南とか北とか

 平昌オリンピックが始まった!
韓国に住んだことのある私は「ええ!あんなところでオリンピックをやるのか!」という気持ちだ。平昌はどこよりも寒いし、交通の便が良いイメージもない。
どうやらこの寒さには日本選手団もやられているらしい。
 今回のオリンピックで主役になったのは北朝鮮だった。この大会に合わせて、金正恩の妹である金与正が韓国にやってきたし、南北統一チームも結成された。
 南にも北にも親戚が居る私としては喜ぶべき「統一オリンピック」なのだろうけれども、なんだか喜べない。むしろ、私の中にある気持ちはより一層複雑なものになったと思う。
 南北が融和すると「統一」、「分断された民族」、「民族の念願」なんていう言葉が在日、日本人関係なく頻発する。
特に同胞社会は「統一」という言葉が大好きだ。
そりゃ、当たり前。だって、私みたいに、南にも北にも家族が居る人たちがたくさん居るんだから。
でも、私はそれらの言葉をあらゆる場面で触れながら、こんな気持ちになってしまう。
「そんな安易な言葉で未だに終わっていない歴史を片付けるなよ。」と。
 私の家族は変な家族だ。父方は済州島の出身で、母方はソウルのど真ん中でクリスチャンとして生活していた。そして、双方ともに色んなことに巻き込まれ、どういうわけだか日本の地で普通に生活している。
 私の母方の祖母は朝鮮戦争を経験し、祖母の義兄は戦争中、北朝鮮に連行されたまま帰ってこない。
私が大学に合格したことが分かったとき、祖母はこんなことを言った。
「いいかい、絶対にパルゲンイになってはいけないよ。北の連中と同じようになってしまうから。」
 だが、その一方、祖母は済州島への忌避感もあった。
それは反共主義者であった祖母にとって、済州島が「反乱」を起こした島だったからだ。
済州島出身者であることは隠せ。」

そのように私は教えられてきた。

 1950年から朝鮮半島は戦争を続けている。一応、教科書的には1953年に終わっているらしいが、それは戦闘状態が終わっているにしか過ぎない。
この戦争では南と北が双方に殺しあった。
南の人間たちは罪のない人たちを「パルゲンイ(アカ)」と決めつけ、虐殺し、北の人間たちは一緒に独立運動を戦ってきたクリスチャンたちを「親日分子」と決めつけ、北朝鮮に連れて行って、虐殺した。
 そんな国家間の戦争の中で残ったのは、憎悪と分断と「民族や国家」を利用する独裁者たちだった。
 韓国の方は1987年6月29日をもって、なんとか民主化を成し遂げたが、北朝鮮はいまだに独裁体制が続いているし、自由がある体制とは言えないし、今でも北朝鮮では酷い人権侵害が行われている。
じゃあ、韓国が良いのか?と言われたらそれもまた私にとっては微妙な話だ。
 済州島4・3事件の謝罪は行ったものの、国家保安法の関係で未だに共産主義者として韓国政府に抵抗した人たちは犠牲者として認められない。
 南北がそんな状況であるにも関わらず、「統一」とか「南北融和」とかそんな無邪気なことを言っていられないのだ。

 オリンピックが始まってしまうと、そんな複雑な歴史を忘れて、「統一」とか「南北融和」とか無邪気に語る人たちが多くなる。
なんでそんなに無邪気になれるのか私には全く分からない。
オリンピックは平和の式典らしいが、南も北もまだ平和というものとは程遠く、ましておや、「統一」なんていう言葉が寒々しく感じるぐらいの現状が誤魔化されてしまっているように思う。
 大体、こういうことを言うと私は在日や日本人関係なく「そんな小さなこと気にするな」と言われてしまう。だけれども、私にとっては全く小さな出来事ではない。
だって、分断は家族の出来事でもあるんだから、そんな出来事を「小さなこと」として扱いたくない。
平昌はとっても寒いところだけれども、私は日本の地で「統一」という言葉に「寒さ」を感じていた。