われ怒りて視る、何の惨虐ぞ

朝鮮人あまた殺されたり

その血百里の間に連らなれり

われ怒りて視る、何の惨虐ぞ

 

萩原朔太郎

 

 私はテレビのニュースを観ていない。

別に、テレビが「真実」を伝えていないからじゃない。

単純に胸糞が悪くなってくるからだ。

 神奈川県で、ある男のアパートから9人の遺体が見つかった。

8月から9人もの人間を殺害し、部屋には首が保管されていたという。

食事の時にテレビを観る習慣のある私はこんな猟奇的な事件がセンセーショナルに報じられると、テレビを消して、YouTubeを観る。

こういう時はYouTubeの違法アップロードのテレビ番組がとても有難く感じる。

 報道する自由があるとは言え、一視聴者としてはそんな方法で心の安定を保っている。

だけれども、逃げ込んだ先のネット空間にも安らぎは無かった。

 Twitterを観ていたら、この事件の犯人が在日だというツイートに出くわした。

どうやら犯人の名字である「白石」という名字が朝鮮系の名字として認知されているらしい。

歴史好きな私にとって、「白石」という名字が極めて「日本的」であることはすぐに分かる。

伊達政宗の家臣だった人の中に「白石」という名字の武士が居たし、昔、流行した『生協の白石さん』という本を思い出しても、「白石」という名字がごく一般にありふれた苗字であることは簡単に分かる。

