「誰がスパイなんだ」と馬鹿が言う

  父と母が若い頃の話だ。

初めて、父が結婚前、初めて祖母に挨拶をした帰り、深刻な顔をしてこんなことを言ったらしい。

「お前の母さん、韓国のスパイじゃないだろうな。」

   祖母はあの時代、大学を卒業したインテリで、韓国で学校の先生をしていた。

母を育てるために日本にやってきたのだが、父からしたらスパイだとしか思えなかったらしい。

母は父の言葉を聴いて、「この人、馬鹿なんじゃないか。」と思ったそうだ。

   もちろん、父の言っていることはただの思い違いだ。全く根拠がない。

   一方、祖母は祖母で父の済州島出身者という経歴を気にしていた。

以前も書いたが、済州島は韓国に反乱を起こした島だと考えられていたからだ。

もしかしたら、祖母は私が済州島出身者になってしまうことも心配していたかもしれない。

   何せ、北朝鮮のスパイだと思われてしまうかもしれないから。

   これがスパイを日常の中で感じる瞬間だ。

私は日本で生まれ、日本で育ってきたけれど、韓国や北朝鮮のスパイ合戦に見事、巻き込まれていた。

   38度線が無くても、私は見えない『スパイ』と身近に生活していた。だけれども、日本人からスパイ呼ばわりされることは無かった。

   とある人と飲んでいたときのこと、丁度、お互いに戦争の話になった。

私にとって、こんな機会はとても嬉しい。何せ、戦争と言えば朝鮮戦争の話なので、日本人の戦争の話を聴けるなんていうことは滅多にない。

しかも、何より嬉しいのはその人の曾祖母から聴いた話をしてくれていた。

どうやら、100歳以上になって、亡くなる前だからと言って、色々と聴き出したらしい。

その中で、その人は彼女にこんなことを尋ねた。

「何で戦争しちゃいけないの?」

   そうすると彼女はこう答えたそうだ。

「戦争は馬鹿がのさばるからやっちゃいけないよ。」

どうやら戦争中、特高がスパイを探すためにガサ入れされた経験を持っていたらしい。

ガサ入れとは言っても、結局は食料欲しさのタカリだったようだが、そんなことでスパイ呼ばわりされてしまってはたまったもんじゃない。

   誰かをスパイ呼ばわりするって、つまりはそんな奴らと全く変わらないことなのだ。

   ある日のこと、テレビを観ていたら、ある特定の地域を指して、在日をスパイ呼ばわりする女性学者が居るじゃないか。もちろん、直接、そうだと断言する発言ではなかったが、あからさまにそれを示唆しているように思えた。

