Facebookでヘイトコメントをしていた奈良県安堵町の増井敬史町議が辞職した。
増井氏は何名かの国会議員を名指しして、彼らを「在日コリアン」だと決めつけ、「股裂きの刑にしてやりたい」と投稿していた。
この報道がされる際、とある報道機関は「国会議員への侮辱発言」として報道していたが、私はこの見出しに違和感を感じた。
国会議員を「在日コリアン」だと決めつけることは明らかにヘイトスピーチに該当すると考えられるが、もしかしたら、増井氏の立場に立ってみればただの「侮辱発言」なのかもしれない。
ヘイトスピーカーたちは決して、自分たちのやっていることを間違いだとは思っていない、増井氏が会見の中で言ったように「日本のためにやっている。」と本気で思っている。
彼らに社会的な制裁を加えることは簡単だ。
しかし、制裁してしまえばしまうほど、私は逆効果になってしまうのではないかと思う。
昨今のヘイトスピーカーたちを見ていると、社会的制裁をを受けることを「言われもない被害」として語っている。
どうやら言論の自由や表現の自由を行使しているのに、それを侵害されていると思っているらしい。
私たちには分からない彼らの中の被害妄想がそうさせているのだろうが、そういった思考回路を持つ人たちと話し合うのはなかなか難しい。
私は本人の弁明をインターネットで見たが、こうした辞任劇はもしかしたら、思わず、話題が広がってしまったからではないかと感じた。
この辞任を喜ぶ人たちもたくさん居たが、私の心の中では何か違和感だけが残った。
政治家ほど辞めやすい仕事はない。
真面目に仕事をしている政治家さんたちには大変申し訳ないことだが、有権者としてそう感じてしまうことがある。
ずっと昔から、政治家たちを見ていると、何か不祥事があるたびに、議員辞職をし、いつの間にか「みそぎ選挙」と題して、次の選挙を戦い、再び議場に戻っているケースが多いからだ。
本来、「貴方はそこに居るべき人間なのか?」と言いたくなる人間も居るのだが、選挙で勝利したことを口実にあたかも過去の犯してしまったことがなかったかのように居座っている。
確かに、選挙は民主主義国家の中で民意を表明する大切な機会であることは間違いないが、それは不祥事を犯した政治家の禊をするためのものではないはずだ。
増井氏も、もしかしたら、この後に選挙に出馬するつもりなのかもしれない。
そう思うほど、私は怖さを感じた。
だって、何がいけないのかを分かっていないのだから。
彼らに対して「それは違う」と抗議するのと同時に、彼らに対してどうやって間違っているのかと伝えていくことはとても大切になっていく。
偏見はなかなか直るものではないことは経験的に知っている。
だが、こうして分断されている状況の中で、どうにかしてヘイトをまき散らしている側を1人でも減らすための試みを私たちはしていたのだろうか。と思わず自問自答してしまった。
日本では行政システムを見ても、罰を与えるだけで終わってしまう。
だが、ヘイトスピーチの場合は罰を与えるだけではなくて、更生するための手段だって必要になる。
さらにヘイトスピーチをまき散らす側が再び社会の中で共に生きていけるようにすることも大切なことだ。
このような一連の「和解」をどのようにしていくかを考えていかなければこの出来事から何かを学んだとは言えない。
私はこの一連の辞任劇を辞任したからおしまいとする気は毛頭ない。
むしろ、この辞任劇を終わらせるのではなく、ヘイトスピーカーたちを更生させ、再び共に生きる道をどのように構築していくのかと考える機会としたいと思う。
ヘイトスピーカーたちを叩くことは簡単かもしれないが、彼らに痛みを知ってもらい、共に同じ社会の中で生きていけるようにするためにどうするかを考えなくてはいけない。
あの町議をどうするのか。
今、そんなことが問われている。
ねぇ、ムーミン。こっち向いて。
昨日、自転車で街中を走っていると、高校生だと思われる集団が試験の出来を喋りながら帰路についていた。
どうやら一昨日と昨日はセンター試験だったらしい。
例年、センター試験の問題は話題になる。
去年のセンター日本史Aの問題の中に妖怪ウォッチが出ていたようだし、国語の現代文では「おっぱい、おっぱい。」なんていう言葉が載っている作品が出題された。
センター試験を作っている人たちにとって、問題の中にネタを仕込むことが課題になっているのかもしれない。
例のごとく、今年もネタになる問題が出題された。
それは地理Bの問題で、スウェーデンのアニメ「ニルスのふしぎな旅」を例に、言語とアニメの正しい組み合わせを問う問題だった。
そこに登場したのはフィンランドの文芸作品として知られているムーミン。