 こんなツイートを観ていて、私は思わず萩原朔太郎関東大震災後の朝鮮人虐殺が起きた後に詠んだ詩を思い出しざるを得なかった。

 ネット上には平気で、凶悪犯罪は在日のせいだとされている。

どういう根拠があるのか私には全く理解ができない。

在日コリアンが何かの事件で捕まれば、すぐに「あの朝鮮人たちは凶悪犯罪しか犯さない。」という言葉が出てくる。

 私は全員の在日コリアンが良い人とは思わない。

中には悪人だって居るし、逆に善人だって居るだろう。

私が観てきた在日コリアンは決して、1つの色だけではなかった。

底意地の悪い人。

神様のように性格が良い人。

苦労した顔をしながら、あらゆる言葉を飲み込んで、文字通り「在日」として生きている人。

日本人になって、「在日」として生きている人たちをどこか下に観ながら、自分の「過去」をバラされたくないと思って、ビクビクして生活している人。

悪事に手を染める人。

悪事に手を染める「同胞」を軽蔑しながら、善良に「強く」生きている人。

私はそんな人たちと生活してきた。

 もちろん、私は在日コリアン全員を観てきたわけではない。

だけれども、在日コリアンと言っても、あらゆる人たちがひしめき合って暮らしていることは間違いないことだ。

 それは日本人だってそうじゃないだろうか。

色々な日本人と会ってきたけれども、色々な人たちが居た。

もし、日本国内で在日ではない日本人による犯罪が起きた時に「日本人の犯罪」という言い方を私はしない。

何故ならば、犯罪を犯したのはその人であって、別に「日本人」という近代が作り上げた民族が犯罪を犯したわけではないからだ。

 言葉の海の中に放り込まれた無責任な言葉の先にあったものとは一体、何だろう。

私はブログで何度も書いている関東大震災後の朝鮮人虐殺を思い出す。

あのジェノサイドは得体の知れない「朝鮮人像」が独り歩きした結果、死ななくて良い生命が死んだ。

 もしかしたらもう、得体の知れない「朝鮮人」は言葉の海の中で作られているのかもしれない。

私はそんな言葉の海の中で無責任に作られた「朝鮮人」に追われている。

そして、あの時を思い出し、「覚悟」している。

 あのことを繰り返したくないからこそ、私はあの事件の犯人を在日だと言うツイートを観て、画面に向かって思わず叫ぶ。

「われ怒りて視る、何の惨虐ぞ」と。

 こんな時に私は考えることがある。

それは萩原朔太郎はどんな気持ちで書いていたのかだ。

もちろん、萩原自身に聴かなければ分からないことだろう。

 だが、不思議なことに私は萩原の気持ちが少しだけ分かるような気がする。

それは書くことは未来を信じることであり、目の前にある惨状を語り伝えることが出来るということだ。

 私はネットの「遊び」に怒りを表明するとともに、こんなバカげたことが行われていたことを語っていきたい。

 未来の人たちへ

こんなことがあったんですよ。

言葉を奪われた人たち

  私の大好きな舞台がある。

それは『在日バイタルチェック』という舞台だ。

在日コリアンの歴史や日常を余すところなく伝えているこの舞台には笑いもあるし、泣けるところもある。

一度、観ておいて損がないものだと私は思っている。

 この舞台の主人公は済州島から渡ってきたおばあさんだ。

このおばあさんが私の父方の祖母にそっくりなのだ。

「そうそう!こんな感じ!懐かしいなぁ!久しぶりだなぁ!」

と思いながら、私の父方の祖母に会った気分になり、少し涙ぐむ。

 在日1世の人たちには独特の訛りがあることは色々な舞台でやっているが、きむ・きがんさんの演じる在日1世の人の訛りは多分、本物に近い。

 だけれども、同時にそんな「訛り」にとても違和感を感じる私も居る。

というのは、母方の祖母には「訛り」が一切無かったからだ。

 母方の祖母は私の記憶の中で、日本語と韓国語の両方がとても流暢な人だった。

韓国語に関しては通訳をやっていたくらい上手で、日本語に関しては「この人は韓国人です。」と言わなければ、祖母が韓国人であることは誰も分からないくらいに、日本語が上手だった。

 これには理由がある。

祖母が青春を過ごしていた植民地統治時代には、韓国語を使ってはいけないという決まりがあったそうだ。

これは祖母から聴いた話だけれども、昼間は日本語で話し、夜中は韓国語でひっそりと誰にも気づかれないように家族で喋ることが当たり前だったらしい。

当然、学校に通えば、日本語を教えられる。

そのせいで、祖母は日本語がとても上手だった。

 祖母には弟が居るが、祖母の弟は日本語が喋れない。

年が離れていることもあるし、植民地統治時代の記憶はごくわずかな為、日本語を喋ることができないそうだ。

姉弟という関係なのに、生まれるのが早いか、遅いかで、その人の喋る言葉が決まってしまうのは面白い。

 祖母はあの時代にしては珍しく、大学を出て、国語の先生として小学校で働いていた。

 その後、母を育てるために日本にやって来たのだが、年に何回か、母と一緒に韓国の実家に帰省していたそうだ。

 その時に困ったことが起きた。

祖母が市場で買い物をしようとすると、祖母の韓国語を聴いて、ぼったくろうとする輩が多かったそうだ。

 この当時、韓国は非常に貧しい国で日本から来たお客さんは全て金持ちと考えられていた時代だ。

どうやら祖母は日本人と間違われていたようだ。

 それを観た祖母の弟は「姉さん、市場で買い物をする時は、俺が行くから黙っていてよ。」と言って、市場に行く時は必ず、弟同伴になったそうだ。

韓国で国語の先生をやっていた祖母はどんな気持ちだったのだろう。

 私はこの話を最初に聴いた時、「海外で長く生活していて、言葉を忘れただけでしょ。」と思い込んでいた。

 だが、どうやらそれは違ったようだ。

とある大学の先生が、ツイートしていたことだけれども、植民地統治時代に教育を受けた韓国人たちの韓国語を読んでみると、とても「日本語」的な表現が多いらしい。

 あの時、祖母が市場でぼったくられた理由はこういうことがあったからかもしれないと思うと、植民地時代の複雑さを感じた。

 よく日本で言われるのは「韓国語と日本語は文法が良く似ている。」ということだが、実際は韓国語と日本語には表現の差があるので、全く同じ言語とは言えない。

だけれども、日本による植民地支配によって、日本語教育が一般化していくと、韓国語の中に日本語の表現が入り込んでしまったことがかなりある。

それを私たちは「韓国語」として使っている。

なんだか不思議な話だ。

 だけれども、これだけ言えるのは、植民地支配によって、言葉を奪われた人たちは確実に居て、そういう人たちが日常の中で、植民地支配を感じる生活をしていたことは間違いない。