どういう了見で語っているのだろう。

テレビを観ながら、ああ、この国でも馬鹿がのさばる国になったのかと思ってしまった。

それは同時に戦争に向かっているということなのかもしれない。

   この女性学者さんはかつて、ルワンダで何が起きたかを知っているだろうか。

浅学な私の知る限り、どっかのラジオ局が民族でけしかけたことがきっかけだったはずだ。

国際政治学者である彼女がこれを知らないって言ったら、それは勉強不足と言われてもしょうがない。

公共の電波はそれだけ影響力のあるものであるはずだ。

しかし、それにもかかわらず、とうとう、あんな発言が出てしまった。

   この発言をきっかけにまた一つ、私は生きづらくなったけど、彼女はどう思っているのだろう。

私が一番心配していることは、何の関係もない在日が妙な国家関係の争いに巻き込まれることだ。場合によってはどちらの国からも抑圧された立場であることもある。

複雑な立場であることも分からないのに、ああいう言い方をされたらたまったもんじゃない。

   今日は一日、こんなことを考えていた。

私の祖母とこないだ飲んだ人の曾祖母が会ったらどんな話をするだろうと。

 その時に祖母が私の出自を心配した理由を言うだろうか。

そして、飲んだ人の曾祖母は戦争の怖さをどう語るのか。

ただ、これだけは想像がついた。

私がもし、彼女たちに何で戦争はダメなのかという質問をされたら、声を合わせてこう答えるに違いない。

「スパイを探す馬鹿がのさばるからね。」 

南とか北とか

 平昌オリンピックが始まった!
韓国に住んだことのある私は「ええ!あんなところでオリンピックをやるのか!」という気持ちだ。平昌はどこよりも寒いし、交通の便が良いイメージもない。
どうやらこの寒さには日本選手団もやられているらしい。
 今回のオリンピックで主役になったのは北朝鮮だった。この大会に合わせて、金正恩の妹である金与正が韓国にやってきたし、南北統一チームも結成された。
 南にも北にも親戚が居る私としては喜ぶべき「統一オリンピック」なのだろうけれども、なんだか喜べない。むしろ、私の中にある気持ちはより一層複雑なものになったと思う。
 南北が融和すると「統一」、「分断された民族」、「民族の念願」なんていう言葉が在日、日本人関係なく頻発する。
特に同胞社会は「統一」という言葉が大好きだ。
そりゃ、当たり前。だって、私みたいに、南にも北にも家族が居る人たちがたくさん居るんだから。
でも、私はそれらの言葉をあらゆる場面で触れながら、こんな気持ちになってしまう。
「そんな安易な言葉で未だに終わっていない歴史を片付けるなよ。」と。
 私の家族は変な家族だ。父方は済州島の出身で、母方はソウルのど真ん中でクリスチャンとして生活していた。そして、双方ともに色んなことに巻き込まれ、どういうわけだか日本の地で普通に生活している。
 私の母方の祖母は朝鮮戦争を経験し、祖母の義兄は戦争中、北朝鮮に連行されたまま帰ってこない。
私が大学に合格したことが分かったとき、祖母はこんなことを言った。
「いいかい、絶対にパルゲンイになってはいけないよ。北の連中と同じようになってしまうから。」
 だが、その一方、祖母は済州島への忌避感もあった。
それは反共主義者であった祖母にとって、済州島が「反乱」を起こした島だったからだ。
済州島出身者であることは隠せ。」

そのように私は教えられてきた。

 1950年から朝鮮半島は戦争を続けている。一応、教科書的には1953年に終わっているらしいが、それは戦闘状態が終わっているにしか過ぎない。
この戦争では南と北が双方に殺しあった。
南の人間たちは罪のない人たちを「パルゲンイ(アカ)」と決めつけ、虐殺し、北の人間たちは一緒に独立運動を戦ってきたクリスチャンたちを「親日分子」と決めつけ、北朝鮮に連れて行って、虐殺した。
 そんな国家間の戦争の中で残ったのは、憎悪と分断と「民族や国家」を利用する独裁者たちだった。
 韓国の方は1987年6月29日をもって、なんとか民主化を成し遂げたが、北朝鮮はいまだに独裁体制が続いているし、自由がある体制とは言えないし、今でも北朝鮮では酷い人権侵害が行われている。
じゃあ、韓国が良いのか?と言われたらそれもまた私にとっては微妙な話だ。
 済州島4・3事件の謝罪は行ったものの、国家保安法の関係で未だに共産主義者として韓国政府に抵抗した人たちは犠牲者として認められない。
 南北がそんな状況であるにも関わらず、「統一」とか「南北融和」とかそんな無邪気なことを言っていられないのだ。

 オリンピックが始まってしまうと、そんな複雑な歴史を忘れて、「統一」とか「南北融和」とか無邪気に語る人たちが多くなる。
なんでそんなに無邪気になれるのか私には全く分からない。
オリンピックは平和の式典らしいが、南も北もまだ平和というものとは程遠く、ましておや、「統一」なんていう言葉が寒々しく感じるぐらいの現状が誤魔化されてしまっているように思う。
 大体、こういうことを言うと私は在日や日本人関係なく「そんな小さなこと気にするな」と言われてしまう。だけれども、私にとっては全く小さな出来事ではない。
だって、分断は家族の出来事でもあるんだから、そんな出来事を「小さなこと」として扱いたくない。
平昌はとっても寒いところだけれども、私は日本の地で「統一」という言葉に「寒さ」を感じていた。

まだ「競争」をし続けなければいけませんか?

