自民党の竹下亘総務会長が党支部のパーティーで、天皇皇后両陛下が国賓を迎えて招く宮中晩餐会へ同性パートナーを出席させることを反対だと発言した。
竹下氏曰く、同性パートナーは「日本国の伝統に合わない」とのことだ。
巷を見てみると「日本の伝統」みたいなもので溢れている。
12月になろうとする時期に必ず出てくる伝統と言えば「おせち」だ。
私は「おせち」を食べたことがないけれども、どうやら「日本の伝統」らしく、正月になると食べるらしい。
「おせちなんて食べてない。」とか言うと「昔っから食べられているものを大切にしないとダメだよ。」なんて言われる。
だけれども、私たちが知っている「伝統」とは一体何だろう。
日本国の伝統を重んじる方々は国旗や国歌を大切にする。彼ら曰く、国旗や国歌は日本の伝統だそうだ。
日本の国旗と言えば、昔からあるという「日の丸」だし、卒業式で散々、歌わされた「君が代」も雅楽っぽく感じる曲調だ。
だが、どちらとも歴史的に観れば、ごく最近作られたものにしか過ぎない。
「日の丸」が国旗として用いられるようになったのは、幕藩体制だった日本が鎖国政策から転換し、ヨーロッパとも貿易を行うようになった頃だった。
どうやら、それ以前も「日の丸」のような旗は武士の間で使われていたようだが、日本の国旗として扱われるようになったのは、その頃かららしい。
一方、「君が代」はと言うと、明治に入ってから、イギリスの軍楽隊の隊長が提案して、国歌が作られることになった。最初の国歌は薩摩琵琶の「蓬莱山」を歌詞にして、ヨーロッパ風の曲が作られたが、馴染まなかったそうだ。
その後に宮内省の雅楽課の人が作曲し直して、私たちの知っている「君が代」になっているという。
どうやら日本国の伝統を重んじる人たちが大切にしているものも、どこかの段階から作られたものであるようだ。
実は伝統と言われているものほど、どこかの段階で作られたものにしか過ぎない。
国旗や国歌はもちろんのこと、能や狂言もそうだし、落語だってそうだ。
特に落語は、中国の説話や笑い話が元となっているものが多く、中には西洋の話が翻案となって作られているものもある。
私たちが、どういうわけだか知らないが勝手に「伝統」だと思い込んでいて、勝手に崇め奉っているにしか過ぎないのだ。
中国の故事でこんな面白い話がある。
中国で群雄割拠している時代、魏という国に西門豹という役人が居た。
彼が治めていた地方には大きな川があり、その川の氾濫を治めるために、昔から村の娘を川に沈める人身御供の儀式があった。
その儀式では農民たちから多額のお金を取り、巫女たちで山分けしていたそうだ。
なので、農民は貧困なままだった。
そんな状況を見かねた西門豹は、多額のお金を取っていた巫女たちを人身御供として川に沈め、その儀式を止めさせた。
その後、彼はその地域で大規模な灌漑事業を行い、その土地はずっと潤うことになったという。
伝統なんていつでも変えられるということは伝統の根拠として使われる古典が証明しているのだ。
きっと、宮中晩餐会へ同性パートナーを出席させないみたいな悪しき「伝統」は終わらせることができるだろう。
もし、竹下氏と出会ったら、私はこんなことを言うに違いない。
そんな「伝統」捨てちゃえば?