 こんな「言葉を奪われた人たち」を観てきた、私は日本語しか使えない。

そして、「日本語」を使っている立場だからこそ、こんな出来事を書いている。

 私が日本語に拘ってきたのはそんな理由なのかもしれない。

空に向かって「名前」を叫ぶ

 衆議院議員総選挙が終わった。

結果は自公政権の勝利と希望の党の惨敗。そして、立憲民主党の躍進が目立った選挙だった。

 必ずこの時期になってくると話として出るのが「小選挙区制批判」である。

自公政権が大勝してしまったのは民意を反映できない小選挙区制のせいである」と言って、自公政権に反対する人たちが中選挙区制復活論や比例代表制導入論などの「選出制度変更論」を語る。

  しかし、そのような「小選挙区制批判」は果たして、日本の選挙制度を精確に批判しているのだろうか。

 確かに、今回、自公政権が大勝したことは間違いない。

それは勝者勝ち取りになりやすい小選挙区制のお陰であると言える。

だが、小選挙区制批判の前にまず、日本の選挙制度が極めて「制限された」選挙制度であるということは知るべきだ。

 選挙の風物詩と言えば、なんだろう。

私が真っ先に挙げるのは、「選挙カー」である。

選挙カーから流れる「皆様の街に○○が帰って参りました!○○党の○○でございます!お父様!有難う御座います!」という手を振るウグイス嬢とウグイス嬢の美しくも必死な声を聴いた途端、「選挙の季節がやってきた。」と思うのだ。

 だけれども、選挙カーのような乗り物は日本にしかないらしい。
何故、空に向かって候補者の名前を叫ぶような「選挙カー選挙」になってしまうのか。

 それは日本の公職選挙法と関係がある。

日本の公職選挙法では選挙期間中の戸別訪問が禁止されており、さらに候補者が政策を討論するための討論会もない。

なので、選挙カーから空に向かって名前を叫んだほうが、どうやら得票が高くなるそうなのだ。

 さらに選挙カーに乗ったまま、自分自身の政策を語ることも制限されている。

どうやって我が街から選出される政治家を知れば良いのか全く分からない。

選挙期間中に有権者が直接、政治家と話をする機会もないのに、どうやって政治家について考えれば良いのだろうか。
 次は日本の投票システムについて考えてみよう。

 日本の投票システムは自分で名前を書かなければいけない「自書式」である。

だが、ここも良く考えて欲しい。「自書式」投票では字の書けない人たちにどうやって投票しろと言うのか。

 それだったら、候補者の名前に丸を付けるか、マークシートによる「記号式」を採用するべきだ。

 次は視点を変えて、議員になる側の話をしていこう。

国会議員衆議院議員参議院議員)として出馬する際には供託金を支払わなくてはいけない。

供託金の金額はなんと選挙区で出馬する場合は300万円、比例区で出馬する場合は600万円も掛かる。

衆議院議員総選挙の場合、重複立候補制度が認められているので、議員によっては900万円も支払わなければいけない。

 エリートサラリーマンでも選挙に立候補するための900万円を用意することは難しいと思う。

 日本の選挙制度は候補者を知れない選挙制度である上に、お金持ちしか立候補できないような制度なのだ。

 中選挙区制復活論や比例代表制導入論などの「選出制度変更論」を唱えるよりも、まずは、有権者が議員の情報に触れられる制度や議員との距離を縮めるような制度の整備を行うことの方が先だ。