 民進党がまだ野党第一党で、蓮舫氏が代表だった頃を憶えているだろうか。
私は今でも忘れられない。
 あの時、蓮舫氏に二重国籍疑惑が持ち上がった。
自民党小野田紀美議員は自ら二重国籍状態であることを公言し、自らアメリカの国籍を捨てたと発表した。これが蓮舫氏に戸籍謄本の一部を公開させるひとつのきっかけになった。
 つい先日、彼女は蓮舫氏の二重国籍疑惑が持ち上がった時のことについて、産経新聞の取材でこのように答えていた。

『私も小さなころから「ガイジン」といじめられ、石を投げられました。本当の意味で差別をなくすためには隠してはいけない。隠すから「怪しい」「日本に牙をむこうとしている」と疑念を抱かれる。隠せばいいと考える人は、書類を隠しても顔で分かる人たちのことを考えているのでしょうか。』
産経新聞より)

www.sankei.com


 在日であることを隠して生きている人たちはたくさん居る。
それには色々な意味があるが、第一に自らが語らないことによって、差別される対象から逃れたいという理由が多いのではないかと思う。
 この国で生きていくためにはどうしても「日本人」でなくてはいけない。
 最近、私が本を出したことで、色々と家族から言われるのだが、特に末の妹から言われるのは私が有名になることによって、妹自身が在日であることが公になってしまうことへの怖れだ。
 今でも在日と日本人の間には結婚差別があり、多くの人がその差別のために愛する人と別れざるを得なくなった歴史がある。
妹は結婚できなくなってしまう可能性があると思っているのだ。
 結婚差別だけではない。
 以前も書いたことだが、ハローワークに通っていたころ、「帰化はされていますよね?」と言われたことがある。
一体、あの質問は何を確認するためだったのだろうか。
 現実の世界ではなく、次はインターネットの世界を見てみよう。
ネットの掲示板や心無いサイトには誰が在日なのかを明記して、その人を平気で「チョン」だの「半島に帰れ。」だの言っている。
 隠したくなるのも当然の社会だ。
 私個人の考え方として、私みたいに在日であることをカミングアウトする自由もあるし、逆に隠す自由もあると思う。確かに自分のルーツを自由に言える社会が理想だが、それを誰かに強要するわけではない。
余りにもリスクが大きすぎる。

 小野田議員様が仰るように私は在日であることを隠さないで生きているのだが、これはこれで気づくことがある。
どうやら日本の人たちは日本の人たちが思うようなステレオタイプの在日や外国人が好きらしいということだ。
テレビを観ていれば、日本が大好きな外国人を特集するテレビ番組は放送されているし、私の身の周りに目を向けてみると「在日らしい在日」を見つけ出し、その人たちを応援し、「それらしくない在日」に対して、「在日とは。」と平気で説教する。
 当事者側もいつの間にか「日本人が考える在日らしい在日競争」や「日本人が考える外国人らしい外国人競争」を始める。
 私が知っている範囲内で言うと、「日本人が考える在日らしい在日競争」で一番になるのは、民族学校に通い、韓国籍朝鮮籍を有し、民族名で生きて、なおかつ韓国語を喋れる在日たちだ。
私のような日本国籍を取得し、日本語しか喋れない立場は「君みたいに日本国籍を取った人は早く日本人になれ。」ということを言われ、無かったことにされてしまう。
 ちなみに「日本人が考える外国人らしい外国人競争」で一番になるのは、目が青くて、彫りが深くて、バイリンガルであるということ。
 私が高校時代に「クォーター」であることを告白したことがあるが、その時に出た言葉は「えー!彫り深くないじゃん。」という言葉だった。
 こんな現状に絶望すると次は「誰が日本人として相応しいか競争」が始まる。
他の人たちよりもわざと「愛国的」なことを言い、わざと「日本人」らしく振舞う。
そうすれば日本の人たちからは「ああ、この人は日本のことを分かっている!」と褒められる。
そのうち、こういう人は日本人になりきって、他の在日や外国人たちを攻撃し始める。
 そんなグロテスクな競争に参加する気はないが、こういう競争に真面目な人たちほど参加してしまうみたいだ。
小野田氏が勝ち誇った顔で語ってしまうのも、蓮舫氏が戸籍謄本を公開してしまうことも、真面目であるが故にだろう。
 その一方で、彼女たちは真面目な割に、憲法に定められている日本国憲法擁護の義務についてはどうでも良いらしい。
 両者ともに、日本人が作り上げたお立ち台に乗る形で、人種差別に加担してしまった。
そう言えば、私が蓮舫氏を以前、批判した際に、「差別されている人にこういう言葉を向けるのは可哀想だ。」と言われたことがある。

