デジクッパを食べていた弁護人

 釜山からの留学から帰ってきて、もう何年も経つがどうしても食べたくなるものがある。

それはテジクッパだ。

日本ではあまり知られていないが、私にとっては思い出の味なのだ。
 テジクッパとは釜山の名物料理で、豚骨スープのクッパと言えば良いだろうか。スープの具には豚肉や豚の内臓が入っている。

日本の豚骨ラーメンの濃厚なスープとは違って、ちょっと薄い。なのでそこにキムチやニンニク、セウジョをぶち込み、「お前、花の慶次を読み過ぎたんじゃないか?」というぐらいに豪快に食べる。

 釜山っ子には必ずお気に入りのテジクッパ屋があって、そこで釜山の名物焼酎チョウンデイをあおりながら、一緒に食べるのが流儀だ。
 私が初めて、テジクッパに出逢ったのは釜山に来たて頃だっただろうか。初めて食べた時の感動は忘れられない。感動のあまり「この味が良いねと君が言ったから4月6日はテジクッパ記念日」という短歌を読んだぐらいだ。留学して楽しいときも、辛いときも、私はずっとテジクッパを食べていた。
 実は私が通っていた大学の近くに釜山で一番美味しいテジクッパ屋のお店があった。値段は5500ウォンでなんとご飯お代わり無料。キムチ食べ放題。という店だ。

私はここを「天国」と呼んでいた。

その気になれば永久にテジクッパを食べられるのである。
 今、これを書いていて思い出したのだが、競艇場に行ったときに、甲類のでっかい焼酎のプラスティックボトルを持ってきていたおっさん2人組が無料で使えるポットを使って、半永久的にお湯割りを楽しんでいた。

それを見た私は「ああ、スティーブ・ジョブズの言っていたThink Different」ってこういうことかと思ったものだ。

 そう!Think Differentは釜山にもあったということだ。

イノベーションはこうやって起きていく。

日本のジョブズこと競艇場のおっさんたちは釜山に来たら新しい技術革新を起こすことだろう。

 ちなみに日本でテジクッパを食べられるお店を見たことがない。テジクッパを置いている店を見たことがあるのだけれども、私個人としてはテジクッパを煮詰めるための大きな鍋が店の前になくてはいけないと思っているのだ。あれで豚骨が煮られるのをじっくりと見るのが好きだった。

 釜山の口の悪いおっさんたちはその鍋を見て、「おい!北の3代目もこれで煮るか?」なんて言う。私が釜山に行ったときはちょうど、南北が少しずつ緊張し始めたころだったが、そう言ったのは時期だけの問題じゃないことを私は知っている。
 留学から帰ってきて3年が経つ今日、私は朝早く起きて、南北首脳会談の実況中継を観ていた。

金正恩国務委員長が自らの足で38度線を越えて、文在寅大統領に握手した。

戦争がようやく終わる。

心の底からそう思った。
 テジクッパ朝鮮戦争北朝鮮から逃げてきた避難民たちが作り出した料理だ。当時、釜山には朝鮮半島全土から避難民がたくさん集まっていて、物資不足に悩まされていた。北朝鮮出身のとある料理人が故郷の味を作ろうとしたが、材料だった鶏がなく、たまたまあった豚肉の切れ端や豚骨をじっくり煮込んでクッパとして出したそうだ。するとたちどころに釜山で大人気になり、やがて、名物になっていった。

 文在寅大統領は釜山から近い巨済島の出身で、彼の父母は朝鮮戦争の避難民だ。6歳のときに釜山に引っ越してきて、貧しい幼少時代を過ごしていた。青年になった彼は民主化運動をしながら司法試験に合格して、故郷の釜山にあった弁護士事務所に入り、そこから同僚弁護士の政界進出を陰で支え、やがては大統領にまでなった。

 彼は北朝鮮から逃げてきた避難民たちが戦争で全部を失い、どんな生活をしていたのかを見てきている。つまり、テジクッパの味を本当の意味で分かっているということだ。
 どうやら平壌から冷麺が来ているらしいが、テジクッパも持って来れば良かったのに。

本当の意味で統一するというのはそういった歴史にも向き合って、二度とそんなことが起きないようにすることだし、人々の自由と権利が認められるような社会にすることだからね。

こんなときだからこそ板門店で食べたいものだ。