 仮に今のまま中選挙区制を復活させたり、比例代表制を導入したとしても何も変わらないことは目に見えている。

 中選挙区制を復活させれば、かつての55年体制に逆戻りになることは確実だし、比例代表制にしたとしても、政党の意を汲む議員だけになり、政党からパージされる議員が続出し、政党が乱立するのではないかと思う。

というのは、日本の政党の場合、幹事長が公認権を一元管理しているため、公認権を盾に議員が政党のための議員になってしまう。
 これは選挙制度改革とは別の枠組みの話になるが、公認権を都道府県支部に与えることや政党内における開かれた国会議員候補の予備選挙システムを整えることが必要になってくるだろう。

 90年代の政治改革では議員の選出制度の話しかされていなかった。

その結果、現在のような政権が生まれたことは言うまでもない。

 だからこそ、自公政権議席を取り過ぎだから、中選挙区制復活や比例代表制導入論を唱えるのは90年代の政治改革から何も学んでいない証左と言える。

 まずは有権者と議員との関係を近くする改革からだ。 

色のある国会に

  明日は衆議院議員総選挙の投票日だ。

メディアは全て総選挙仕様になっている。

 ある朝のこと、私は家事をしながら、テレビを観ていた。

その時やっていたのは、とある選挙区での対決の話。

ある選挙区では、元議員の妻同士が同じ選挙区で立候補し、選挙戦を戦っていて、

また、ある選挙区では、同じ選挙区で立候補した女性議員同士が、選挙戦でもインターネット上でも火花を散らしているという内容だった。

しかも、その選挙区で立候補している女性候補者は夫が不倫で議員辞職をしたという。

選挙期間中も有権者からそのことをいじられ、女性候補者は苦笑していた。

 この報道を観ながら、私は思わず、「うーん。」と唸ってしまった。

 男性である私は今、家事をしながら生活をしている。

家事をしながら生活をしていると気づくことはたくさんあるけれども、私が思っているのは、働くことも大変だが、家事をしながら生活することも大変だということだ。

  掃除・洗濯は当たり前のこととされているし、当然、給料も出なければ、誰からも褒めらえない。そんな中で生活をしていると、息が詰まってきてしまう。

たまに「働いていた方がこれは楽だな。」と思ってしまう私も居るのだ。

 未だに、家事をすることは女性の仕事とされている風潮がある。

もし、家事をしたことがないという男性が居たら、1日だけでも良いから家事をしてみた方が良い。

どれだけ大変か分かるから。

 その一方で、「政治」は男の仕事とされている。

女性議員が出ているとは言え、まだまだ、政治の世界は「男社会」であり、ヘテロセクシズムな社会だ。

 新内閣が誕生すると必ず、女性閣僚が何人入ったのかと報道されるが、「女性」ということしか注目されないままで終わってしまう。

とりあえず、内閣のひな壇に色を添えるだけとしか考えていないのだろうか。

 日本の政治の世界はとても変な世界で「男社会の常識」を女性議員たちにも押し付けようとする。

彼女たちは男社会が作り上げた「常識」に従って、政治活動をせざるを得ない。

この話は女性議員だけの話ではない。

エスニック・マイノリティーであることをカミングアウトできない政治家だって居るだろうし、セクシャル・マイノリティーであることをカミングアウトできない政治家だって居るだろう。

 誰かが作り上げた不条理な「常識」に従うことが何故、政治の世界で起きるのか。

それは「有権者」からの評判を落としたくないからだ。

 私はあらゆる人から「あんまり、在日だと言わない方が良い。」と言われていた。

わざわざ、私は個人的なことを言うつもりはなかったし、そこまで気にすることもなかったが、こういう言い方をされてしまうと、なんだか不可思議に思ってしまう。

相手がどんな人間だろうが、一緒に何かを成し遂げられればそれで良いと思うのだが、どうやらそういうことを気にする人たちがたくさん居るらしい。

 私たちが生きている社会とはそういう社会だ。

「落ちてしまえばただの人。」という大野伴睦の名言を何よりも「切実」に感じている政治家たちはそんな社会であることを知っているので、不条理な常識に従って、彼らの世界を生きている。