周りにムーミン好きが多かった私にとって、ムーミン=フィンランドのイメージだったが、受験生にとっては難問だったようだ。
この問題を間違えた受験生たちが試験終了後、一斉にTwitterのムーミン公式アカウントに恨み言をリプライしていた。
その恨み言の中に「国籍書いておけ。」というものがあった。
色々な人がこの問題について語っているが、どのように考えれば良いだろうか。
正直、言って、「国籍書いておけ。」という言葉には背筋が凍った。
受験生にとっては信じられないかもしれないが、国籍を明示することによって、就職できないことがごく当たり前だ。
なので、私のような「在日」にとって、「国籍書いておけ。」という言葉は差別の記憶を思い起こさせる言葉にもなってしまう。
去年、蓮舫議員の「二重国籍」問題があった。
ムーミンという可愛いキャラクターかそれとも蓮舫議員という国会議員かという違いぐらいで「国籍書いておけ。」と周りの人たちが言っていることには変わらない。
私はこのリプライを送った人を責める気はない。
最も問題なのは、「国籍書いておけ。」と言っても構わない社会にしている大人たちの方なのだから。
もし、この受験生が大学に入り、フィンランド文学を専攻したら、ムーミンの「複雑さ」に驚くのではないかと思う。
ムーミンはフィンランドを代表する作品だが、それを書いた作者はスウェーデン語系フィンランド人であり、最初の作品はスウェーデン語で書かれている。
あの問題は一体何だったのかと考える受験生も居るかもしれない。
それは素晴らしいことなのだ。
大学では様々な出来事に対して、疑問を持ち、考え、表現することが求められる。
私が大学生だった頃、西洋政治思想史の先生がこんなことを言っていた。
「良いか。君たちは生徒ではないんだ。学生なんだ。自分で疑問を持って、自主的に学んでいくこと。これが大学生の学びなんだ。」
この言葉は今でも大事にしているだが、大学で学ぶということは高校生まで学んだ知識をもとに、自分が常識だと思っていることを建設的に疑い、また、そこから学問という方法を用いて、様々なことを考えていく。
この問題が解けなかった受験生にとっては、最悪の問題かもしれないが、大学に入った後の学問のきっかけはできたと思う。
そこからどうしていくのかは大学生になろうとしている受験生が考えていくことだが、この問題をきっかけに、大学で学ぶということはどういうことなのかを入学前に考えて欲しい。
センター試験以外でも知的になるための扉はたくさん開いていると思う。
その扉を開いた先に高校では見られなかった新しい世界を見ることができるかもしれない。
是非とも、そんな新しい世界を見るための4年間を過ごして欲しいと思う。
そして、その先の言葉としてこんな言葉が出れば最高だ。
「ねぇ、ムーミン。こっち向いて。」
ヘイトと生きる
去年の12月19日に私の本が出版された。
タイトルは『私のエッジから観ている風景‐日本籍で、在日コリアンで』。
https://www.amazon.co.jp/dp/4907873034/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_LHqpAb9VN51GA
この本が出版される前に、私はいくつかのマスコミで取材を受け、そのうちのひとつ、Buzzfeedからの取材記事が、本の発売に先行して、発表された。
どうやらYahoo!ニュースにも配信されたらしく、トップ画面にも私の顔写真が出たようだ。
Yahoo!ニュースのコメントは以前から評判が悪い。
マイノリティーに関する記事が出るたびに、罵詈雑言のコメントがつく。
私を取材した記事も例外ではなかった。
正直、言うと、私は覚悟していた。
ネットの世界では「在日は死ね。」という言葉がいつも飛び交っている。
私はできるだけ、そんな言葉よりも真摯に私に向き合ってくれる言葉にしか目を向けていなかった。
だが、私の家族は違った。
どうやら家族は私の記事をあのコメント欄も含めて、Yahoo!ニュースで読んでしまったようだ。
母は私に「なんで伝わらないんだろうねぇ。」と嘆息し、「お前が名前を出すことには反対だった。それは家族にも色々と迷惑が掛かるから。お前の出した本のせいで妹がお嫁に行けなくなったらどうするんだろう。」と話し、父は「ああいうやつらは何をするか分からないから気をつけろよ。」と言っていた。
今でも厳然と、帰化した人間を含めて、結婚差別や就職差別は存在する。
以前も書いたが、私は通っていたハローワークで「帰化しているかどうか」と尋ねられたことがあるし、結婚する時にも在日であることを理由に話が無くなるケースもある。