ここで公職者とは一体何なのかを考えて欲しい。
もし、彼女が公職者でなければこういうことを言わなかっただろう。
それは小野田氏も同様だ。
彼女たちの役割というのはそれほど大きいし、これからも影響してくるだろう。
 在日や外国人というのは人種動物園の檻の中でしか生きてはいけないのだろうか。
そのような檻がどれだげ悪意的なものであって、また善意的なものであるかということを知っている。
 その檻の存在が、私たちの間で無意味な「競争」を促し、さらに「アイデンティティーに悩んでいる」という安易な言葉で肯定してしまう。
もういい加減、そんな檻から抜け出して、「競争」を止めにしたい。

前略、あれから1年が経ちました。

 私がデマサイトを管理していた貴方に書いた手紙をこのブログ上に載せてから1年が経ちました。

 この1年、どのような日々を過ごされたでしょうか。
お陰様で、姪は今年から幼稚園に入園します。
あっという間に成長してしまうものですね。

 私はというと、この1年でかなり状況が変化しました。
実はあのブログ記事を書いた後に事情があって、ちょっとしたトラブルで会社を辞めることになったのです。

別にあの記事がきっかけというわけではありません。
その後、私は体調を崩してしまい、どうすることもできない日々を送っていましたが、去年の10月にこのブログを出版する機会に恵まれ、去年の12月に出版することができました。
 本を出版するにあたって、私は実名を出しました。
私の名前は金村詩恩と言います。
「金村」という苗字はどうやら植民地時代に名付けられた名前だそうです。
在日の世界では本来の名前である「金」を名乗る場合が多いのですが、私は「金村」に拘りました。
それは私にとって身近な名前であること、そして、私の文章はきっと、「金村」という苗字でなければ書けなかったと思ったからです。
 今、改めて貴方が取材を受けた記事を読んでいます。
私も貴方と同じようにこうやってインターネットの世界で記事を書いたり、本を書いたりしていると「数字」を気にしてしまうんです。承認欲求と言ってしまえば早い話なのですが、自分自身が一生懸命書いたものを色々な人に読んで欲しいという気持ちがあります。
 ですが、それでも貴方と同じように誰かを傷つけるために、デマを広めようとは思いませんでした。

 「デマや噂なんてこの世にありふれている。それに踊らされるのは個人の問題ではないでしょうか。噂を流した側の責務ではない。これからもデマはでき続けるはず。収益化できるかは別ですが」

 この言葉を1年経った今でも私の頭を離れることがありません。
今でもフェイクニュースは流れ続け、相変わらず、私たちを襲います。
最近、襲うスピードが以前よりも早くなったと感じることがあります。
どう考えてもありえないことがインターネット上では流れ、それを本当だと信じている人たちが増え、私たちの日常がより分断されてしまいました。
 こういう状況になると日常の中で疑心暗鬼な生活をしていくしかありません。
誰が味方で誰が敵なのか。
そんなことばかりを考えてしまう日々になりました。
どうやらこれは私だけではないようです。
 あらゆる人たちがフェイクニュースによる憎悪から誰が味方で誰が敵なのかを必死に探して、誰かを叩くという不毛な抗争ばかりをしています。
 1年経った今、貴方の生み出したニュースは誰かと誰かを対立させるためのニュースに成長してしまったのだと思いました。
 「金村」という苗字とお別れすることについて以前、貴方への手紙で書いたことがあります。
私の両親の後悔は日増しに強まっているようです。本を出したことによって、私の名前が出てしまい、まだ結婚していない下の妹が結婚できるのかと不安になっているのです。
 昨今、ナチュラルに韓国人に対しての憎悪を隠さない人たちが以前よりも、増えていると感じます。ふらっと入ったお店でも、お酒を飲みながら韓国人への憎悪を言う人が増えました。
私はそれを黙って聴いています。
 さらに書店に行けば、韓国人や中国人への憎悪を掻き立てるような本ばかりが置いてあります。
私はその棚を黙って見ています。
ただの批判であれば良いんですが、もはや嫌がらせに近いようなことを言う人たちも居て、とても苦慮しています。
 私が取材を受けた記事もそんな嫌がらせのような言葉ばかりがコメントとして書きなぐられていました。
報道という面もあるかもしれませんが、フェイクニュースにそういう人たちが触れてしまったということもあるのでしょう。
 「もしも」と言うのは嫌なんですが、昨今あるようなフェイクニュースヘイトスピーチが無ければ私の人生は平凡なものだったと思います。
そもそも自分のルーツについて興味を持つことすらしなかったでしょうし、本を出すこともしなかったでしょう。
 ですが、そんなことを嘆いてもしょうがないのです。
生きている限りは生き抜かなければいけません。
 私にできることは私の切実さの周りをぐるぐる回りながら、それを言葉にしていくことです。
 貴方と同じでお金もないし、かと言って儲ける方法も分からないですが、言葉のよって人生を変えられてしまった人間としてそういった誠実さはいつまでも忘れないでおきたいと思っているのです。
 いつか貴方とは直接、お話をしたいです。
恨み言を言うとか、貴方を責め立てるとかではなくて、単純に貴方の言葉を聴きたいのです。
今をどう生きて、どう感じて、どう思っているのか。
 どんなに社会がヘイトで分断されても、私たちは同じ青い空の下で息を吸っているので、きっとお会いできると思います。
そんな日が来ることを信じています。
そして、お会いした時に、私の名前を伝えられれば嬉しいです。
お返事お待ちしております。

