まぁ、いいや、そこにいろい。
談志師匠を好きになったのは若いころに演じていた『源平盛衰記』をYouTubeで聴いたのがきっかけだった。
私が聴いた回では談志師匠がいきなり客席に向かって「立っているのは大変だなぁ。」と語りかける。どうやら、このときのひとり会は満員札止めで立ち見の客がいたらしい。
「チケットを多く売りすぎるのも問題だなぁ。」とひとりごとのように言うと、談志師匠は立ち見の客にこんな言葉を投げかける。
「まぁ、いいや、そこにいろい。」
落語に完全無欠な聖人なんて出てこない。むしろ、どっか抜けた人たちばかりが出てきて、騒動を起こす。そういう人たちは現代だと「生産性がない」とレッテルを貼られておしまいなのだろうが、落語の世界ではどんな人でも「まぁ、いいや、そこにいろい。」でおしまい。「生産性」なんて追及した日には「お前は野暮だね。」と馬鹿にされるのがオチなのだ。
談志師匠はそんな落語を「業の肯定」と定義したけれども、私は落語を「まぁ、いいや、そこにいろい。」と定義したい。
先日、東上野の古い焼肉屋に行ったのだが、エプロンをしたおばあちゃんが一生懸命、客の応対をしていたが「こんな光景を見ることも無くなったなぁ」と少し寂しく思った。
昔は焼肉なんてもてはやされる料理ではなかった。来るお客さんと言えば「同胞」ぐらいで、日本人のお客さんが現れることなんて本当にごくわずか。
それでも、「日本人が寝ているときにも働かなければいけない。」と口癖のように言っていた1世のおじいちゃん、おばあちゃんたちは懸命に肉をさばいていた。
この社会は「まぁ、いいや。そこにいろい。」とは簡単に言わない。だから、泥水をすすりながら、ときに無学であることをけなされても、その一言を聞くためだけに、何でもやっていたのだ。
やがて、商売が認められると、街の人たちは「まぁ、いいや、そこにいろい。」と言ってくれた。いままで同胞しか訪れなかった焼肉屋にも日本人がたくさん来てくれるようになったし、油まみれの汚い店がオシャレになって、今では着物を着た女性が応対し、神棚まで飾ってあるような高級店も現れるようになった。
こうやって生きているのは在日だけではない。街を歩いてみると中国から来た人たちの店に入るとご飯のすすむ麻辣湯を出してくれるし、ちょっと自転車で走ればパキスタンからやってきた人たちが作った美味しいカレーを食べられる。電車に乗って蕨まで行けばクルドの人たちが作った美味しいスイーツを楽しめる。
彼らがお店のなかで一生懸命生きる姿に自分の祖父母を重ねながらその店の味を楽しんでいる。
移民たちが生きる姿はときに汚く見えてしまうかもしれない。だが、私はそうやって生きてきた人たちを誰よりも誇りに思っている。彼らが私の代わりに苦労してくれたおかげで今の私があるからだ。
今日、全国で「反移民デー」と言われるデモが開かれていたようだ。私の地元もその現場になっていて、駅前には「反移民」を訴える人とそれに抗議する人たちがいた。
私はその穏やかではない光景を見て、こう思った。
『こんなに頑張っても、まだ「まぁ、いいや、そこにいろい。」と言えないのか?』
日の丸や君が代が作られるはるか前の人たちはどんな人間が来たとしても「まぁ、いいや、そこにいろい。」と言っていたのかもしれない。
落語の噺は中国やインドから由来したものが多いそうで、落語そのものが移民みたいなものだ。もし、「落語は日本人にしか分からない。」と言えば、サンスクリット語の「ア・バ・ラ・カ・キャ・ウン」から由来していると言われている「あばらかべっそん」が口癖の名人8代目桂文楽が「そんなことを言ったら天が許しませんよ!」と怒るだろう。
同じ伝統だというのであれば、私は国旗や国歌よりも「まぁ、いいや、そこにいろい。」を誰かと生きていくための合言葉にしたい。