関東大震災後の虐殺事件で犠牲になった全ての方々へ

 関東大震災後の虐殺事件で亡くなられた、全ての犠牲者の方々に、ご冥福をお祈り致します。

 2017年を以て、関東大震災が起きて、94年目になります。あの時の悲劇は時が経ち、記憶から記録になり、現在では歴史教科書に明記されるまでになりました。

 この私もまた、かつて、日本学校で、関東大震災後の虐殺事件を学んだ1人です。この出来事を授業で学んだことは、はっきりと憶えています。日本籍の在日コリアンとして、日本学校に通っていた私にとって、とても衝撃的な内容でした。

 私が生徒だった頃、日本社会の中で、在日コリアンへの圧力は、少しずつ和らいでいた頃で、授業の内容は衝撃的ではありましたが、「もうこんなことはないだろう」と、どこか他人事のように考えていました。

 ですが、あれから94年経った今、関東大震災後の恐怖が少しずつ現実味を帯びてきています。路上では「韓国人や朝鮮人を追い出せ!」というシュプレヒコールが叫ばれるようになり、インターネット上では「朝鮮人を殺せ!」と書き込まれるようになりました。

 虐殺される現実はこうして、復活してきているのです。

 94年前と比べて、綺麗になってしまった東京の街にはまだ、犠牲になった方々の霊が路上で彷徨い続けていたということでしょうか。

 悲しいことに、この虐殺事件の犠牲者の正式な数は分かっていません。それは関東大震災後の混乱があったこともありますが、この事件の重大性を当時の政府は認識せず、むしろ、この虐殺事件を助長する側に回っていた側面があります。

 犠牲者の方へ追悼文を送るとはどういうことでしょう。

それは公権力が、かつての行いを反省し、マイノリティーの生命と財産を守る決意表明です。マイノリティーへの社会的圧力が強くなっていく中で、公権力は戦前の行いを反省した日本国憲法の理念に基づき、人々の生命と財産を守っていかなければいけないのです。それこそ、私たちが信任する政府の役割です。

 悲しいことに、私たちは犠牲者の方々の生命を復活させることはできません。ですが、過去を振り返り、人が死なない未来に変えることはできます。私たちの歴史は決して、成功した歴史ばかりではありません。むしろ、今に至るまで、失敗した歴史が遙かに多く、その失敗の中で、犠牲者が無数に出ました。

 その犠牲者を本当の意味で鎮魂するためには、失敗した歴史を直視し、私たちが同じ過ちを繰り返さないと決意する必要があります。

 関東大震災から94年経った今、虐殺の歴史は記憶から記録になりました。そして、今、風化しようとしています。

 本当の意味で、風化させるとはどういうことでしょうか?それは、このようなことを起こさないと未来に生きる私たちが誓うということです。

 私は公職者でありません。ですが、公職者でない私がこれを書くのは、私はこの国の主権者として、この歴史に向き合わなければいけないからです。

それがこの事件で犠牲になった方々への最大の追悼です。

 私がこれを書いたのは、本当の意味で、関東大震災後の虐殺事件を忘れるためです。

虐殺事件を知った未来の子供たちが「もうこんなことはないだろう。」と授業中に思った時、私は犠牲者の方々が天に昇った瞬間だと思うのです。

 このような瞬間を作っていくことこそ、今の時代に生きている私たちができることです。そして、この瞬間を未だに路上を彷徨っている犠牲者の方々に観て頂ければ、嬉しいです。