 色のある国会にしていくためには、まず、そんな私が何者かということをしっかり表明出来るような社会にしていくことからだ。

その為には、まず、あらゆる人が自分の言葉で、同じ声の大きさで、語り合うスタイルが必要になってくると思う。

私がこうやって書く言葉もそんなスタイルに未来を託そうとしている行為の1つだと思ている。

 投票日はバイトが入ってしまったので、今日、期日前投票に行ってくる。

「天下国家のために。」という言葉を使って、上から目線な言葉で語る政治家たちよりも、個人の尊厳や幸せを理解し、その上で生命や財産を守ろうとする政治家の方が私は好きだ。

天下国家を上から目線で語る候補者ではなくて、個人の幸せや尊厳を第一に考えられる候補者に私は次の4年間を託したい。

棄権なんて私にはできないよ

  今日、自宅のポストを覗いてみると投票所整理券が届いていた。

街中を自転車で走っていると選挙カーが目立つようになってきた。

選挙の季節がやってきたのだ。

テレビやネットで政治の動きを色々と観て、色々とガッカリすることもあったけれど、こうやって選挙に行けることを嬉しく思う。

 ネットを覗いてみると思想家の東浩紀氏が投票の棄権を呼び掛けていた。

どうやら、今回の選挙は選択肢が少なくて、国税が掛かるし、全てを「くだらない。」と言いたいようだが、そうであれば、東浩紀氏が国政選挙に立候補して、政治家にでもなれば良い。だが、そういう力すらないのだろう。

 彼の主張を読んでいて、パソコンの前で思わず苦笑した。

 だが、彼の文章を読んでいて、私の一票とは一体何だろう?と思いを巡らせることができた。

 私の父や母には帰化する時まで選挙権がなかった。

在日コリアンには国政選挙で国会議員を選ぶ権利はもちろん、地方の首長や地方議会の議員を選ぶ権利すらない。

政党によっては政党の党首選挙にも参加できないような有様だ。

歴史的経緯から観ても、在日コリアンが選挙権を持つということは当たり前だと思うのだけれども、それは日本の法律では禁止されている。

 勘違いされていることではあるが、かつて、在日コリアンには韓国における参政権も持っていなかった。在日コリアンが韓国の大統領選挙や国会議員選挙で投票できるようになったのは最近のことで、選挙に参加する権利もなかったのだ。

 私の父や母、伯父や伯母、当然、祖父や祖母も、日本の参政権も韓国の参政権も有していなかったのである。

 その影響からだろうか。我が家では選挙に行くことが「義務」となっている。

 一番下の妹が選挙権を得た。

だが、妹はどこにでも居る普通の若者で、政治には全く興味が無い。

 ある日、妹が食卓で「選挙行くのかったるいんだよなぁ。今回は行かない。」と言ったところ、母が怒った。

 「あんた!何のために帰化したと思っているの?どれだけの苦労をしてこの権利を得たか分かってんの?」

 母の剣幕に妹は驚いていた。

 私の母は一家を代表して、帰化手続きを行っていた。

私たちがこの国で生きていくためにはこの国のシステムに合わせて、この国の求めている様々な条件をクリアし、分からない韓国語と格闘し、時には人の助けを借りながら、書類を作成していた母の立場として、妹を怒るのは当たり前のことだ。

