色のある国会に

  明日は衆議院議員総選挙の投票日だ。

メディアは全て総選挙仕様になっている。

 ある朝のこと、私は家事をしながら、テレビを観ていた。

その時やっていたのは、とある選挙区での対決の話。

ある選挙区では、元議員の妻同士が同じ選挙区で立候補し、選挙戦を戦っていて、

また、ある選挙区では、同じ選挙区で立候補した女性議員同士が、選挙戦でもインターネット上でも火花を散らしているという内容だった。

しかも、その選挙区で立候補している女性候補者は夫が不倫で議員辞職をしたという。

選挙期間中も有権者からそのことをいじられ、女性候補者は苦笑していた。

 この報道を観ながら、私は思わず、「うーん。」と唸ってしまった。

 男性である私は今、家事をしながら生活をしている。

家事をしながら生活をしていると気づくことはたくさんあるけれども、私が思っているのは、働くことも大変だが、家事をしながら生活することも大変だということだ。

  掃除・洗濯は当たり前のこととされているし、当然、給料も出なければ、誰からも褒めらえない。そんな中で生活をしていると、息が詰まってきてしまう。

たまに「働いていた方がこれは楽だな。」と思ってしまう私も居るのだ。

 未だに、家事をすることは女性の仕事とされている風潮がある。

もし、家事をしたことがないという男性が居たら、1日だけでも良いから家事をしてみた方が良い。

どれだけ大変か分かるから。

 その一方で、「政治」は男の仕事とされている。

女性議員が出ているとは言え、まだまだ、政治の世界は「男社会」であり、ヘテロセクシズムな社会だ。

 新内閣が誕生すると必ず、女性閣僚が何人入ったのかと報道されるが、「女性」ということしか注目されないままで終わってしまう。

とりあえず、内閣のひな壇に色を添えるだけとしか考えていないのだろうか。

 日本の政治の世界はとても変な世界で「男社会の常識」を女性議員たちにも押し付けようとする。

彼女たちは男社会が作り上げた「常識」に従って、政治活動をせざるを得ない。

この話は女性議員だけの話ではない。

エスニック・マイノリティーであることをカミングアウトできない政治家だって居るだろうし、セクシャル・マイノリティーであることをカミングアウトできない政治家だって居るだろう。

 誰かが作り上げた不条理な「常識」に従うことが何故、政治の世界で起きるのか。

それは「有権者」からの評判を落としたくないからだ。

 私はあらゆる人から「あんまり、在日だと言わない方が良い。」と言われていた。

わざわざ、私は個人的なことを言うつもりはなかったし、そこまで気にすることもなかったが、こういう言い方をされてしまうと、なんだか不可思議に思ってしまう。

相手がどんな人間だろうが、一緒に何かを成し遂げられればそれで良いと思うのだが、どうやらそういうことを気にする人たちがたくさん居るらしい。

 私たちが生きている社会とはそういう社会だ。

「落ちてしまえばただの人。」という大野伴睦の名言を何よりも「切実」に感じている政治家たちはそんな社会であることを知っているので、不条理な常識に従って、彼らの世界を生きている。

 色のある国会にしていくためには、まず、そんな私が何者かということをしっかり表明出来るような社会にしていくことからだ。

その為には、まず、あらゆる人が自分の言葉で、同じ声の大きさで、語り合うスタイルが必要になってくると思う。

私がこうやって書く言葉もそんなスタイルに未来を託そうとしている行為の1つだと思ている。

 投票日はバイトが入ってしまったので、今日、期日前投票に行ってくる。

「天下国家のために。」という言葉を使って、上から目線な言葉で語る政治家たちよりも、個人の尊厳や幸せを理解し、その上で生命や財産を守ろうとする政治家の方が私は好きだ。

天下国家を上から目線で語る候補者ではなくて、個人の幸せや尊厳を第一に考えられる候補者に私は次の4年間を託したい。