民主主義とは逡巡である

 今日は全国で安倍内閣退陣を求めるデモがあるそうだ。私はやらなければいけないこともあり、ネットの動画でデモの様子を観ることにした。
 どうやら韓国から文書改竄のデモを応援する声も上がっているらしい。かつて軍事政権だった韓国の民主化を日本人が応援していたなんて隔世の感がある。

  韓国では前大統領の不祥事が発覚し、弾劾に追い込み、新大統領を誕生させた。この行動に対して「韓国の人たちは凄い!それに引き換え日本は・・・・・。」という声を見かけた。私は少し複雑な気分になったしまった。
 私の母は1980年代にソウルへ留学したことがある。当時のソウルは今のような華やかなソウルとは違って、軍人が大統領を務めていて、自由で民主的な生活とは程遠い。手紙は検閲されているし、電話が盗聴されていることも当たり前だ。なので人々は政府から監視されない時間を選んで、様々な方法で海外に居る友人や家族たちに韓国の実情を伝えていた。
 そんな夜が当たり前だった韓国の昼は民主化を求める若者たちがデモを起こす時間だ。ソウルの街中を歩いているとデモに巻き込まれてしまい、うっかり催涙ガスを浴びることもあったという。そんな話を笑い話として母からされると私はどういう顔をしていいのか分からない。だけれども、そんな「笑い話」だけではない。
 母が大学構内にたまたま居たとき、目の前で学生が校舎から飛び降りた。どうやら民主化を訴えるために自ら身を投げたらしい。彼女は酒を飲んで、韓国の話をするといつもこの話をして、最後にこんなことを語る。

「あんなに頭の良い学生たちがなんでこんなことをするのか。勉強して議員になればよかったじゃないか。あの民主化運動とは一体何だったのか、まったく分からない。」
 かつての独裁政権と戦って何らかの犠牲にならなかった人を探すのはとても難しい。日本に居るはずの私ですら、親戚や友人を辿っていくと犠牲者がそこに居る。
 よく民主化運動を牽引した386世代(1960年代に生まれて、1980年代に民主化運動をした世代の総称)は「真理が勝つと思っている」と言われているが、それは表だけの話だ。彼らは真理が勝つのではなく、真理によってときに残酷なことが起き、その中で悩んでいる。私の母同様、近しい人が生命を落とすのを散々、見ているのだから。

 そんな生命のやりとりの果てに、1987年にようやく民主化を成し遂げた。だけれども、軍事政権時代に起きたような権力者による事件は起き続けた。ようやく権力者の犯罪を起こした大統領を罷免することができたのは2017年のことだ。ここまで来るのに30年もかかった。その間に韓国では発展もあれば、国が潰れかけたこともあった。だけれども、ずっと逡巡し続けたことは間違いない。
 きっと私が複雑な気分になったのは、民主化運動で亡くなった人たちとこの30年ずっと逡巡し続けた今を生きている人たちが忘れられていると感じたからだろう。国境を越えて、留学生としてたまたま生命のやり取りの現場に居合わせてしまった母がいまだに答えを見つけられず、日本で行っている韓国の報道を観ていると何も語らなくなる。彼女の中ではいまだに民主化運動は終わっていないのかもしれない。
  『光州5・18』という映画がある。光州民主化抗争をテーマにした映画だが、ラストシーンでヒロインがトラックに乗って「この事件があったことを忘れないでください。」と拡声器で叫ぶ。
私は日本のデモが良いとか悪いとかそんな話をしたいんじゃない。ただ、韓国の民主化の中で様々な犠牲があったことや民主化した中で様々な逡巡があったことを忘れて欲しくないだけだ。きっと、今、日本でデモが起きているのもそんな逡巡があるということなんだと思うから。

 あの時代を知っている人たちは死というリアルな感触をろうそくを持っている手で触りながら常に死者とともにグルグル回り続けていた。もし、彼らに「民主主義とはなんだ。」と訊いたらこのように言うだろう。

 民主主義とは逡巡である。