金村詩恩 拝

あの町議をどうするのか

 Facebookでヘイトコメントをしていた奈良県安堵町の増井敬史町議が辞職した。
増井氏は何名かの国会議員を名指しして、彼らを「在日コリアン」だと決めつけ、「股裂きの刑にしてやりたい」と投稿していた。
 この報道がされる際、とある報道機関は「国会議員への侮辱発言」として報道していたが、私はこの見出しに違和感を感じた。
国会議員を「在日コリアン」だと決めつけることは明らかにヘイトスピーチに該当すると考えられるが、もしかしたら、増井氏の立場に立ってみればただの「侮辱発言」なのかもしれない。
 ヘイトスピーカーたちは決して、自分たちのやっていることを間違いだとは思っていない、増井氏が会見の中で言ったように「日本のためにやっている。」と本気で思っている。
 彼らに社会的な制裁を加えることは簡単だ。
しかし、制裁してしまえばしまうほど、私は逆効果になってしまうのではないかと思う。
昨今のヘイトスピーカーたちを見ていると、社会的制裁をを受けることを「言われもない被害」として語っている。
 どうやら言論の自由表現の自由を行使しているのに、それを侵害されていると思っているらしい。
私たちには分からない彼らの中の被害妄想がそうさせているのだろうが、そういった思考回路を持つ人たちと話し合うのはなかなか難しい。
 私は本人の弁明をインターネットで見たが、こうした辞任劇はもしかしたら、思わず、話題が広がってしまったからではないかと感じた。
 この辞任を喜ぶ人たちもたくさん居たが、私の心の中では何か違和感だけが残った。
 政治家ほど辞めやすい仕事はない。
真面目に仕事をしている政治家さんたちには大変申し訳ないことだが、有権者としてそう感じてしまうことがある。
ずっと昔から、政治家たちを見ていると、何か不祥事があるたびに、議員辞職をし、いつの間にか「みそぎ選挙」と題して、次の選挙を戦い、再び議場に戻っているケースが多いからだ。
本来、「貴方はそこに居るべき人間なのか?」と言いたくなる人間も居るのだが、選挙で勝利したことを口実にあたかも過去の犯してしまったことがなかったかのように居座っている。
 確かに、選挙は民主主義国家の中で民意を表明する大切な機会であることは間違いないが、それは不祥事を犯した政治家の禊をするためのものではないはずだ。
 増井氏も、もしかしたら、この後に選挙に出馬するつもりなのかもしれない。
そう思うほど、私は怖さを感じた。
だって、何がいけないのかを分かっていないのだから。
 彼らに対して「それは違う」と抗議するのと同時に、彼らに対してどうやって間違っているのかと伝えていくことはとても大切になっていく。
 偏見はなかなか直るものではないことは経験的に知っている。
だが、こうして分断されている状況の中で、どうにかしてヘイトをまき散らしている側を1人でも減らすための試みを私たちはしていたのだろうか。と思わず自問自答してしまった。
 日本では行政システムを見ても、罰を与えるだけで終わってしまう。
だが、ヘイトスピーチの場合は罰を与えるだけではなくて、更生するための手段だって必要になる。
さらにヘイトスピーチをまき散らす側が再び社会の中で共に生きていけるようにすることも大切なことだ。
このような一連の「和解」をどのようにしていくかを考えていかなければこの出来事から何かを学んだとは言えない。
 私はこの一連の辞任劇を辞任したからおしまいとする気は毛頭ない。
むしろ、この辞任劇を終わらせるのではなく、ヘイトスピーカーたちを更生させ、再び共に生きる道をどのように構築していくのかと考える機会としたいと思う。
 ヘイトスピーカーたちを叩くことは簡単かもしれないが、彼らに痛みを知ってもらい、共に同じ社会の中で生きていけるようにするためにどうするかを考えなくてはいけない。
 あの町議をどうするのか。
今、そんなことが問われている。

