

 こうやって天皇の意見が新聞上で出てくるのはとても珍しい。基本的に天皇が何かのイシューに対して、意見を示すことは無く、避けられる傾向にある。天皇の言葉は権力によって用いられる。いわば、権威のような存在だからだ。実際に、かつて、防衛庁長官が内奏で天皇が話した言葉を公にしてしまい、それがきっかけで防衛庁長官が辞任に追い込まれた事件もあった。そのくらい天皇の言葉は重大なものとして扱われていたのだ。

 だが、驚くことにこの天皇の意向を安倍政権への反対だと言ってしまう人たちが多い。確かに安倍政権が戦後民主主義体制を破壊しかねない、かなり危険な政権であることは間違いないだろう。私も安倍政権には反対だ。だが、本当かどうか分からない宮中の天皇の意見を自分たちの政治的な意見の正統性として用いるのは一体どういう意味を持つのか。

   大日本帝国憲法では国民に主権は無く、あくまでも天皇に主権があるとされていた。そして、政治的な決定は天皇の言葉を通して、行われていたが、その結果、天皇の言葉が政治的闘争のために用いられ、また天皇の名前によって、人権を無視するような行為が行われるようになってしまった。

   私は植民地で育った祖母から天皇の恐ろしさをよく聴いていた。正確に言えば、天皇の名の下に何をやっても良いという恐ろしさとでも言えば良いだろうか。植民地の人々にとっても天皇の言葉は絶対だった。そんな言葉に逆らえば命はない。

   かつては植民地の人々が天皇の住む宮殿に向かって挨拶をすることや、天皇の祖先を祀る神社にお参りしなくてはいけないような決まりもあった。クリスチャンだった祖母にとってこの儀式は屈辱的だったと聴いている。祖母の青春はカッコ良く言えば、個人の思想信条の自由を守るかの戦いだった。

   そんな日常を伝え聴いていた時は、「昔はそうだったんだろうなぁ…。」ぐらいの認識だったが、今では全く違う。

「うわぁ…。あの時聴いていたことそのまんまじゃん…。」と思う日々だ。

   植民地の子孫として生きて、日本国籍を取得した私にとって、天皇の言葉よりも日本国憲法の理念が大事だ。

国民主権、平和主義、基本的人権の尊重…。

もしかしたら、これは絵空事に聴こえるかも分からないが、そんな日本国憲法の理念によって、私は生きていると思っている。

決して、天皇の言葉なんかではない。

   教室で教えられることや歴史の本を思い返してみれば、1945年を境に戦前/戦後に区分している。だが、天皇の言葉を用いて、自分の主張をしている人々を見ていると戦前と戦後なんて無くて、ずっと帝国が生きていたと感じてしまう。いや、かつての帝国なんかよりも酷いかもしれない。一方では臣民であった人々を除外し、諸権利を戦後の体制によって奪ったばかりか、差別する現状を是認し、一方では同胞だと言いながら、憲法の理念を信じて復帰した人々に日本のためのセコムを押し付けて、反対すれば「土人」と言うのが今なんだから。

戦前/戦後の間にあるスラッシュのまやかしは今に始まった事ではなかったのだ。

   いつになったら、見えない植民地を生きる私は私の口で語ることができるのだろう。

   つい最近、とある会社のお偉いさんが、憲法なんて紙切れにしか過ぎないとSNSに書き込み、謝罪することになった。あのお偉いさんの言うことは皮肉なことに間違っていなかった。天皇の言葉を使って、政権に反対するなんて最も憲法の理念から反している人々が居たからだ。

   この国の憲法国民主権という大事な原則を生かすも殺すも自分たちの意思次第だ。