人柱を立てても災害は治まらない

  本題に入る前に私がこのブログを書く上で信条としていることを書く。まだひよっことは言ってもひとりの物書きとして、同じネタで同じようなことを書くのは嫌だと思うものだ。読者から「それしかネタがないの?」と思われてしまうし、書く側も同じネタだと飽きる。

 これから書く災害に乗じた差別的なデマについては何度もこのブログでテーマにした。これを書くたびに思い出すのは関東大震災のデマで地元の人に無残にも殺されてしまった朝鮮人ことだ。

 実は最近、私が住む街の近所の寺に関東大震災後のデマで虐殺された朝鮮人の墓の存在を知った。初めてそこに行ったとき、墓の前には妙な静寂と緊張があって、「何かを伝えたい」という念のようなものを感じ取った。私が何か書いたとしてもデマはなかなか消えない。こんな現実に押しつぶされそうになりながらも今日も災害とデマの件について書こうと思う。

 関西で記録的な大雨で大きな水害が起きていることをテレビやネットで知る。平成で最悪の犠牲者の数であるという話も聴いた。こうした災害に対しては腰が重いのか政権も動きが遅い。そんな現実を見ていてかなりイラっとしながらもネットでこの水害について情報を得ようとするとまたいつもの災害デマに出くわす。
「こうしたときには外国人窃盗団が強盗をしているそうなのでご注意を。」

「どうやら強盗は地元のナンバー以外の車で各地を回っているらしい。」

 これを読んでいて思うのは年々、デマの質が巧妙化していることだ。私が被災者であれば信じてしまいそうだし、妙なぼかし方がこの話に真実味を与える。3・11のときのデマはもっとくっきりとした輪郭をしていた。しかし、こんな伝え方をされれば信じてしまうのも当たり前かもしれない。かつて関東大震災後に朝鮮人を虐殺した人たちもこんな言葉を信じたのだろうか。

 ずっと言わないようにしようと決めた言葉がある。

それは「昔はよかった。」という言葉だ。昔を美化しても今は何も変わらない。私の中では現実逃避の言葉だと思っていた。

 『在日』というドキュメンタリー映画がある。1997年に公開されたこの映画は光復(解放)50周年を記念して作られ、50年に及ぶ在日の歴史を描いている。『在日』を観たとき、「様々な歴史があってもこれからの若者たちは明るい未来に向かって歩き出す。」ということを監督である呉徳洙氏が伝えたいことだ私は思った。この映画は希望に満ち溢れているし、「在日はやがて居なくなる。これからは韓国系日本人になっていくんだ。」とポジティブに言われたあの時代を表していると思う。

 しかし、現状を見ているとあの映画が想定した明るい未来とは違った。ネットを観ればヘイトに溢れているし、災害のときになると悪質なデマは流れ、災害と差別的なデマの両方に怯えながら生活しなくてはいけない。

 この作品を観たあと、この映画と今のギャップを感じた私は「昔はよかった。」と独り言ちた。
「あんな時代もあったねときっと笑って話せるわ」と中島みゆきは歌っているがまだ笑って話すことはできない。そんな時代が来て欲しいと願いながらも現実はなかなか難しいことをネット世界の言葉の濁流に飲み込まれて思い知った。
 とある地方に行ったとき、昔、大きな水害が起きてどっかから来たよそ者をいけにえにしてそれを治めたという「人柱伝説」を地元の人から聞いたことがある。その話を聞いたときには「そうなんですか。昔はむごいことをしますね。」と思ったがどうやらそれは昔から変わらない。「よそ者」だと見られている人たちを人柱の標的にするかデマの標的にするかの違いだ。今も昔も変わらない事実に気づくが喜ぶことはできない。

 デマを流す人たちにとって「よそ者」は人柱なのだろうか。もうそんなことで災害を治める時代ではないはずのだが。