ねぇ、ムーミン。こっち向いて。

 昨日、自転車で街中を走っていると、高校生だと思われる集団が試験の出来を喋りながら帰路についていた。
 どうやら一昨日と昨日はセンター試験だったらしい。

 例年、センター試験の問題は話題になる。
去年のセンター日本史Aの問題の中に妖怪ウォッチが出ていたようだし、国語の現代文では「おっぱい、おっぱい。」なんていう言葉が載っている作品が出題された。
 センター試験を作っている人たちにとって、問題の中にネタを仕込むことが課題になっているのかもしれない。
 例のごとく、今年もネタになる問題が出題された。
それは地理Bの問題で、スウェーデンのアニメ「ニルスのふしぎな旅」を例に、言語とアニメの正しい組み合わせを問う問題だった。
 そこに登場したのはフィンランドの文芸作品として知られているムーミン
周りにムーミン好きが多かった私にとって、ムーミンフィンランドのイメージだったが、受験生にとっては難問だったようだ。
 この問題を間違えた受験生たちが試験終了後、一斉にTwitterムーミン公式アカウントに恨み言をリプライしていた。
 その恨み言の中に「国籍書いておけ。」というものがあった。
色々な人がこの問題について語っているが、どのように考えれば良いだろうか。
 正直、言って、「国籍書いておけ。」という言葉には背筋が凍った。
受験生にとっては信じられないかもしれないが、国籍を明示することによって、就職できないことがごく当たり前だ。
 なので、私のような「在日」にとって、「国籍書いておけ。」という言葉は差別の記憶を思い起こさせる言葉にもなってしまう。
 去年、蓮舫議員の「二重国籍」問題があった。
ムーミンという可愛いキャラクターかそれとも蓮舫議員という国会議員かという違いぐらいで「国籍書いておけ。」と周りの人たちが言っていることには変わらない。
 私はこのリプライを送った人を責める気はない。
最も問題なのは、「国籍書いておけ。」と言っても構わない社会にしている大人たちの方なのだから。
 もし、この受験生が大学に入り、フィンランド文学を専攻したら、ムーミンの「複雑さ」に驚くのではないかと思う。
ムーミンフィンランドを代表する作品だが、それを書いた作者はスウェーデン語系フィンランド人であり、最初の作品はスウェーデン語で書かれている。
 あの問題は一体何だったのかと考える受験生も居るかもしれない。
それは素晴らしいことなのだ。
 大学では様々な出来事に対して、疑問を持ち、考え、表現することが求められる。
私が大学生だった頃、西洋政治思想史の先生がこんなことを言っていた。
「良いか。君たちは生徒ではないんだ。学生なんだ。自分で疑問を持って、自主的に学んでいくこと。これが大学生の学びなんだ。」
 この言葉は今でも大事にしているだが、大学で学ぶということは高校生まで学んだ知識をもとに、自分が常識だと思っていることを建設的に疑い、また、そこから学問という方法を用いて、様々なことを考えていく。
 この問題が解けなかった受験生にとっては、最悪の問題かもしれないが、大学に入った後の学問のきっかけはできたと思う。
 そこからどうしていくのかは大学生になろうとしている受験生が考えていくことだが、この問題をきっかけに、大学で学ぶということはどういうことなのかを入学前に考えて欲しい。
 センター試験以外でも知的になるための扉はたくさん開いていると思う。
その扉を開いた先に高校では見られなかった新しい世界を見ることができるかもしれない。
 是非とも、そんな新しい世界を見るための4年間を過ごして欲しいと思う。
そして、その先の言葉としてこんな言葉が出れば最高だ。
「ねぇ、ムーミン。こっち向いて。」