ましてや、帰化していなかった時の様々な屈辱を母は体験してきたのだから。

 母の声は本当の「声」だったのだろう。

 そんな帰化した私たちとは別に、様々な事情から日本国籍を取得していない人たちは選挙をどのように考えているのだろうか。

 韓国籍の伯父の家に正月、挨拶しに行った時のことだ。

私が初めて、選挙に行くかもしれないと挨拶の場で言ったところ、伯父が真剣な目をして言った。

「おい、お前、選挙には絶対に行けよ。一票入れて無駄だと思うかもしれないが、俺たちは国籍を変えない限り、選挙なんて行けないんだからな。」

 その後、伯父はとうとうと、日本の政治の話をし始めた。

多分、伯父は選挙権のある私に観えない一票を託していたのだと思う。

 当然、今回の選挙にも私は必ず行く。

他の人たちと変わらない一票を私は投じるかもしれないが、私が投票所で居れた一票はそんな一票すら投じられない人たちの意見も入っているのだ。

 東浩紀氏の呼び掛け文をもう一度読んでいる。

「どこかに投票しなければというのは思考停止です。」

「積極的棄権」

「そんな一票を投じること自体、茶番を演じる議員の掌の載っていることではないでしょうか。」

 私はとことん、茶番を演じる議員の掌で踊ってやろうと思う。

私の一票は一票すら入れられない人たちの意見も入っている。

下らない選挙かもしれないが、選挙権を得るためにどんな人たちがどういう苦労をしているのか、選挙権が得られない人たちがどういう思いをしているのかを観てきている。

 棄権なんて私にはできないよ。

民主主義って何だ?

  ここ最近、テレビを観ていると、ずっと、政局と選挙の話題ばっかりだ。

 不可解な形で安倍首相は衆議院を解散し、民進党がまさかの形で、事実上、解党することになり、東京都知事のこしらえた「希望の党」が誕生し、「希望の党」に反対した民進党の議員が立憲民主党を作った。

ここまで政治の流れが選挙前に動いたことは、憲政史上、無かったことだと思う。

野党勢力は分裂したまま、今日の告示日を迎えた。

 告示日の前日であった昨日、私が幼少の頃から住んでいる街の駅前で、とうとう差別主義者たちによる集会が行われた。

 私はとある人から頼まれた雑用をこなし、急いで現場に向かった。

 地方都市で行われているヘイトスピーチの集会は何かが違う。

東京のような、人の多い街で行われていると、都市の雑音で、差別主義者たちのヘイトスピーチはかき消されるが、地方都市ではそうはいかない。

人が少ないこともあり、一段と目立ってくる。

 私の住む街にも在日コリアンは数多く、住んでいる。

だが、他の在日コリアンの街とは違って、私の住む街の在日たちは日本の人と変わらず生活をしてきた。

そのせいか、私の街では、在日コリアンが多く住む街であるということを知らない人も多いくらいだ。

 そんな街で起きたヘイトスピーチの集会は東京で起きているヘイトスピーチの集会とはまた、違って見えてくる。

  ましてや、その日の翌日は「国民」が主権を行使するための総選挙の告示日だ。

在日コリアンでありながらも、日本国籍を取り、参政権を有しているとは言え、差別主義者たちの言葉に手を縛られたような思いがした。

 選挙戦が始まってから、選挙活動の手伝いをしに行くかどうか迷っている。

私には支持している政党もあるし、支持している政治家も居る。

だけれども、正直、「帰化人」である私が選挙活動の邪魔にならないか?と不安になってしょうがない。

 昔、とある政治家のお手伝いをしたことがあった。

普段からお世話になっている人の紹介で、初めて、私も「政治活動」に参加することができた。

私がやった「政治活動」とは、政治家のビラ配りのことである。

ビラ配りの前に、政治家の事務所で様々なレクチャーを受けた。

 政治家の事務所でのレクチャーは面白い。

ビラの配り方はもちろん、どこの地域に配らなければいけないかも教わる。

そして、政治家が所属している政党への入党や支援者の募集もやっていた。

私は政党への入党や支援者募集の際に、必ず聴くことがある。

「私は元々は在日で、日本に帰化しましたが、政党への入党や党首選挙での投票権はありますか?」

事務所のスタッフはキョトンとしていたが、私にとっては大真面目な質問だった。

 ネットを観れば、「帰化人議員リスト」なんていう悪質なデマリストがあり、そのリストでネトウヨたちが遊んで、「こいつらは中国や韓国のための政治を行っている。」と訳の分からないことを言っている。

