シマと島のフットボール

  1か月の間、ずっと書かなければいけないと思いながらもなかなか書くことができない事件があった。かつての私であればすぐに書いていただろうけれども、正直、どうすれば良いのか、そして、どう纏めれば良いのか分からなかったからまとめることはなかったし、この場でも書くことはなかった。でも、そろそろ書いて良いのではないかと思ったし、書かなければいけないことだと思って、パソコンの画面に向き合っている。

 その書かなければいけないことというのはACLで起きた浦和レッズ済州ユナイテッドの件だ。ACLの試合中に逆転された済州の選手が槙野の態度に激高し、試合後、槙野を追いかけまわしたり、レッズのキャプテンである阿部に試合中、ひじ打ちをしてしまった。試合にはレッズが3-2で勝ったものの、レッズも済州もペナルティーを受け、また阿部にひじ打ちをした済州の選手や槙野を追いかけまわした選手には厳しい処分が下された。現在、どうやら済州側は国際スポーツ仲裁裁判所への提訴も考えているらしい。

 様々な事件を起こしたいたレッズに対して済州側が少し過敏になっていた面もあっただろうし、同時に紳士にならなければいけない済州の選手たちにも問題はあったと思う。また、真実を明らかにしなければいけないのと同時に、必要な処分を与えるべきだ。

 しかし、私はこの記事の中でとちらが悪くて、罰せられなければいけないかという話をしたいわけではない。むしろ、こういう事件が起きてしまった後にこそ、サッカーの持つ力とはなんだろう?ということだ。

 日本と韓国のサッカーの試合は白熱した試合になることが多いのと同時に、問題がある試合も数多くあった。かつての日韓戦では韓国側の選手が問題を起こして、日本側から数多くの反発を買っている。(不思議なことに日本に居る私には日本側の選手が韓国側の気分を損ねた話になる話は聴こえてこない。)

 こういう時に必ず日韓戦を2度とやらないという意見が持ち上がってしまう。しかし、そんな2度とやらないという選択を簡単に選んでしまって良いのだろうか?ということだ。

 私は昔、こんな話を聴いたことがある。FIFA会長がイスラエルの首相に対して、イスラエルパレスチナの親善試合を提案したことだ。イスラエルパレスチナは未だに戦争をしている。そんな中でもFIFAの会長は平和の為にサッカーの親善試合を提案した。私はここにヒントが隠されていると思う。

 つまり、ピッチの内外では争いがおこるけれども、実はサッカーは人々を平和にし、ひとつにするためにあるのではないかと。

 どうしても衝突した瞬間にばかり目を向けがちだ。確かにそれはしょうがない。だけれども、この後どうすれば良いのか?ということについては一切語られない。だからこそ、敢えて私は言いたい。あえてレッズと済州ユナイテッドが親善試合をすることはどうだろう。名目は何でも良い。そんな親善試合をして、サッカーの持つひとつにする力を借りてみてはどうだろうか?

 サッカーには衝突がつきものだ。だけれども衝突を衝突したのままにしてはいけない。あえて、サッカーの持つ可能性にかけたいと思っている。

 正直、私はレッズと済州の問題があってから悩んでいた。私にとって、浦和はシマであり、済州島は私の父祖の地としての島であるからだ。そんな立場として言えることは何だろう?ということを考えてきた。だけれども、そういうアイデンティティーの問題と同時に私はひとりのサッカー好きなのである。レッズを好きでいたいし、済州島に思いもはせたい。しかし、サッカーもまた同時に愛したい。だからこそ、サッカーの可能性にかけてみたいのだ。

 この親善試合が行われる日は何時になるかは分からない。だけれども、1人のサッカー好きとして、浦和というシマと済州という島のチームが埼スタで戦う日に両方のユニフォームを着て行きたい。多分、それが私にとって、サッカーに敬意を表することであり、どちらのチームにも敬意を表することであると思うからだ。