名前をめぐる冒険

  Twitterを眺めていると、プレミアム・モルツの宣伝が流れてきた。

「ビール、美味そうだなぁ。」と眺めていると、次々と差別的なコメントが書き込まれれる。

 どうやら、宣伝に出ていた水原希子さんのルーツを攻撃しているらしい。

 この攻撃を観ていて、ビールを飲みたいという気持ちから、一気に何とも言えない嫌な気持ちになってしまった。

 嫌な気持ちになったのはプレミアムモルツの宣伝のコメントだけではない。

こんなコメントが平然と、Twitter上では流されていた。

 

 こんな呑気で、何も考えていないツイートを見て、思わず、あっけに取られてしまった。

 在日コリアンである私には、かつて、2つの名前があった。

1つは日本社会の中で使っている「通名」と、もう1つは韓国人としての名前である「本名」である。

どうして「通名」があるのか? 

わざわざ日本名を使わなくて良いじゃないか。

と思う人も多いだろう。

 だが、日本名でなければ、銀行口座を開けない問題であったり、就職ができない問題などがあり、生きていくためにはどうしても「日本名」が必要になってくる。

そこで、植民地の頃の「創氏改名」の時につけた、名字を「通名」として、用いることになった。

 私は現在、韓国籍から日本籍に帰化して、「通名」を「本名」として、使っている。

この「通名」だが、在日だとバレバレの名字なのだ。

私が本名を名乗ると、「ああ、在日の方ですか?」なんて、奇特な人に言われることもある。

 ある日、父と一緒に食事を共にしていた時のことだった。

父は突然、こんなことを言い始めた。

「どうして、帰化した時に、名字を在日だと分からないような名字にしなかったのだろう。だから、お前、婿養子に行って、名字を変えることだってありだぞ。」

 もう、「通名」すら使えなくなっている現実が私の目の前にあった。

 「通名」を使うな。という人たちが居るけれども、「通名」を使わなければ生きていけないし、そもそも、「通名」で帰化したとしても、日本人だと認めてくれない。

 都合の良い時だけ、日本人らしさを求めて、都合の悪い時には「外国人」だと言って、排除する。

それは名前にしても同じことだったようだ。