ヘイトスピーチを消す方法はいくらでもある。
法規制や路上に出ることだって、そうかもしれない。
だが、現実的な問題として、差別の問題はやはり消えていない。
私の伯父や父の世代の差別はもっと激しかった。
民族学校の制服を着ているだけで、喧嘩を挑まれることもあれば、逆に喧嘩を挑むことだってある。
役所で様々な生活相談をしても、役人たちに蔑まれるだけだ。
パッチギのような世界はどこにでもあった。
伯父や父たちは喧嘩をしたことを誇らしげに語っているように見えて、喧嘩ではない方法で差別と向き合うことを語っている。
それしか方法がなかったとは言え、やはり、暴力的な方法で立ち向かったことを後悔しているのだろう。
もしかしたら、私なんかよりも伯父や父たちの方がヘイトスピーチにはセンシティブになっているかもしれない。
自分たちが受けていた差別をはっきりと憶えているし、また、ああなってしまうことを誰よりも怖れているのではないだろうか。
社会は進歩したように見えるかもしれないが、差別は形を変えている。
そして、声を出すこともままならない状況は一切、変わっていない。
私は父や母に私の記事を「あまり見ない方が良いよ。」と言っておいた。
酷いコメントを見て、びくびくしながら生活するよりも知らない方がマシだからだ。
ヘイトは誰かの声を押しつぶす。
だけれども、私は酷いコメントがあるからこそ書き続けなくてはいけないと思っている。
言葉は必ず遠い誰かの胸に刻まれるものだからだ。
先日、トルコに住むクルド人の文学を読んだ。
トルコ政府がかつて行った大虐殺の記憶を書き残そうとする作品だった。
読んでいるうちに「お前、友達だったのか!」と叫びたくなった。
私は韓国政府によって、殺された人たちを知っているし、北朝鮮政府によって、殺された人たちを知っている。
遠い土地での虐殺事件を書き残す作品なのに、同じような境遇を分かち合えたことが嬉しかった。
こういう「出会い」が文学の醍醐味なのだろう。
私がこうやって書くことによって、きっと誰かが読んでくれること、誰かが共振してくれることを私は信じてやまない。
だからこそ本を書いたし、今でも書き続けている。
記憶のために
昨日、韓国政府が2015年に日本政府との間で取り交わした慰安婦に関する合意を事実上、見直すことを発表した。
韓国側の発表によれば、朴槿恵政権の交渉過程に瑕疵があったとしている。
私は2015年の段階から慰安婦合意については非常に疑問があった。
慰安婦被害者の方々にお金を握らせて「解決」するのは良い方法ではないと思ったからだ。
そのようなやり方は慰安婦問題を終わらせようとしているだけであり、決して、慰安婦問題を未来に生かすやり方ではない。
文在寅政権が発足して、この合意を検証したが、やはり違和感があった。
それは政府としてできることが何か不足しているのではないかと思ったからだ。
私の母方の祖母はアジア太平洋戦争と朝鮮戦争の2つの戦争を経験した。
彼女は亡くなる直前まで、憲兵が追いかけてくる夢と朝鮮人民軍に追いかけられる夢を見たことを私に語っていた。
祖母にとって、憲兵はクリスチャンを迫害する恐怖の人々であり、朝鮮人民軍は、ともに独立のために立ち上がったにも関わらず、戦争を起こし、独立の仲間たちを殺戮した裏切り者だった。
その恐怖は死ぬまで消えることがなかったのだろう。
戦争中は生きることで夢中だったのかもしれないが、戦争が終わると、戦争中の嫌な記憶と共に生きなければいけない。
きっと、慰安婦被害者の方々も同じだったのではないか。
慰安婦被害者の方々も80年代ぐらいまで沈黙を守っていたが、韓国が少しずつ自由な社会になっていく中で、彼女たちは語り始めた。
それはもしかしたら戦争中の記憶から解放されないことを悟ったからかもしれない。
悲しいことに今、その出来事を経験した人たちは少なくなってきてしまった。
このような状況の中で、個人レベルでは、慰安婦の記憶を語り継ぐ様々な試みが行われているが、政府だからこそできることはあまり議論されていないように思う。
だからこそ、私は日韓両政府合同で、戦時性暴力を禁止する国際条約の制定を行うことを提案したい。
戦時性暴力はかつて大日本帝国が起こした戦争だけの問題ではなく、旧ユーゴスラビアにおける民族浄化やトルコのクルド人をめぐる問題、ロビンギャの問題にまで、あらゆる国際紛争の中で起きている。
戦争と性の問題は悲しいことに、切っても切り離せない関係になってしまっているのだ。
私が今の段階で、最も恐れていることは慰安婦問題が日韓特有の外交問題になってしまうことだ。
本来、慰安婦被害者の方々は韓国以外にも、中国や東南アジア諸国、さらにアジア太平洋戦争中に日本と戦ったオランダにまで広がっている。
