棄権なんて私にはできないよ

  今日、自宅のポストを覗いてみると投票所整理券が届いていた。

街中を自転車で走っていると選挙カーが目立つようになってきた。

選挙の季節がやってきたのだ。

テレビやネットで政治の動きを色々と観て、色々とガッカリすることもあったけれど、こうやって選挙に行けることを嬉しく思う。

 ネットを覗いてみると思想家の東浩紀氏が投票の棄権を呼び掛けていた。

どうやら、今回の選挙は選択肢が少なくて、国税が掛かるし、全てを「くだらない。」と言いたいようだが、そうであれば、東浩紀氏が国政選挙に立候補して、政治家にでもなれば良い。だが、そういう力すらないのだろう。

 彼の主張を読んでいて、パソコンの前で思わず苦笑した。

 だが、彼の文章を読んでいて、私の一票とは一体何だろう?と思いを巡らせることができた。

 私の父や母には帰化する時まで選挙権がなかった。

在日コリアンには国政選挙で国会議員を選ぶ権利はもちろん、地方の首長や地方議会の議員を選ぶ権利すらない。

政党によっては政党の党首選挙にも参加できないような有様だ。

歴史的経緯から観ても、在日コリアンが選挙権を持つということは当たり前だと思うのだけれども、それは日本の法律では禁止されている。

 勘違いされていることではあるが、かつて、在日コリアンには韓国における参政権も持っていなかった。在日コリアンが韓国の大統領選挙や国会議員選挙で投票できるようになったのは最近のことで、選挙に参加する権利もなかったのだ。

 私の父や母、伯父や伯母、当然、祖父や祖母も、日本の参政権も韓国の参政権も有していなかったのである。

 その影響からだろうか。我が家では選挙に行くことが「義務」となっている。

 一番下の妹が選挙権を得た。

だが、妹はどこにでも居る普通の若者で、政治には全く興味が無い。

 ある日、妹が食卓で「選挙行くのかったるいんだよなぁ。今回は行かない。」と言ったところ、母が怒った。

 「あんた!何のために帰化したと思っているの?どれだけの苦労をしてこの権利を得たか分かってんの?」

 母の剣幕に妹は驚いていた。

 私の母は一家を代表して、帰化手続きを行っていた。

私たちがこの国で生きていくためにはこの国のシステムに合わせて、この国の求めている様々な条件をクリアし、分からない韓国語と格闘し、時には人の助けを借りながら、書類を作成していた母の立場として、妹を怒るのは当たり前のことだ。

ましてや、帰化していなかった時の様々な屈辱を母は体験してきたのだから。

 母の声は本当の「声」だったのだろう。

 そんな帰化した私たちとは別に、様々な事情から日本国籍を取得していない人たちは選挙をどのように考えているのだろうか。

 韓国籍の伯父の家に正月、挨拶しに行った時のことだ。

私が初めて、選挙に行くかもしれないと挨拶の場で言ったところ、伯父が真剣な目をして言った。

「おい、お前、選挙には絶対に行けよ。一票入れて無駄だと思うかもしれないが、俺たちは国籍を変えない限り、選挙なんて行けないんだからな。」

 その後、伯父はとうとうと、日本の政治の話をし始めた。

多分、伯父は選挙権のある私に観えない一票を託していたのだと思う。

 当然、今回の選挙にも私は必ず行く。

他の人たちと変わらない一票を私は投じるかもしれないが、私が投票所で居れた一票はそんな一票すら投じられない人たちの意見も入っているのだ。

 東浩紀氏の呼び掛け文をもう一度読んでいる。

「どこかに投票しなければというのは思考停止です。」

「積極的棄権」

「そんな一票を投じること自体、茶番を演じる議員の掌の載っていることではないでしょうか。」

 私はとことん、茶番を演じる議員の掌で踊ってやろうと思う。

私の一票は一票すら入れられない人たちの意見も入っている。

下らない選挙かもしれないが、選挙権を得るためにどんな人たちがどういう苦労をしているのか、選挙権が得られない人たちがどういう思いをしているのかを観てきている。

 棄権なんて私にはできないよ。