ボールが描く虹色の夢

  先日、浦和レッズが6-1でアルビレックス新潟に勝ったらしい。久しぶりの大勝と首位にあらゆる人が喜んだ。

   しかし、私はその試合を快く観ることができなかった。それは試合内容に不満があったというわけではない。地元のクラブチームとして不名誉なことがあったからだ。

   5月4日の鹿島アントラーズ戦で、レッズのディフェンダーでお馴染みの森脇良太選手が鹿島のレオ・シルバ選手に対して、「臭い」と発言し、選手同士でもみ合いになった。結果、森脇選手が2試合出場停止になり、あの事件は「終結」することになってしまった。

   森脇選手がいわゆる「元気」なキャラだということはよく知っている。そのキャラが時にチームを元気付け、時に森脇のキャラがチームを危機に陥れることもある。ファンとして言えばこういうことはいつかあるのではないかと思っていた反面、ピッチの上で人種差別と捉えられないような行為をすることはショックだった。

 私が住む街にはあらゆる人たちが居た。教室に行けば、私のような在日韓国朝鮮人の子も日系ブラジル人の子も、残留孤児の帰還者の子も、新しく日本に渡ってきた中国人もクラスメイトとして一緒に過ごしていた。また、学校の中では部落差別に関する教育もされてきた。

 あらゆる人が住んでいたということ以外にも、私の住む街にはある特徴があった。それは野球の話よりもサッカーの話で盛り上がること。そりゃあ、当然だ。何せ、同じ街に2つのクラブチームがあるのだから。毎週土日になれば、試合が終わった後に、それぞれのサポーターが酒場で時に素晴らしいプレーを肴に酒を飲み、時に情けないプレーへの怒りをぶちまけていた。

 最も困るときは我が街の赤のチームとオレンジのチームが対決するときだ。お互いのホームタウンまで電車で10分ぐらいなのでまず、それぞれの駅が殺気立ち始める。試合になればここでは書けないようなヤジは飛び交うし、試合終了後、サポーターたちが溜まっている酒場は荒れに荒れる。どっちが勝ったかということはサポーターたちの顔を見れば一目瞭然だ。

 そんな街の名物風景を私は生まれてからずっと見てきた。そのせいだろうか、私はいつの間にかサッカー好きになっていた。丁度、私が小さい頃は日本代表が初めてワールドカップに出た時でもあった。今では、日本代表の試合はもちろん、時間があれば、Jリーグの試合も、イングランドプレミアリーグの試合も観るようになった。去年の冬頃は高校時代の友人と一緒にJ1の優勝決定戦を観に行った。喜び勇んで、埼玉スタジアムに向かったものの、結局はレッズらしい負け方をして、肩を落として帰ったことを憶えている。 

 私にとって、あの2つのチームはこの街の象徴だと思っていた。あらゆる出自の人たちがこの街には住んでいたし、実際、この2つのチームは外国人選手の活躍によって強くなってきた。そして、このチームを支えていたサポーターたちも色々な出自を持つ人間たちが支えてきた。森脇にとってはもしかしたら、一時の勢いで起こしてしまった過ちなのかもしれない。だが、彼に何だかこの街のことを否定されてしまったような気がした。
 また、悲しいことにこういった事件は今回が初めてではない。以前にも過ちを犯している。それは試合の横断幕に「JAPANESE ONLY」という横断幕を一部のサポーターが掲げたことだった。すぐさまこの横断幕は問題になり、重い処分が下された。

同じことは繰り返されてしまうのだろうか。私がこの街の一員として、できることはこういったことを無かったことにしないこと、そして、この出来事をブログで書くことだと思っている。もう二度とこんなことでサッカーを汚しちゃいけない。

 森脇はもうじき帰ってくる。そんな森脇を私はどうやって迎えれば良いのだろうか。処分が終わって同じことが繰り返されるようなチームを応援したいとは思わない。同じことを繰り返さないためにできることは一体何だろう。