これを日韓特有の問題にするのではなく、人権問題として、未来に生かさなくてはいけないのではないか。
私は慰安婦問題をすでに解決済みと考えている日本政府にはもちろん抗議をしたいが、韓国政府に対しても、違和感を感じるのは、慰安婦問題が日韓特有の外交問題になってしまっていて、女性の人権問題としての視点が少ないというところにある。
さらに韓国政府はこの問題について過去の歴史問題としているが、当事者たちにとって、戦争は過去のもので終わるものではない。
韓国は今後、「人権国家」を目指すという。
それは良いことだ。今まで韓国の歴史の中で人権が尊重されるには長い闘いの歴史があった。
慰安婦問題もその歴史の中に入ってくるだろう。
だからこそ、その長い闘いの歴史の結果として、日韓両政府が合同で国際条約を作り上げれば、慰安婦被害者の方々を語り継ぐことができるだろうし、政府としても国際社会に対して、貢献したことを示すことにもなっていく。
私は慰安婦問題という記憶を風化させるために日本と韓国が外交合意するのではなく、その記憶のために、新しい国際条約を作り、本当の意味での「未来志向」の外交を行っていくべきではないかと思う。
誰がために金はある
昨日はサッカー東アジアカップの日本代表VS北朝鮮代表の試合だった。
試合のペースは完全に北朝鮮代表のものだったが、終了直後の井手口のゴールで日本代表は勝利した。
この試合で北朝鮮代表のサッカーが良く機能したと感じた。
カウンターアタック主体のシンプルなサッカーは何度か日本代表のゴールを脅かしていた。
しかし、日本代表の内容はというと・・・・・。
敢えて、言わないでおこう。
サッカーは内容ではなく、結果であるという言い方もできるのだから。
私はこの試合を良い気持ちで観ることが出来なかった。
日本代表が酷い試合をしていたからではない。
今大会では国際情勢や国連の決議を踏まえて、北朝鮮代表に賞金を払わないとしたからだ。
本当にこれで良いのだろうか。
今の朝鮮半島情勢は最悪の状況だ。
1994年の核危機以来、情勢は緊迫化している。
北朝鮮はミサイル実験を続け、アメリカもかなり本気で北朝鮮のミサイル実験に対応しようとしている。
更に近年では、蜜月状態と言われていた中国が北朝鮮に対して強硬な姿勢も見せている。
こんな緊迫からか日本国内における北朝鮮報道は精緻に分析されたものとは言えない。
ここ最近、日本海側で見られる北朝鮮の漁船に関する報道がされているが、北朝鮮の現状を反映しているものとは言えないし、一部では北朝鮮のスパイではないかという噂すらある。
ちなみに私は北朝鮮が嫌いだ。
私は朝鮮戦争で朝鮮人民軍に親族を殺された立場なので、あの国を「祖国」として是認したくない。
北朝鮮を「祖国」している「同胞」たちを見て、「あんなことした挙句に独裁者が人民苦しめてる国の何が祖国だよ。」と思っているぐらいだし、ニュースで北朝鮮に関する報道を見ているだけで感情的になる。
だが、そんな私でもサッカー北朝鮮代表は全く別だ。
なんだか分からないけれども、あの国のサッカーには惹かれる。
古いサッカーだが運動量も豊富で、選手たちの技術も素晴らしい。
どこかこのチームにある固ささえ無くなれば、北朝鮮代表はアジアで一番になれると思う。
もう遠い記憶になってしまったが、かつて、北朝鮮代表はアジアの強豪として知られていた。
1966年のサッカーワールドカップイングランド大会では、予選を突破し、当時、優勝候補とされていたイタリア代表を破って、得点王に輝いたエウゼビオが居たポルトガルと死闘を演じ、ベスト8に輝いた。
北朝鮮ではその時のイレブンは伝説とされているらしい。
それくらい実力がある素晴らしいチームなのだ。
「北朝鮮嫌い」が増えていく中で、実はこういう入り口からまた別の北朝鮮が見えてくるのではないか。
北朝鮮には独裁者が居て、強権的な政治を行い、また、国際秩序に反するような行為を繰り返している。
だが、サッカーを通じて、北朝鮮の別の面を知ることができるかもしれない。
サッカーは世界を平和にする。
ワールドカップ開催中は世界中の戦争が止まるというし、サッカーを通じた交流によって、新しい関係が生まれる可能性もある。
今のこの緊迫した状況だからこそ、北朝鮮代表を受け容れ、優勝したら、賞金も払うべきなんじゃないだろうか。
戦争では多くのお金が使われるが、結果として、破滅に向かっていく。
もし、北朝鮮代表が優勝したら、それは強化資金として使われることを望む。
兵器に金を支払うよりも北朝鮮で代表を夢見る子供たちのために使った方がよっぽど良い。
そんな「伝統」捨てちゃえば?
