君たちはキムチを食べたことがあるか?

諸君、私はキムチが大好きだ。

カクテギが好きだ。

チョンガクキムチが好きだ。

白キムチが好きだ。

水キムチが好きだ。

ポッサムキムチが好きだ。

ねぎキムチが好きだ。

水キムチが好きだ。

この地上にあるありとあらゆるキムチが好きだ。

 だが、そんな私にもどうしても苦手なキムチがある。

日本のスーパーで市販されているキムチだ。

見た目は真っ赤なのにも関わらず、口にした瞬間、チーズはどこへ消えた?ばりに辛みが消え、なんだか良く分からない甘さだけが口に残る。

 市販されているキムチを食べた時、「さては、キムチじゃねぇな。オメー。」とひととりごち、気づいたときには皿に取り分けられたキムチを片手に、厨房へ「このキムチを作ったのは誰だ!女将を呼べ!」と怒鳴りこむか、「私に3日下さい。究極のキムチをお見せしますよ。」と言って、東上野のコリンタウンに駆け込む。

 市販されているキムチに毒されている諸君らにはっきりと言っておく。(ちなみにこの言葉を私が使うときはヘルメットを被り、ゲバ棒を片手に、トラメガで叫んでいるものと思って欲しい。)この世の中で一番美味しいキムチは釜山広域市沙上区にあるハプチョンテジクッパのキムチであり、二番目に美味しいキムチはソウル特別市チョンノ3街にあるハルモニカルグクスのキムチであると。

 えっ?全部、韓国の店じゃないかって?韓国には行く余裕がないから日本で同じレベルのキムチを食べたい?

私はそんな貴方に青少年の真剣な相談に答える北方謙三宜しくこのように言うだろう。

「日本でこのレベルと同等の美味しいキムチを食べたければ、東上野のまるきんか第一物産に行け。さらにまるきんに行くついでにチャンジャを買っていくべきだ。毎日、浅草チャンジャカーニバルが楽しめるのだから。」

 だが、まるきんや第一物産に毎日、行けるわけではない。市販のキムチをチゲや豚キムチにしながら私は欲求不満のキムチライフ(意味深)を送っていた。

 そんなある日、ひょんなことから高麗町の山を登ることになった私は、山登りの帰りにJAのお土産売り場でとあるキムチに出会った。

 高麗町とは飛鳥時代辺りに、高句麗が唐に滅ぼされ、日本に渡ってきた渡来人たちが「ここ、故郷に似てる。」という理由で住み着いた土地らしい。とは言っても、どこが故郷に似ているのか、1300年後ぐらいに色々あって、朝鮮半島から日本にやってきた子孫の私には全く分からないのだが、高麗神社という古くからある神社もあり、今でも朝鮮半島との繋がりが深いみたいだ。

そんな土地のJAのお土産売り場にキムチがあった。

それも冷凍されて置いてあるのである。

 キムチを冷凍だと!

キムチを冷凍するということはサッカーの世界でハンドをした上に、レッドカードを出した主審をグーで殴る行為だ。もしくはAKBの総選挙で突然、結婚宣言をするようなものだ。つまり、奴はキムチ界のバロテッリだ。もしくはキムチ界の須藤璃々花と言っても良いだろう。そこまでして、キムチ界の海原雄山こと私に挑む度胸は素晴らしいということで購入した。

  冷凍されているということで、解凍しなければいけなかったが、高麗町から我が家までは1時間くらいある上に、暑い日だったのでとっくのとうに解凍されてある。

 家に帰り、車中で解凍されたキムチを器に盛った姿を観て、小生、思わず腹キュン。

だがここで油断をするべきではない。第一、4時間近くちょっとハードな山道を駆け巡った影響で、腹が減っているのに加え、見た目だけ赤く、なんだか良く分からない原因不明の甘みは私の口の中を突如襲ってくるかもしれない。

 恐る恐る口にしてみると・・・・・・。

 これは美味い!

辛いけれども、ほんのちょっとの甘みがあり、ただ辛いだけではない!

そして、甘さが辛さを邪魔しない!

辛さと甘さの共存をしているぞ!

とうとう私は見つけた!

この喜びはサハラ砂漠のど真ん中でオアシスを見つけたときの嬉しさだ!

日高市良くやったな!

高麗王若光!(どうやら最初に来た渡来人の偉い人らしい)お前が言っていた故郷に似ているという意味が良く分かったよ!

私、凄くキムチについて知って、初めて市販のキムチを好きになることが出来ました!

こうして私は欲求不満のキムチライフ(意味深)から卒業することが出来たのだった! 

 たまに落語とかを聴いていると、「日本人にしか分からない芸能ですね。」なんていうことをマクラで話す噺家が居る。こういう現象は落語だけではない。相撲でも、「日本人力士が横綱にならないといけない。」と言った言説が飛び交っている。

だが、日本人ではない私は普通にオタクと言えるぐらいに落語の音源を聴き、テレビでやっている相撲中継を親と観ている。

 どうして人々が楽しむための文化に、「日本人だけ」という言葉がついていくのだろう。

 キムチ好きの私をうならせた高麗町のキムチは「韓国人だけ」が楽しむものなんだろうか。

 「伝統文化なんだから○○人だけにしか分からないよ!」なんていう人に出会ったら、私は多分、高麗町のキムチを食べさせるその時はきっとこう言うだろう。

「先生、これがほんの私のキムチ(気持ち)です。」