 かたや、現実の世界を観てみれば、蓮舫議員の『二重国籍』問題で大騒ぎし、植民地出身の政治家への差別的な言動は今でも続いている。

 こんな状況の中で思うことはただひとつ。

私はなるべく政治の場から離れようということだ。

仮に、帰化人である私が選挙活動に何らかの手伝いをしたとしよう。

それを理由に当選した政治家が批判されてしまうのは非常に心苦しい。

私のせいで支援をしていた政治家に迷惑をかけたくない。

 「そんなことはあり得ない。」という人たちも居るだろう。

だが、私は蓮舫議員の「二重国籍問題」を通して、この国の「良識ある」人々がどのような仕打ちを彼女にしたのかを知っている。

 この国では帰化した人間たちに、この国の政治のアリーナで声を出すことが何時、禁止になったのだろうか。

 こんな政治のアリーナでの発話禁止は帰化していない在日コリアンにまで及んでいる。

私の友人から聴いた話だが、私の友人が駅前で主催した集会に、帰化していない在日コリアンのゲストスピーカーを呼んで、スピーチをしてもらった。

ところが、駅前で、「その人は日本人ではないのに、何故、この場でスピーチをしているのか?」と文句を言う人が現れたそうだ。

 一体、この国の民主主義って何だろう?

私は別に自分が何人であるかは気にしないし、そんなことで、時間を割く意味もないと思っている。

だが、日本国籍を取った今ですら、私の声は「日本人のための民主主義」という言葉によって押しつぶされている。

 私は敢えて、今、問いたい。

帰化人の私は日本の民主主義のアリーナの中で声を上げてはいけないのか?」

 国会前のデモで、SEALDsが「民主主義って何だ?」とコールしていた。

彼らは迷わず、その後に続く言葉として、「これだ!」と言っていた。

 私は未だにこの国で、「民主主義とは何だ?」と問われても、「これだ!」と言えるものが見つからない。

いや、「これだ!」という声すら出せない。

この国の民主主義は日本民族の血を受け継いだ「日本人」だけのものらしいからだ。

 だが、民主主義とはあらゆる人たちが平等な声の大きさで、話し合う政治スタイルなのではないか?

 私は言葉がはく奪されたところから「民主主義」を始めたい。

文化は境界線を超えて

  昨日、ノーベル文学賞の受賞者が発表された。

日本国内では、長年、村上春樹が受賞候補とされていたが、今年は、日系イギリス人のカズオ・イシグロが受賞した。

 実のところ、私はカズオ・イシグロのファンだったので、受賞されたとネットで観た時に思わず、「やったぁー!」と叫んでしまった(笑)

