関東大震災後の虐殺事件で犠牲になった全ての方々とその子孫たちへ

  関東大震災後の虐殺事件で犠牲になったすべての方々に哀悼の意を表します。

関東大震災から95年目の今年も小池百合子都知事は追悼文を出しませんでした。昨年、私は来年こそは必ず出してくれるだろうと思い、自らの言葉で追悼文を書きました。しかし、その期待は見事に崩れ去り、名もなき人のひとりである私がまた書いております。

 あれから1年が経ちましたが、霊前に報告できることは何ひとつございません。
大変申し上げにくいのですが、もしかしたら、去年よりもさらに酷い状況になっているようにも思います。
できればいい報告を思い、それが果たせなかったのは今を生きている私たちがあまりにも情けないということです。
謹んでお詫びいたします。

  何かいいことを報告することもできず、顔を合わせられない立場ではございますが、今の状況を正直にお伝えしたいと思います。

 本日、あの震災後の虐殺事件で犠牲になった方のお墓に参りました。「誰かひとりでも居て欲しい」と思い、馳せ参じましたが、私の見た限り、その場所には私ひとりしかいませんでした。
 その街で震災後の朝鮮人虐殺で犠牲になった方のお墓があることを教えているという話は耳にしません。もしかしたら、街の人たちもその墓が何故、あるのかも分からないでしょう。ましてや、外部の人たちに来てほしいと言っても、それは無理なことなのかもしれません。
 暗澹たる気持ちになる中、ふと墓前に供えられた花立に目をやると連日の猛暑でほん少ししおれながらも美しく凛と咲いている仏花が供えられていました。

「まだ忘れられてはいない。このことを書かなくてはいけない。」

そんなことを仏花が私に語りかけたと思います。
 今、私たちの街には朝鮮人や中国人、台湾人以外にも多くの外国人が住むようになりました。特に隣街で昔から朝鮮人たちが多く住んでいた川口にはトルコからやってきたクルド人たちが居て、美味しいお菓子を地元の人たちに振舞っています。少しお腹が減れば、新しくやってきた中国人たちの開いた中国料理屋に行き、花椒の利いた麻辣湯を美味しそうに食べます。
 そして、祝い事があれば、エプロンをしたおかあさんと職人気質の店主がやっている懐かしい匂いのする焼肉屋に行きます。
私たちはそうやって生きているのです。

 今、「オールドカマー」と呼ばれる在日たちも日本人たちもこうした人たちとともにどう生きていくのかという課題があります。
 ともに生きていくとは難しいことです。言葉も通じなければ、風習も違う人たちと向き合う中でトラブルもあります。ですが、私たちが守るべきものはそこで生きている人たちが美味しいものを楽しむ日常です。あのときと同じことを繰り返さないという教訓はこうして生きています。

 人の死は2度あると言われています。
1度目の死は「肉体としての死」、2度目の死は「忘却としての死」です。
肉体として消滅することが本当の死ではなくて、その人の存在が忘れられることこそが本当の死であることを意味します。私たちはあの震災で無残に殺された方々の記憶を忘却させて殺すわけにはいきません。
 こうした記憶のある共同体で生きている私たちはこの事実を語り継がなければいけません。
 その記憶を受け継ごうとする人々に人種は関係ありません。誰しもが震災のデマの犠牲になり、差別の被害者になります。

 関東大震災後、朝鮮人以外にも台湾人や中国人も殺され、無関係な訛りのある日本人も殺された記憶も私は引き継いでいます。

 今を生きている子どもたちに未来は明るいと教えるためには過去を見つめる大切さを教えることが大切です。きっと過去を伝える語りの中に亡くなられた方の魂が永遠に生き続けるでしょう。そして、その語りは未来を作ります。

 来年はよりいい報告ができるようにしたいです。
その報告ができるように私はその記憶を受け継いだ人間として語り続けることを止めません。

あの忌まわしい記憶を引き継いだ子孫として。