「野蛮」の中で「野蛮」を見つける

 こんなニュースがあったことは知っているだろうか?12月24日の夜、新千歳空港で中国人観光客が大暴れした。北海道では近年まれに見る大雪が降ったせいで、12月22日から欠航が相次いでしまい、とうとう痺れを切らした観光客が大暴れしてしまったというニュースだ。ここまで大騒ぎになってしまったのは、23日に登場する予定だった観光客が大雪のせいで欠航になり、空港で一晩明かしたのにも関わらず、先に24日当日に出発する予定の客を優先して、搭乗案内したことに原因があったようだ。

 中国ではどうやらこういった遅延や欠航によるケースが多いらしい。こんな遅延や欠航に対してはかなり慣れっこな人々がこのように暴れ出すということはよっぽどのことがあったということだ。だからと言って、暴れ出すのは良くないし、何の解決にもならないけれども、「そんな気持ちにだってなるよな」と思ってしまう。

 今回、この事件を巡って様々なことを言う人たちが居た。そのどれもが「中国人が野蛮である」という言説だった。「こんなところで待つこともできない中国人は本当にマナーが無い。」「中国人には「公」という概念が無い。」なんていうことをいう始末である。 

 昔、ある有名なアメリカの文化人類学者がパプア・ニューギニアの首狩り族の調査をしに、首狩り族の村にやって来た。その学者が村に来た理由は学問ではなく、徴兵されることを怖れてのことだった。当時、アメリカはドイツや日本、イタリアと戦争を行っていて、若者を徴兵していた。どうしても戦争だけはしたくないということで、なんとかしてその村に研究調査ということでやって来たのだった。当初、その学者は首狩り族の勇敢な戦士たちにどうやら負い目を感じていて、村の中で何故来たのかを言うことはなかった。しかし、ある日、その村の一番勇敢な戦士に、村に来た本当の理由を告白した。告白した当初は「馬鹿にされるのではないか」と思ったそうだ。しかし、その勇敢な戦士が彼の告白を聞いて、こんなことを言い始めた。

「お前の国だと一般の人間に戦争をやらせるのか。なんて野蛮な国なんだ。」

 今でこそ徴兵制の国が減りつつあり、頷ける言葉なのだが、この当時は兵隊に行くことが当たり前で「近代的」とされていた時代だ。まして、今以上に「文明」と「野蛮」が強調され、首狩り族のような立場が未開人と考えられていた時代に、この言葉はその学者に衝撃を与えたそうだ。

 「文明」と「野蛮」。そんな二項対立で様々なものを見がちだ。しかし、様々な事情があったとは言え、空港で暴れてしまった中国人観光客を「こんなところで待つこともできない中国人は本当にマナーが無い。」もしくは「中国人には公共という概念が無い」と言ってしまう人々の野蛮さを観ることによって、極めて恣意的な線引きではないかということを私に気付かせてくれる。「野蛮」の中に生きている人々は外の世界の「野蛮」を見つけ、自分たちの「野蛮さ」を「文明的」であるとしたいだけなのかもしれない。