多分、誰かが栄誉を獲得して、叫んだのは2010年のワールドカップでサッカー日本代表デンマークを下した時、以来である。

 カズオ・イシグロノーベル文学賞を受賞したと発表されるや否や、彼の経歴が話題になった。

 彼は長崎生まれの日系イギリス人で、5歳の時にイギリスに渡って、イギリスで教育を受けた。その為、日本語は話せないらしい。

喜びの声の中には彼のノーベル文学賞受賞を日本人による受賞(彼のエスニシティ―的な意味での「日本人」)だと言って、喜んでいる人も居た。

 だが、私はこんな喜び方に違和感があった。

それはカズオ・イシグロの言葉が、「日本人」だからこそ得られた言葉ではないと思っているからだ。

 私の家族は元々、焼肉屋を経営していたので、我が家の食卓には当たり前に「韓国料理」が並んでいた。

私は今まで、家庭で食べる「韓国料理」こそが「韓国料理」であると思い込んでいた。

なので、大学時代、釜山に留学することが決まった時、食には困らないだろうと思っていた。

 だが、その考えは釜山で生活を始めてから、すぐに違うと気づいた。

我が家で出ている「韓国料理」と釜山で食べられている「韓国料理」が全く違うのだ。

確かに、我が家で出ている「韓国料理」に近い、「韓国料理」は釜山にも存在する。

だけれども、釜山で食べられている「韓国料理」とは何かが違う。

 実は釜山で食べられている「韓国料理」は韓国の中でも味が濃く、辛いと言われているらしい。

私のゼミの指導教官は湖西地域の出身だが、釜山料理は味が濃いと言っていたし、朝鮮戦争の影響で、北朝鮮から来た避難民による釜山独特の食文化も存在する。

 まず、食から馴れなければいけないと思い、私は我が家の「韓国料理」との違いを克服するため、一年間、釜山の「韓国料理」しか食べないと誓って、実際に韓国料理しか食べなかった。

 そのお陰で、今では韓国の「韓国料理」が、いや、釜山の「韓国料理」が大好きになった。

釜山留学中は釜山の「韓国料理」のみならず、あらゆる地方の「韓国料理」を食べた。
韓国では全羅南道の料理が美味しいと言われているし、それは認めるが、やっぱり、私の舌に合っているのは、釜山の「韓国料理」である。

 とは言っても、やはり、我が家の在日コリアンの家庭料理も大好きだ。

やっぱり、我が家の焼き肉のタレや我が家のキムチは美味しい。

余所行きじゃない「韓国料理」が食卓に並んでいるとホッとする。

釜山の「韓国料理」を食べている時とは違う安心感だ。

 カズオ・イシグロの話をしていたのに、何で、韓国料理の話をしているのかと思われた方も居るかもしれない。

 だが、考えて欲しい。

カズオ・イシグロは5歳で日本を出て、イギリスで育ってきた。

言わば、多文化な世界で育ち、多文化な中であらゆる言葉や文学に出会って、素晴らしい文学を紡ぎだしてきた人だ。

 カズオ・イシグロの言葉は我が家の韓国料理にもダブってくる。

我が家の韓国料理は父方の済州島の味、母方の祖父の忠清南道の味、ソウルの味、そして、日本の味が混ざって、今の安心感のある「韓国料理」になった。

 文学も食もどちらも人が作り出しているという意味では「文化」という枠に入るだろう。

 「文化」とはそんな人と人との交流やあらゆる文化との「出会い」の中で生まれてくるものだと思っている。

 韓国の韓国料理ではスパムが良く出て来る。

どうやらアメリカの基地があった影響らしいが、これは我が家では出て来ない。

 一方、我が家ではキムチを漬けるのに昆布や魚醤を使う。

韓国で食べているキムチとは違って、出汁が味の決め手になってくる。

実は韓国で出汁を味の決め手にしているキムチを食べたことがない。

 これから異なる文化と出会ったおかげでできた素晴らしいものだ。

 カズオ・イシグロの紡ぎだしてきた文学も同じものだと思っている。

彼は日本映画からも影響を受けながらも、イギリス文学の伝統の最先端に居ると言われてる。

そして、何より食事は身体を癒すための食事であり、文学は精神を癒すための食事みたいなものだ。

 私たちは「言葉」を食べて生きている。

その「言葉」は境界線が無いと示しながらも、境界線と向き合い、あらゆる文化と向き合い、作り上げられたものだ。

 境界線が無いと証明している文化に、一体、誰が境界線を引こうとしているのだろうか?

 境界線を引くことは時に、残酷なことを引き起こす。

そんな境界線を、誰かが引く行為に対抗する時に、境界線を越えた、境界線の存在を否定する文化が光ってくる。

もしかしたら、カズオ・イシグロノーベル文学賞を受賞したのは境界線を引くことを厭わない現代だからなのかもしれない。