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キリスト教映画としての『哭声』

 映画『哭声』を観てきた。

 この映画を語る際にどうしてもホラー映画もしくはサスペンス映画として語ってしまいがちだ。確かにこの映画では祈祷師と得体の知れない男である國村隼が激しい呪術対決を行い、グロテスクなシーンも多く見受けられる。

 だが、本当にただのホラー映画なのだろうか?

 韓国の宗教文化を語るとなれば2つの文化に言及しなくてはいけない。

 1つはムーダンの文化だ。ムーダンとは韓国に古くから存在するシャーマンのことで、こちらもキリスト教同様、強い影響を持っている。『哭声』ではこのムーダンが祈祷師として登場してきた。また、得体の知れない男もどうやらムーダンと同等、もしくはそれ以上の力を持っていたようだ。

 そして、もう1つはキリスト教だ。無宗教の人々が多くなったとは言え、韓国ではキリスト教の影響は未だに強く、日本よりも数多くの教会が存在する。また時折、飲食店では聖句の書かれたカレンダーが飾ってある。

 もし、この映画をムーダン文化としての『哭声』ではなくて、韓国に根付いたキリスト教文化としての『哭声』として観た場合、私たちはどのような視点を獲得できるだろうか?

 この映画にはうだつの上がらない田舎の警察官ジョングとその一家(義母、妻、娘)、得体の知れない男、娘に憑りついた悪霊を除霊するムーダン、そして、村で起きている事件を目撃している女が登場人物として現れる。

 祈祷師対祈祷師の映画として観た場合、うだつの上がらない巡査部長とその一家+ムーダンVS得体の知れない男ということになってしまう。

 だが、この映画で最も重要な役回りをしているのは娘を除霊しているムーダンでもなければ、得体の知れないの男でもない。実は上記の構図に出て来ない、村で起きている事件を目撃している女なのだ。

 この映画のラストシーンで、事件を目撃している女とジョングが会話をするシーンがある。このシーンで女は「三度、鶏が鳴くまで家に入ってはいけない」とジョングに忠告をするが、ジョングは祈祷師の電話を信じ、自分の家に入ってしまう。

 事件を目撃した女のセリフは聖書に出てきたある有名な聖句を思い起こさせる。

 「あなた方に言いますが、きょう鶏が鳴くまでに、あなたは三度、私を知らないと言います。」ルカの福音書22.34

 この聖句はキリストが最後の晩餐の時に12使徒の1人であるペテロに言った言葉だ。キリストは最後の晩餐で自身が捕まること、十字架に掛けられること、そして、3日目に甦ることを予言していたが、弟子のペテロはこのキリストの予言に対して、自分はどこまでもついていくと発言した。だが、キリストはペテロが裏切ることを予言した。そして、そのようになってしまった。

 この聖句は様々な解釈のされ方をするが、ペテロが信仰面で挫折したことを描写したのではないかと言われている。だが、ペテロはこの挫折から立ち直り、最終的には12使徒の首座となり、現在では初代ローマ教皇として今でも崇敬されている。

 ここで『哭声』に話を戻そう。

 あの映画ではキリスト教会と聖職者が出ていた。そのキリスト教会とはプロテスタントではなくて、カトリックの教会だった。カトリックではキリストと同様に聖母マリアも崇敬の対象とされている。仮に事件を目撃した女が聖母マリアだとしたら、その構図は大きく変わってくる。

 聖母マリアは人間であるジョングを引き止め続けた。だが、ジョングは聖母マリアの方を向くのではなくて、祈祷師の言葉を信じ、凄惨なラストを迎えてしまった。

 この祈祷師もまた面白い。祈祷師はラストシーンで事件現場の撮影を行っていた。写真はこの映画の中でキーとなっていく。ジョングが得体の知れない男の家に押し入った時、村で起きていた奇妙な事件で犠牲者となった人々の写真が多数存在していた。もし、この写真を祈祷師が撮影し、得体の知れない日本人に渡していたとしたら、どういうことになるだろう?つまり、一家が頼っていた祈祷師も得体の知れない男もこの一家を苦しめていた悪霊ということになる。

 この映画はうだつの上がらない警察官ジョングとその一家+ムーダンVS得体の知れない男という構図ではなく、うだつの上がらない警察官ジョングとその一家聖母マリアVS得体の知れない男+ムーダンという一般の人々とそれを守ろうとする聖母対悪霊連合軍としての構図で出来上がっているのだ。

そして、この映画は祈祷師VS祈祷師ではなくて、聖母マリアに聴き従えなかった人間の物語として観ることが出来る。

 この映画で、聴き従えなかったジョングは悲劇的な最期を迎えてしまうが、果たして一体どうなってしまうのだろうか?

 聖書に出てくる人物たちは神の言うことに聴き従えていない人たちが多い。そんな聴き従えていない人たちはそれ相応の罰を受けている。だが、聴き従えなかったことから何かを得て、そこから復活する人たちが多いことも事実だ。

 ジョングはこれからどのようにして復活をしていくのだろう。

そして、首を垂れていた美しいマリアはジョングに対し、どのような赦しを与えるのだろう。