4月3日

 今日は4月3日だ。

日本では今年、年度初めの日となったが、韓国では済州島4・3事件が起きた日として記憶されている。

 69年前の4月3日、済州島で島民たちが南朝鮮単独の国会議員総選挙に反対し、一斉蜂起した。韓国政府は済州島に多くの警察や軍人、反共主義者たちで構成されている自警団を送り込み、島民たちを虐殺。完全に鎮圧された1954年まで6万人の島民が命を失った。

 私の父方の祖父母は済州島の出身だった。

どちらもこの事件が起きる前に日本で定住したようだが親戚たちは済州島に居たようだ。特に父方の祖母は済州島の中で、最も裕福な家の出身で、数多くの兄弟姉妹が居たということを聴いている。だが、祖母の兄弟姉妹の中で長生きした人間というのは祖母たった1人だけだった。

 まだ、父方の祖母が存命だった頃、祖母の兄弟姉妹はなんでそんなに早くに亡くなったのか?と尋ねたことがあった。その時、祖母は「皆、戦争で死んじゃったんだよね。」と寂しそうに語っていた。

 後になって父から聴いたことだが、祖母は自ら、過去のことを語る人ではなかったようだ。何かを聴いたとしても「あの時は苦労したんだよね。」ということしか言わない。私にとってはなんだか不思議な祖母だった。

 そんな父方の祖母とは対称的に、母方の祖母は昔話を良くしてくれた。

 母方の祖母もかなり裕福な家だった。ソウルの中心街の生まれで、日本にやって来るまで、ずっとソウルの中心街で生活をしており、様々な人とも交流を持っていたようだ。

 母方の祖母が亡くなるまでの1年間は私たちの家族と同居していたので、祖母がソウルの中心街で観てきた植民地の頃から5・16軍事クーデターまでの様々なことを私は伝え聴くことができた。

 母方の祖母は生粋の反共主義者だった。朝鮮戦争の際に著名な宣教師だった祖母の姉の夫が拉北されたことをきっかけに反共主義者になってしまったという。

 そんな祖母がどういうわけだか分からないが、ある日、こんなことを私に言ってきた。

「shionちゃんのお父さんは済州島出身だろ?良いかい?余り色々な人に済州島出身だということは言わない方が良いよ。あの島は朝鮮動乱(祖母は朝鮮戦争をこう呼んでいた)の前にパルゲンイ(共産主義者)たちと一緒に国を裏切ったんだからね。あんまり言ってしまうとどう思われるか分からないし、お父さんも傷つくから黙っておくんだよ。」

 私はその言葉を聴きながら、なんだか複雑な気持ちになったのを憶えている。

 済州島4・3事件は 長い間、共産主義者による韓国政府への反乱だとされてきた。だが、近年になって、韓国政府は犠牲者や島民たちに謝罪し、あの時、蜂起した島民たちの名誉を回復しようとしている。

 あの時代を済州島の側で生きたからこそ、何も語らなかった父方の祖母と朝鮮半島の真ん中で生きていたからこそ、時代の流れを見続けていた母方の祖母の間には見えない壁があったことを今になってから気づくことが出来る。

 私にとって不思議だった父方の祖母は国家の裏切り者という汚名から自分自身の身を守るためにずっと黙っていたのかもしれない。

 もし、今、父方の祖母が生きていたら何を私に語るのだろうか?