ねぇ、ムーミン。こっち向いて。

 昨日、自転車で街中を走っていると、高校生だと思われる集団が試験の出来を喋りながら帰路についていた。
 どうやら一昨日と昨日はセンター試験だったらしい。

 例年、センター試験の問題は話題になる。
去年のセンター日本史Aの問題の中に妖怪ウォッチが出ていたようだし、国語の現代文では「おっぱい、おっぱい。」なんていう言葉が載っている作品が出題された。
 センター試験を作っている人たちにとって、問題の中にネタを仕込むことが課題になっているのかもしれない。
 例のごとく、今年もネタになる問題が出題された。
それは地理Bの問題で、スウェーデンのアニメ「ニルスのふしぎな旅」を例に、言語とアニメの正しい組み合わせを問う問題だった。
 そこに登場したのはフィンランドの文芸作品として知られているムーミン
周りにムーミン好きが多かった私にとって、ムーミンフィンランドのイメージだったが、受験生にとっては難問だったようだ。
 この問題を間違えた受験生たちが試験終了後、一斉にTwitterムーミン公式アカウントに恨み言をリプライしていた。
 その恨み言の中に「国籍書いておけ。」というものがあった。
色々な人がこの問題について語っているが、どのように考えれば良いだろうか。
 正直、言って、「国籍書いておけ。」という言葉には背筋が凍った。
受験生にとっては信じられないかもしれないが、国籍を明示することによって、就職できないことがごく当たり前だ。
 なので、私のような「在日」にとって、「国籍書いておけ。」という言葉は差別の記憶を思い起こさせる言葉にもなってしまう。
 去年、蓮舫議員の「二重国籍」問題があった。
ムーミンという可愛いキャラクターかそれとも蓮舫議員という国会議員かという違いぐらいで「国籍書いておけ。」と周りの人たちが言っていることには変わらない。
 私はこのリプライを送った人を責める気はない。
最も問題なのは、「国籍書いておけ。」と言っても構わない社会にしている大人たちの方なのだから。
 もし、この受験生が大学に入り、フィンランド文学を専攻したら、ムーミンの「複雑さ」に驚くのではないかと思う。
ムーミンフィンランドを代表する作品だが、それを書いた作者はスウェーデン語系フィンランド人であり、最初の作品はスウェーデン語で書かれている。
 あの問題は一体何だったのかと考える受験生も居るかもしれない。
それは素晴らしいことなのだ。
 大学では様々な出来事に対して、疑問を持ち、考え、表現することが求められる。
私が大学生だった頃、西洋政治思想史の先生がこんなことを言っていた。
「良いか。君たちは生徒ではないんだ。学生なんだ。自分で疑問を持って、自主的に学んでいくこと。これが大学生の学びなんだ。」
 この言葉は今でも大事にしているだが、大学で学ぶということは高校生まで学んだ知識をもとに、自分が常識だと思っていることを建設的に疑い、また、そこから学問という方法を用いて、様々なことを考えていく。
 この問題が解けなかった受験生にとっては、最悪の問題かもしれないが、大学に入った後の学問のきっかけはできたと思う。
 そこからどうしていくのかは大学生になろうとしている受験生が考えていくことだが、この問題をきっかけに、大学で学ぶということはどういうことなのかを入学前に考えて欲しい。
 センター試験以外でも知的になるための扉はたくさん開いていると思う。
その扉を開いた先に高校では見られなかった新しい世界を見ることができるかもしれない。
 是非とも、そんな新しい世界を見るための4年間を過ごして欲しいと思う。
そして、その先の言葉としてこんな言葉が出れば最高だ。
「ねぇ、ムーミン。こっち向いて。」