自民党の竹下亘総務会長が党支部のパーティーで、天皇皇后両陛下が国賓を迎えて招く宮中晩餐会へ同性パートナーを出席させることを反対だと発言した。
竹下氏曰く、同性パートナーは「日本国の伝統に合わない」とのことだ。
巷を見てみると「日本の伝統」みたいなもので溢れている。
12月になろうとする時期に必ず出てくる伝統と言えば「おせち」だ。
私は「おせち」を食べたことがないけれども、どうやら「日本の伝統」らしく、正月になると食べるらしい。
「おせちなんて食べてない。」とか言うと「昔っから食べられているものを大切にしないとダメだよ。」なんて言われる。
だけれども、私たちが知っている「伝統」とは一体何だろう。
日本国の伝統を重んじる方々は国旗や国歌を大切にする。彼ら曰く、国旗や国歌は日本の伝統だそうだ。
日本の国旗と言えば、昔からあるという「日の丸」だし、卒業式で散々、歌わされた「君が代」も雅楽っぽく感じる曲調だ。
だが、どちらとも歴史的に観れば、ごく最近作られたものにしか過ぎない。
「日の丸」が国旗として用いられるようになったのは、幕藩体制だった日本が鎖国政策から転換し、ヨーロッパとも貿易を行うようになった頃だった。
どうやら、それ以前も「日の丸」のような旗は武士の間で使われていたようだが、日本の国旗として扱われるようになったのは、その頃かららしい。
一方、「君が代」はと言うと、明治に入ってから、イギリスの軍楽隊の隊長が提案して、国歌が作られることになった。最初の国歌は薩摩琵琶の「蓬莱山」を歌詞にして、ヨーロッパ風の曲が作られたが、馴染まなかったそうだ。
その後に宮内省の雅楽課の人が作曲し直して、私たちの知っている「君が代」になっているという。
どうやら日本国の伝統を重んじる人たちが大切にしているものも、どこかの段階から作られたものであるようだ。
実は伝統と言われているものほど、どこかの段階で作られたものにしか過ぎない。
国旗や国歌はもちろんのこと、能や狂言もそうだし、落語だってそうだ。
特に落語は、中国の説話や笑い話が元となっているものが多く、中には西洋の話が翻案となって作られているものもある。
私たちが、どういうわけだか知らないが勝手に「伝統」だと思い込んでいて、勝手に崇め奉っているにしか過ぎないのだ。
中国の故事でこんな面白い話がある。
中国で群雄割拠している時代、魏という国に西門豹という役人が居た。
彼が治めていた地方には大きな川があり、その川の氾濫を治めるために、昔から村の娘を川に沈める人身御供の儀式があった。
その儀式では農民たちから多額のお金を取り、巫女たちで山分けしていたそうだ。
なので、農民は貧困なままだった。
そんな状況を見かねた西門豹は、多額のお金を取っていた巫女たちを人身御供として川に沈め、その儀式を止めさせた。
その後、彼はその地域で大規模な灌漑事業を行い、その土地はずっと潤うことになったという。
伝統なんていつでも変えられるということは伝統の根拠として使われる古典が証明しているのだ。
きっと、宮中晩餐会へ同性パートナーを出席させないみたいな悪しき「伝統」は終わらせることができるだろう。
もし、竹下氏と出会ったら、私はこんなことを言うに違いない。
そんな「伝統」捨てちゃえば?
