最近、ネットを観ていると落ち着かない。
以前から酷くなっていたSNS上のヘイトスピーチがより酷くなり、抗議も増えていっているからだ。
ヘイトスピーチを語る人々、そして、それに対抗する人々といった構造で分けられがちである。
そんな対立構造の中で何かを語る時期を「政治の季節」なんて呼ぶのかもしれない。
私もそんな「政治の季節」の中で過ごしていて、ヘイトスピーチに対抗する側として、様々なことをしてきた。
しかし、そんな対立構造の中で生きていると、何かが忘れられてしまっている気がする。
それは一体何だろう。
私は何度かヘイトスピーチデモのカウンターに出掛けたことがある。
怖かったけれども、実際に自分の目で見てみようと思ったし、いつまでも、当事者である私が安全圏に居るのは変だと思ったからだ。
私がカウンターとして参加したヘイトスピーチのデモは秋葉原と東上野の中間地点で行われていた。
東上野には私の家族と私がおよそ50年近く通っているコリアンタウンがある。
私は街を守りたい気持ちもあって、そのカウンターに出掛けた。
ヘイトスピーチを垂れ流す人々のデモ隊は予想以上に大きな規模だった。
本当に嫌なことばかりを叫んでいる。
カウンターの声もどんどん熱が入ってくる。
私はずっと写真を撮りながら、現場を見守ることにした。
デモも終盤に差し掛かり、東上野の近くの公園で終点を迎えた。
カウンターの人々も公園の近くで、デモ隊に対して、抗議の声を上げている。
すると、私の近くに居たカウンターの男が、デモ隊に襲い掛かろうとした。
私は彼を止めた。
「これ以上やると刺激して、ここに住む同胞に何かあると困るからやめてくれ。」
同胞なんていう言葉は、普段、使わないのに、こんな時に、ふと言ってしまう。
なんだか、そんな言葉を使っている自分が恥ずかしくもなったし、少し嫌にもなった。
デモは「無事」に終了した。
そして、私が制止したカウンターの男に一言、声を掛けた。
「先ほどはすみませんでした。この近くにコリアンタウンもあるので、帰りに是非寄って下さい。」
東上野のお店の人でもないのに、変な言葉である。
男は私の言葉を聴いて、こんなことを言った。
「そうだったんですか。知らなかったです。」
「ええええええ。」
心の中で思いっきり叫んでしまった。
「私たちの街って、忘れられているのか・・・・・・。」
何とも言えない気分になる中、私は帰りに、友人への結婚祝いとして、柚子茶を買いに東上野に出掛けていった。
しかし、路上で声を上げていた人たちを東上野のコリアンタウンで見かけることはなかった。
いつもよりも静かな東上野だったと思う。
「反差別」という掛け声の中で、差別されている側の日常が忘れられていると感じさせられた瞬間だった。
言葉ばかりが先行している「政治の季節」の中で、私がこうやって、ブログを書いているのは、当事者の日常や生活をちょっとでも知って欲しいという気持ちがあるからだ。
はっきり言ってしまえば、在日の話なんて本当にどうしようもないやんちゃな話が多い。
良いおじさん2人がどうしようもないことで殴り合いの喧嘩して、最終的に、奥さんたちが「あんたたち、いい加減にしろよ。」と叫んで、喧嘩が終わったとか、
法的に怪しい年齢の人たちがお酒を飲み過ぎてやんちゃしていたとか、
法事の時にブタを屠って、一家皆で食べてとても幸せだったとか、
焼肉屋の金網を洗うと手がボロボロになる話とか、
そんな話ばっかりだ。
確かに差別されている日常もあるし、大きな社会構造という崖の前で立ちすくむこともある。
でも、そんな日々だけじゃない。
幸せをかみしめている日々も送っている。
もしかしたら、こんな日常の話は「恥ずかしい話」と思って、誰も語らないかもしれない。
だが、私があえて、インターネット上で書くのは、こんな日常の話の中に、差別があった中でも生き抜いた人たちの輝きがあると思うからだ。
在日の持っている歴史や生活や文化は決して、屈辱的なものだけではない。
もし、あの時、差別によって、私の祖父母が生命を落としていたら、私の生命はなかった。
差別がある中でも、彼らなりに決断し、その生命のバトンを私たちに受け継いできた。
在日の歴史や生活や文化はそんな先人たちから渡されたバトンなのである。
私は路上の活動に参加することだけが正解じゃないと思っている。活動の中で見落としがちなものを拾って、後世に受け継いでいくことも、立派な「反差別」じゃないか。
事実、反差別という言葉のない時代の人たちはそうやって生き抜いてきた。
「チョーセン人」だの「カンコク人」だと不条理にバカにされ、貶され、時に殴られても、どうにかして生き抜き、生活をしながら、あらゆる歴史や文化を残してきた。
私が「反差別」を標榜するのは、差別にただ、反対したいからではない。
差別の中で生き抜いた人たちの姿を、差別が跋扈する時代だからこそ語り、そして、その生命の灯火を未来に生きる人たちに託すためである。
それこそが、「反差別」に血を通わせると信じている。
私は路上で活動している人たちに「当事者の気持ちがない!」と上から目線で説教したいわけじゃない。
ただ、恐怖でその場に来られない人、「反差別」という言葉が無かった時代の人たちに、ほんの1秒でも良いから想いを馳せて欲しいだけだ。
もっと言えば、差別されている当事者に出会って欲しい。
日本の教育を受けてきた人たちは、在日のことを知らなくて当たり前だと思うし、「詳しい年代まで知ってね!」なんていうことは言わない。
ただ、出会って欲しいだけだ。
あの時代を生き抜いてきた人たちと一緒に過ごした私にとって、あの時代を生き抜いてきた人たちの送ってきた日常を語り継ぐことがひとつの「反差別」だ。
こんな「政治の季節」には日常の話が忘れ去られるかもしれない。
でも、こんな時こそ、日常や生活や文化や歴史に目を向けて欲しい。
そんなことが路上でのカウンターとは違うスタイルの「差別に向き合うこと」だと思う。
私がレイシストたちから守りたいのはチャンジャを安心して食べられる生活だ。
昔から大切にしてきた私らしさを守るために、私はインターネットという場で、言葉を尽くしている。
レイシストたちもこの文章を読むことだろう。そんな時に、こんな人間の顔があったと思える文章を私は書きたいと思っている。
そして、いつの日か、日本人、在日、韓国人、朝鮮人、カウンター、レイシスト関係無く、焼肉を焼いている七輪を囲むことが私の理想である。