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拝啓 72年前に『沈黙』を経験した貴女へ

 如何お過ごしでしょうか?貴女が2011年3月1日に亡くなってから早、6年が経とうとしています。6年の間で色々なことがありました。特に大きなニュースと言えば、貴女の孫娘が子供を2人も生んで、立派なお母さんになったことでしょうか。私たちが「お母さん」と呼んでいた貴女の娘は、今では立派な「お祖母ちゃん」です。

 実は先日の日曜日、初めて教会で献金当番としてお祈りをささげた後に、遠藤周作さん原作でマーティン・スコセッシ監督の『沈黙』を観に行きました。

 その中で繰り返される当局の弾圧を観て、まだ、貴女が麗しい少女だった頃、宮城遥拝や神社参拝が強制された時代があったことを話してくれたことを思い出したのです。これは後になってから知ったのですが、当時の植民地朝鮮のクリスチャンたちは遥拝をするかしないかということで様々な議論があって、宮城遥拝や神社参拝を拒否して、当局に捕まり、殉教した牧師も居れば、当局の言いなりになって、宮城遥拝や神社参拝を自ら行った牧師も居たそうですね。そんな中で、貴女は当局の言いなりになることはせず、自分自身の信仰を守る決心をしました。

 確か、宮城遥拝をさぼっていたところ、当局の人間に見つかって、宮城遥拝をするように言われたことがあったそうですね。それでも貴女は当局の人間に自分自身がクリスチャンであることを説明して、宮城遥拝を断固としてしませんでした。とうとう、痺れを切らした当局の人間は出頭だけを命じて、どこかへ去ってしまったと話していましたね。それがまさか終戦の数時間前まで起きていることなんて誰も思わないと思います。

 この話をしている時、貴女の顔は何かに怯えたような顔をしていました。信仰を持っていると示すだけで、死に直結するかもしれないあの時代の雰囲気を私はその顔を通して知ることが出来たのです。

 貴女ほどではないですが、クリスチャンはこの国で何度も試練に会います。この映画の中で、ある役人がクリスチャンに踏み絵を踏ませるとき「形だけだから」なんていうことを言うのですが、そんな言葉をたくさんの人が今でも使っていると思ったのです。

 学校の中で伝統文化の授業ということで、人形作りをさせられそうになったり、宿坊に連れて行かれそうになった時、先生たちは「一応、形だけだから」なんていうことを言ってきました。私はそんな形に拘って、人形作りの授業も宿坊研修もさぼりました。こんな時にふと神様にお祈りをしても何も答えてはくれません。

 もしかしたら、私たちのような人間を見て、ある人たちは「信仰なんていうものは形だけにしか過ぎないのに何に拘っているのか」と言われるかもしれません。しかし、私は神様とともに走り続けた貴女を通して、信仰を守っていくためにどのような命のやり取りがあり、この先に何が待っているかを知っています。貴女はあの事実をただの酷い弾圧話として話したのではなくて、かつての宮城遥拝とは一体何だったのかということを問い続けていました。私もまた、貴女の話を聴いて共に考えているのです。それがきっと神様が私たちに示した「問い」なのでしょう。私たちの神は決して、「答え」は与えません。「問い」を与えて下さるのです。

  妹に聴いたのですが、貴女の曾孫の名前も聖書から取ったそうです。私が生まれたときに父と母と貴女の3人で聖書や聖書辞典を読みながら、韓国でも使える漢字はどういう漢字かということまで考えて、私の名前を付けてくれました。私の妹もまた貴女同様、聖書や聖書辞典をひたすら読みながら、お腹を痛めて生んだ我が子に名前を付けたのです。

 貴女がこの国で必死になって残そうとした信仰の種は大きなものになろうとしています。それは決して『沈黙』などしていないんです。