記憶のために

 昨日、韓国政府が2015年に日本政府との間で取り交わした慰安婦に関する合意を事実上、見直すことを発表した。

韓国側の発表によれば、朴槿恵政権の交渉過程に瑕疵があったとしている。

  私は2015年の段階から慰安婦合意については非常に疑問があった。

慰安婦被害者の方々にお金を握らせて「解決」するのは良い方法ではないと思ったからだ。

そのようなやり方は慰安婦問題を終わらせようとしているだけであり、決して、慰安婦問題を未来に生かすやり方ではない。

 文在寅政権が発足して、この合意を検証したが、やはり違和感があった。

それは政府としてできることが何か不足しているのではないかと思ったからだ。

 私の母方の祖母はアジア太平洋戦争と朝鮮戦争の2つの戦争を経験した。

彼女は亡くなる直前まで、憲兵が追いかけてくる夢と朝鮮人民軍に追いかけられる夢を見たことを私に語っていた。

 祖母にとって、憲兵はクリスチャンを迫害する恐怖の人々であり、朝鮮人民軍は、ともに独立のために立ち上がったにも関わらず、戦争を起こし、独立の仲間たちを殺戮した裏切り者だった。

 その恐怖は死ぬまで消えることがなかったのだろう。

 戦争中は生きることで夢中だったのかもしれないが、戦争が終わると、戦争中の嫌な記憶と共に生きなければいけない。

 きっと、慰安婦被害者の方々も同じだったのではないか。

 慰安婦被害者の方々も80年代ぐらいまで沈黙を守っていたが、韓国が少しずつ自由な社会になっていく中で、彼女たちは語り始めた。

それはもしかしたら戦争中の記憶から解放されないことを悟ったからかもしれない。

 悲しいことに今、その出来事を経験した人たちは少なくなってきてしまった。

このような状況の中で、個人レベルでは、慰安婦の記憶を語り継ぐ様々な試みが行われているが、政府だからこそできることはあまり議論されていないように思う。

 だからこそ、私は日韓両政府合同で、戦時性暴力を禁止する国際条約の制定を行うことを提案したい。

 戦時性暴力はかつて大日本帝国が起こした戦争だけの問題ではなく、旧ユーゴスラビアにおける民族浄化やトルコのクルド人をめぐる問題、ロビンギャの問題にまで、あらゆる国際紛争の中で起きている。

戦争と性の問題は悲しいことに、切っても切り離せない関係になってしまっているのだ。

 私が今の段階で、最も恐れていることは慰安婦問題が日韓特有の外交問題になってしまうことだ。

本来、慰安婦被害者の方々は韓国以外にも、中国や東南アジア諸国、さらにアジア太平洋戦争中に日本と戦ったオランダにまで広がっている。

 これを日韓特有の問題にするのではなく、人権問題として、未来に生かさなくてはいけないのではないか。

 私は慰安婦問題をすでに解決済みと考えている日本政府にはもちろん抗議をしたいが、韓国政府に対しても、違和感を感じるのは、慰安婦問題が日韓特有の外交問題になってしまっていて、女性の人権問題としての視点が少ないというところにある。

 さらに韓国政府はこの問題について過去の歴史問題としているが、当事者たちにとって、戦争は過去のもので終わるものではない。

 韓国は今後、「人権国家」を目指すという。

それは良いことだ。今まで韓国の歴史の中で人権が尊重されるには長い闘いの歴史があった。

慰安婦問題もその歴史の中に入ってくるだろう。

 だからこそ、その長い闘いの歴史の結果として、日韓両政府が合同で国際条約を作り上げれば、慰安婦被害者の方々を語り継ぐことができるだろうし、政府としても国際社会に対して、貢献したことを示すことにもなっていく。

 私は慰安婦問題という記憶を風化させるために日本と韓国が外交合意するのではなく、その記憶のために、新しい国際条約を作り、本当の意味での「未来志向」の外交を行っていくべきではないかと思う。