われ怒りて視る、何の惨虐ぞ
朝鮮人あまた殺されたり
その血百里の間に連らなれり
われ怒りて視る、何の惨虐ぞ
私はテレビのニュースを観ていない。
別に、テレビが「真実」を伝えていないからじゃない。
単純に胸糞が悪くなってくるからだ。
神奈川県で、ある男のアパートから9人の遺体が見つかった。
8月から9人もの人間を殺害し、部屋には首が保管されていたという。
食事の時にテレビを観る習慣のある私はこんな猟奇的な事件がセンセーショナルに報じられると、テレビを消して、YouTubeを観る。
こういう時はYouTubeの違法アップロードのテレビ番組がとても有難く感じる。
報道する自由があるとは言え、一視聴者としてはそんな方法で心の安定を保っている。
だけれども、逃げ込んだ先のネット空間にも安らぎは無かった。
Twitterを観ていたら、この事件の犯人が在日だというツイートに出くわした。
どうやら犯人の名字である「白石」という名字が朝鮮系の名字として認知されているらしい。
歴史好きな私にとって、「白石」という名字が極めて「日本的」であることはすぐに分かる。
伊達政宗の家臣だった人の中に「白石」という名字の武士が居たし、昔、流行した『生協の白石さん』という本を思い出しても、「白石」という名字がごく一般にありふれた苗字であることは簡単に分かる。
こんなツイートを観ていて、私は思わず萩原朔太郎が関東大震災後の朝鮮人虐殺が起きた後に詠んだ詩を思い出しざるを得なかった。
ネット上には平気で、凶悪犯罪は在日のせいだとされている。
どういう根拠があるのか私には全く理解ができない。
在日コリアンが何かの事件で捕まれば、すぐに「あの朝鮮人たちは凶悪犯罪しか犯さない。」という言葉が出てくる。
私は全員の在日コリアンが良い人とは思わない。
中には悪人だって居るし、逆に善人だって居るだろう。
私が観てきた在日コリアンは決して、1つの色だけではなかった。
底意地の悪い人。
神様のように性格が良い人。
苦労した顔をしながら、あらゆる言葉を飲み込んで、文字通り「在日」として生きている人。
日本人になって、「在日」として生きている人たちをどこか下に観ながら、自分の「過去」をバラされたくないと思って、ビクビクして生活している人。
悪事に手を染める人。
悪事に手を染める「同胞」を軽蔑しながら、善良に「強く」生きている人。
私はそんな人たちと生活してきた。
もちろん、私は在日コリアン全員を観てきたわけではない。
だけれども、在日コリアンと言っても、あらゆる人たちがひしめき合って暮らしていることは間違いないことだ。
それは日本人だってそうじゃないだろうか。
色々な日本人と会ってきたけれども、色々な人たちが居た。
もし、日本国内で在日ではない日本人による犯罪が起きた時に「日本人の犯罪」という言い方を私はしない。
何故ならば、犯罪を犯したのはその人であって、別に「日本人」という近代が作り上げた民族が犯罪を犯したわけではないからだ。
言葉の海の中に放り込まれた無責任な言葉の先にあったものとは一体、何だろう。
私はブログで何度も書いている関東大震災後の朝鮮人虐殺を思い出す。
あのジェノサイドは得体の知れない「朝鮮人像」が独り歩きした結果、死ななくて良い生命が死んだ。
もしかしたらもう、得体の知れない「朝鮮人」は言葉の海の中で作られているのかもしれない。
私はそんな言葉の海の中で無責任に作られた「朝鮮人」に追われている。
そして、あの時を思い出し、「覚悟」している。
あのことを繰り返したくないからこそ、私はあの事件の犯人を在日だと言うツイートを観て、画面に向かって思わず叫ぶ。
「われ怒りて視る、何の惨虐ぞ」と。
こんな時に私は考えることがある。
それは萩原朔太郎はどんな気持ちで書いていたのかだ。
もちろん、萩原自身に聴かなければ分からないことだろう。
だが、不思議なことに私は萩原の気持ちが少しだけ分かるような気がする。
それは書くことは未来を信じることであり、目の前にある惨状を語り伝えることが出来るということだ。
私はネットの「遊び」に怒りを表明するとともに、こんなバカげたことが行われていたことを語っていきたい。
未来の人たちへ
こんなことがあったんですよ。