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今、震災と向き合う

   2011年3月11日、私は10日前に亡くなった祖母のことを想いながら、これから始まる大学生活の準備をしなければいけない時だった。そんな時に全てをひっくり返すような大地震がやってきた。

   正直、3・11のことについては断片的にしか記憶が無い。被災地から遠く離れた私が住んでいる場所でも酷い揺れがあったこと、両親と共に灯油や米、水を買いに行ったこと、テレビ画面の向こうで津波が無常にも人や建物を呑み込み、背広を着ていた大人たちが作業着に着替え、不眠不休で対応にあたっていたこと、パソコン画面の向こうではこれでもかというくらいに様々な情報が津波のように流れていたこと…。

こんな記憶の断片を今の私は震災の記憶として話をする。

   あの震災から6年経った今、あの時を思い出すと、私を含めた皆が常軌を逸していたことだけは言えると思う。体験したことのない大災害の前で、様々な人がもがき、訳の分からない状況になってしまっていた。それだけは私が語り継いでいく人間として未来に言える唯一のことだと思う。

   あの大きな震災から6年が経ち、あの時、大学入学の準備をしていた私は社会人になってしまった。時の流れを感じるのと同時に、次第に震災から遠くなっていることを感じる。震災以降、様々なことが日本や世界で起きたが、震災直後に比べて、震災を語る場面が圧倒的に少なくなってしまった。

   その代わりに震災を語ると「東北」だけが当事者であるかのように語られるようになった。今では、震災の話となると東北地方で震災の被害にあった当事者たちの今を追った記事や番組が作られ、震災からしばらくして作られた応援ソングが流される。

   あの時、東北地方から遠く離れた土地に住んでいた人々の常軌を逸してしまった状況には目も向けず、震災を東北に押し付けてしまっているかのようだ。

   もしかしたら、震災の当事者を東北に限定するのは、あの時期の常軌を逸した瞬間を私たちが忘れたいだけかもしれない。でも、あの瞬間を無かったことにしないことが今、できることだ。

   今、やることは東北に想いを向けると同時に、常軌を逸してしまった瞬間をもう一度振り返り、その瞬間を「当事者」として語っていくことだ。甚大な被害を受けた人々は未だに甚大な被害の前でぐるぐる回っている。しかし、私たちは違う。あの瞬間を震災で甚大な被害を受けた当事者としてではなくて、また別の視点で見ていたからだ。

その視点を今こそ、語り継ぎ、考えるべき時だ。

 「この国には抵抗の文化が無い」とノーベル文学賞を受賞した私の尊敬するスヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチ氏が言った。まさにその通りだ。この国に抵抗の文化は無い。あったのは無かったことにし、痛みを誰かの押し付けることだけだ。そんなことはもう許されない。私たちの問題なのだから、私たちの言葉で語り、私たちの言葉で抵抗しよう。それがあの時を語ることだ。

 あの震災以降、常軌を逸した日本だけが続いている。そんな常軌を逸した日本を変えられるのはそんな小さな行動からだと私は信じている。