懐かしのチョコパイ

  「懐かしさを感じるお菓子は?」と誰かに尋ねられたら私は迷わず、「チョコパイ」と答えると思う。

   我が家は4代続くクリスチャンで、教会に行くことが日課だった。私が小学生のときは、韓国からやってきた牧師さんが牧会を担当する韓国系の教会に通っていた。

  韓国系の教会は日本の教会とは違った文化を持っている。特に違うのは礼拝が終わった後に牧師さんや信徒たちみんなでご飯を食べることだ。もちろん、この場に出てくる料理は韓国料理で、私が初めて在日の料理ではない韓国料理を食べたのはこの場だったと思う。

  皆でご飯を食べるときに私みたいな子どもたちには必ずおやつが与えられる。そのときにおやつとして牧師さんから渡されるお菓子が韓国から送られてきたチョコパイだった。

  初めてチョコパイを口にしたとき、頭の中で「甘っ!」という言葉が頭の中に広がった。のちに私が韓国へ留学することになり、現地で韓国の甘いお菓子を食べたが、あの時代に比べて甘さ控えめにはなっていたもののそれでも日本のお菓子に比べて甘みが強い。

  こうした甘いお菓子が多い理由は韓国が貧しかったからかもしれない。朝鮮戦争後、韓国は物資不足に悩んでいて、特に砂糖が貴重品だったという。韓国の初代大統領の李承晩が記者会見をした際、その場に居た外国人記者に「我が国ではコーヒーの中に砂糖を入れるのではなくて、砂糖の中にコーヒーを入れるのだ。」という自虐じみた冗談を言っていた逸話もあるぐらいだ。

   小さいころの私は韓国のお菓子があまり好きではなかった。甘すぎるし、何かちょっとしつこいと感じたからだ。しかし、今となってはちょっと懐かしいと思える。

   先日、とある人たちと会って、一緒に食事をした。彼女たちは私とは違って、北朝鮮を祖国だとする考え方を持つほぼ同じ年の在日コリアンで、お互いの違いや共感できることを色々話していた。

  ある女性に「朝鮮に是非、行ってみてください。」と言われた。心の中で私は「ごめん。私みたいなクリスチャンは北朝鮮では立派な敵対階層になるから行けない。」と答えておいた。あのとき、私は口籠っていたと思う。

  逆に私は「韓国に行ってみるのはどうですか?」と言ってみるとある子は「行きたいんですけど韓国に国家保安法があるのでちょっと怖いんですよね。」と答えた。

  そのとき、私は彼女たちに「なんだ一緒じゃん!」と言いたくなったけど、なんか嬉しくなかった。

  彼女たちは帰り際に私へ北朝鮮で作ったというイチゴ味のチョコパイをくれた。手渡されたときに「おおっ!懐かしい!」と思った。小さいころ、牧師さんが私に手渡してくれたチョコパイもそんなパッケージだったような気がする。そのチョコパイを帰りの電車の中で一口食べた。

そのとき、「うわっ!久しぶり!」という言葉が私の頭の中で広がった。あの独特の甘さに久しぶりに出会えたのだ。なんだか懐かしい気分になりながら、私は電車に乗って家に帰った。

  6月12日に米朝首脳会談が行われるらしい。それに先立って、トランプは朝鮮戦争終結させるつもりだと意思を表明した。70年間、ずっーと続いていた戦争が終わろうとしている。

   似たようなチョコパイを作る兄弟同士が再び仲良くなれる嬉しい気持ちとまだ自由にお互いの国に行くことが行けない現実がある。

未だに私の中では整理がついていない。

  とりあえずホワイトハウスに韓国と北朝鮮のチョコパイを送ってみようかな。

  いつか私が安心して北朝鮮に行って、彼女たちが自由に韓国に行ける日を願って。