「正しい日本文化」というホログラム

   テレビを見ていると「正しい日本文化」を教える番組や「正しい日本文化」の素晴らしさについて特集している番組が多くなってきたような気がする。

   昔から「日本文化」についての番組はNHKを中心にやっていたけれども、今では民放が、それも割とゴールデンタイムに近い時間帯にやっている。

 最近、観た番組の中だと「正しい日本文化」を海外で教えるといった上から目線な番組を観た。

   そんな番組に複雑な気持ちを持ちながらも、ついつい観てしまう私が居る。

 それは私自身がテレビっ子であるということや、落語が好きだったり、歴史が好きだったり、様々な理由があるけれども、そんな番組を観る理由は「正しい日本文化」なんていうものが私の家では観られないからだ。

 私の家はプロテスタントのクリスチャンであるのと同時に「在日」の家だ。

 食事の前には神様に感謝のお祈りを捧げ、伯母さんのことを「고모(コモ)」と呼び、母が作った豚汁を食べて生活している。もしかしたら、我が家に来た人は一体、ここがどこなのか分からないと思うようになるだろう。

   そんな日本式と韓国式と在日式とプロテスタントとしての信仰が混ざっている空間で生活しているとどうしても分からなくなってしまうことがある。それは冠婚葬祭についてだ。

 冠婚については最近は緩くなってきた。昔のように家と家の結婚式なんていうことが少なくなりつつあるとご祝儀の値段とか服装とかはこだわらなくて済む。

 しかし、葬儀の方はそうとはいかない。葬儀の方も密葬で済ませるスタイルや「○○さんを偲ぶ会」のようなもので代替することが多くなったとは言っても、葬儀のほとんどのスタイルを仏式で行っている。クリスチャンの私はどうしようか迷ってしまう時だ。そういったときは決まってカサブランカの花を霊前に捧げ、お祈りをするというスタイルを取っている。

いくら仏式の葬儀だからと言っても、自分の信仰を崩すわけにはいかないからだ。

 こんな姿を見ている人の中には「正しい礼儀作法じゃない」とか「正しい日本文化」と思うだろう。しかし、そうやって文化は作られていくものだと私は考えている。私の家の文化には日本と韓国と在日の文化がそれぞれ入り混じっている。そんな文化がぶつかり合う中で様々な新しい文化が生まれてくるのだ。

 洋食を思い浮かべて欲しい。洋食は本場のヨーロッパで食べられているものとはとても程遠いし、日本料理とされている。でも、そんな洋食を愛する人はとても多い。焼肉だってそうだ。父方の親戚は焼肉屋を営んでいたし、私自身韓国に留学したこともあるのだが、本場の焼肉と日本の焼肉には大きな差がある。韓国に行けば「日本式焼肉」なんていう表記すらある。そんなごった煮の文化だけれども生活にはちゃんと根付いているのだ。
 文化とはそんなぶつかり合いの中で生まれてくる。ごった煮になって、生活に根付くからこそ、文化を愛せる。そんな文化の事実の前では「正しい日本文化」なんてとても小さなものとしか思えなくなるのだ。「正しい日本文化」なんていうホログラムに頼って生活するよりも、生活の中にある私の小さな文化を大切にしていきたい。