車椅子と私たち

  私が小学生の時、生活の時間だったか、総合の時間にやっていたことはバリアフリーに関しての授業だった。主にやっていたことは車椅子の動かし方。生徒を車椅子に乗せて、学校の周りを一周するというものだった。当時、小学生で身の周りに障害者が居なかった私にはこの意味が全く分からず、どこか他人事だったし、車椅子専用のスロープがある意味も分かっているようで分かっていなかったと思う。

 そんな小学生の時の記憶がほとんどかすれてしまった18歳の時、我が家に祖母がやって来た。祖母はずっと一人暮らしだったが、病気で自由に歩けなくなってしまい、私たちの家族と同居することになった。年の割に元気だった祖母が歩けなくなることは私にとって、とても意外でどこかショックだったことを憶えている。

 自由に歩けなくなった祖母と病院に行くときや外に出る時に頼りにしたのは車椅子だった。

私はいつも祖母の車椅子を押す係。小学生の時にたまたま受けていたバリアフリー教育のお陰で、祖母は「貴方が押してくれるととても安心するんだよ。」なんていうことを言ってくれた。

 実は車椅子でどこかに行くということは結構、不便だ。車椅子対応かどうかで、行ける場所が決まってしまう。祖母と一緒に暮らしている時は行く場所が車椅子に対応している場所かどうかということを常に気にするようになっていった。

 すでに祖母が亡くなって6年経つ。車椅子に乗っている身内は居なくなったし、自分が介護の世界に行くこともなかったが、今でも、ほんの少しだけ車椅子対応の場所かどうかを気にしてしまう。

 障碍について考えるとき、障害者と健常者という二項対立で語ろうとする。障害者の権利を尊重するべきであるということは非常に大事な意見である。それと同時に誰しもが怪我や病気をして、障害を持つ立場になるということの視点も語られなければいけない。

 私の祖母はとても元気だった。年の割にはしっかりしていたし、教会の執事や通訳をやっていたぐらいだ。でも、そんな祖母でも、亡くなる1年前は障害を抱え、私たち家族が介護していた。障害を抱える可能性は誰しもがあるものだと思っている。

 そう考えてみると、小学生の時に受けたあのバリアフリー教育はそのことをどこかで教えてくれていたのかもしれない。誰しもが障害を持つということ、そして、車椅子に乗る立場になるということのメッセージを。

良く考えてみれば障害者ではない私たちも車椅子に乗る。体調が悪い時に車椅子に乗って運ばれる人は色々な場所で見たことがある。そんなことを含めて、あの教育は間違っていなかったのかもしれない。

 今日、車椅子の乗っている乗客にタラップを這い上がらせる事件が報道された。航空会社は謝罪し、当事者の男性は航空会社側に車椅子の人でも安心して利用できるようなシステムにすることを求めた。

 この一連の動きを一種の「政治闘争」として捉える人たちが存在する。その背景にはどこかで私たちは障害者にならない。もしくは車椅子に乗ることはないと考えているということなのだろうか。

 私は誰しもが遭遇する可能性の話を「政治闘争」という言葉には置き換えたくはない。障害を抱えている人の権利として、また、私たちも障害を持ち得る存在として常にこのような事件に注視しなくてはいけないと思う。