護憲と独立

 先日、南スーダンPKOとして派遣されていた自衛隊の日報が公開された。この日報とその後の稲田朋美防衛大臣の答弁が問題になっている。今回、公開された日報は以前、破棄されたとして未公開になっていたものだったが、何故か破棄されることなく存在していた。しかも、その公開された日報を読む限り、日本政府がPKO5原則を無視して、南スーダン自衛隊を送っていたことも明らかになった。野党はこの件について追及したが、稲田大臣は『「戦闘」という言葉を使うと憲法9条に違反する』というとんでもない答弁を行い、野党の怒りを買った。本来であれば憲法違反が無いように行政を行うべきであるはずなのに、憲法違反を正当化している状況になっている。

 そもそも稲田大臣は有名な憲法改正派の論客だ。安倍首相とも思想的な距離は近いとされている。改憲派の中には様々存在するが、稲田大臣を始めとする保守派の議員たちは日本国憲法GHQによって押し付けられたものであり、憲法9条そのものが日本国から自衛権を奪い、日本国の独立を侵害しているという立場に立っている。果たしてこのような立場は正しいのだろうか?

 日本国憲法GHQが日本政府の代わりに原案を作ったことは良く知られている。だが、この原案と現在の日本国憲法を比較してみると様々な修正が加えられていることが分かる。例えば、国会の構成だ。GHQ原案では300人から500人で構成する一院制となっているが、当時、憲法改正を担当していた松本烝治国務大臣から両院制を要請され、結果的に、両院制を採用することになった。実は憲法9条にも芦田修正と言われる修正が行われている。GHQ案の憲法9条では日本に自衛権が認められないという懸念が広がり、帝国議会憲法改正小委員会の委員長であった芦田均が修正を行ったことから、芦田修正と呼ばれるようになった。彼らの主張はこの段階を完全に無視してしまっている。

 さらにそれだけではない。憲法9条がどのような条項であるかということについても見事に無視している。憲法9条が存在することによって、日本国がどこかの国が主導となって行っている戦争の参加を求められた際に、憲法9条を理由に戦争への参加を拒否できる。日本国内の平和主義を保つことができるのと同時に、日本国としての独立を内外に示すことができるのだ。これに対して、国際貢献ができていないという批判もあるが、国際貢献は戦争をする形では無い方法で示すことができる。憲法9条を守るということは日本国の独立を守るということでもあるはずだ。

 私自身の立場は日本国憲法を改正するべきであるという立場だ。それは日本国憲法改正の限界の明記をはじめ、外国人参政権の明記、同性婚の合法化などの人権条項の強化や解散権の制限、建設的不信任制度の導入、参議院改革、憲法裁判所の新設など、統治機構の改革などが必要であると思っている。しかし、今回のように憲法を改正する側が憲法を破壊するような改憲を企図しているのであれば、それは断固として反対しなくてはいけない。私が何よりも恐れていることは権力の制限法である憲法を破壊されることとだ。

 実は、稲田大臣は自民党政調会長時代に憲法9条第2項は空洞化していると発言したことがある。一番問題なのは憲法9条第2項を空洞化させている人間たちは一体誰なのかということについては一切触れていない。まさに自分たちの憲法をないがしろにしている行為を憲法のせいにしているとしか言いようがないだろう。それだけではない。数年前、安倍首相は自国の国会よりも先に他国の国会で自国の安全保障政策に関する重大な変更を行うと正々堂々と発表した。果たしてそんなことが許されるのか?

 保守を自称する人々が憲法を破壊し、また日本の独立を破壊するような行為を行っているとは一体どういうことなのだろう。