ヘイトと生きる

 去年の12月19日に私の本が出版された。
タイトルは『私のエッジから観ている風景‐日本籍で、在日コリアンで』。

ぶなのもり/新刊・近刊等(購入・予約)

https://www.amazon.co.jp/dp/4907873034/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_LHqpAb9VN51GA
 この本が出版される前に、私はいくつかのマスコミで取材を受け、そのうちのひとつ、Buzzfeedからの取材記事が、本の発売に先行して、発表された。

どうやらYahoo!ニュースにも配信されたらしく、トップ画面にも私の顔写真が出たようだ。

 Yahoo!ニュースのコメントは以前から評判が悪い。

マイノリティーに関する記事が出るたびに、罵詈雑言のコメントがつく。

私を取材した記事も例外ではなかった。

headlines.yahoo.co.jp

 正直、言うと、私は覚悟していた。

ネットの世界では「在日は死ね。」という言葉がいつも飛び交っている。

 私はできるだけ、そんな言葉よりも真摯に私に向き合ってくれる言葉にしか目を向けていなかった。

 だが、私の家族は違った。

どうやら家族は私の記事をあのコメント欄も含めて、Yahoo!ニュースで読んでしまったようだ。
 母は私に「なんで伝わらないんだろうねぇ。」と嘆息し、「お前が名前を出すことには反対だった。それは家族にも色々と迷惑が掛かるから。お前の出した本のせいで妹がお嫁に行けなくなったらどうするんだろう。」と話し、父は「ああいうやつらは何をするか分からないから気をつけろよ。」と言っていた。
 今でも厳然と、帰化した人間を含めて、結婚差別や就職差別は存在する。

以前も書いたが、私は通っていたハローワークで「帰化しているかどうか」と尋ねられたことがあるし、結婚する時にも在日であることを理由に話が無くなるケースもある。
  ヘイトスピーチを消す方法はいくらでもある。
法規制や路上に出ることだって、そうかもしれない。
だが、現実的な問題として、差別の問題はやはり消えていない。
 私の伯父や父の世代の差別はもっと激しかった。
民族学校の制服を着ているだけで、喧嘩を挑まれることもあれば、逆に喧嘩を挑むことだってある。
役所で様々な生活相談をしても、役人たちに蔑まれるだけだ。
パッチギのような世界はどこにでもあった。
 伯父や父たちは喧嘩をしたことを誇らしげに語っているように見えて、喧嘩ではない方法で差別と向き合うことを語っている。
それしか方法がなかったとは言え、やはり、暴力的な方法で立ち向かったことを後悔しているのだろう。
 もしかしたら、私なんかよりも伯父や父たちの方がヘイトスピーチにはセンシティブになっているかもしれない。
自分たちが受けていた差別をはっきりと憶えているし、また、ああなってしまうことを誰よりも怖れているのではないだろうか。
 社会は進歩したように見えるかもしれないが、差別は形を変えている。
そして、声を出すこともままならない状況は一切、変わっていない。
 私は父や母に私の記事を「あまり見ない方が良いよ。」と言っておいた。
酷いコメントを見て、びくびくしながら生活するよりも知らない方がマシだからだ。
 ヘイトは誰かの声を押しつぶす。
 だけれども、私は酷いコメントがあるからこそ書き続けなくてはいけないと思っている。
言葉は必ず遠い誰かの胸に刻まれるものだからだ。
 先日、トルコに住むクルド人の文学を読んだ。
トルコ政府がかつて行った大虐殺の記憶を書き残そうとする作品だった。
読んでいるうちに「お前、友達だったのか!」と叫びたくなった。
 私は韓国政府によって、殺された人たちを知っているし、北朝鮮政府によって、殺された人たちを知っている。
 遠い土地での虐殺事件を書き残す作品なのに、同じような境遇を分かち合えたことが嬉しかった。
 こういう「出会い」が文学の醍醐味なのだろう。

  私がこうやって書くことによって、きっと誰かが読んでくれること、誰かが共振してくれることを私は信じてやまない。
だからこそ本を書いたし、今でも書き続けている。