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「分かりやすさ」が売られる世界

   こんなニュースを観た。韓国の次期大統領候補にまつわる報道で候補とされる政治家たちの外交姿勢が「親日」と「反日」の二分で分類されていた。

   私は大学時代、日韓関係のゼミに居たことや韓国に留学したこともあって「親日」や「反日」という括りでは説明ができない韓国の複雑な外交事情を知っていた。

   これだけではない。韓国の大統領弾劾に関する一連の報道でも現地で叫ばれている大韓民国憲法の意味や憲政の意味を一切、解説せず、ただ、崔順実と大統領のスキャンダラスな出来事や韓国の中にある格差、また、韓国のお国柄としての「デモ」という視点でしか報道されていなかった。一体、何が起きているのだろう。

 画面の向こうの「解説者」たちはキャッチーな言葉を使いたがる。例えば「反日」や「親日」なんていう言葉なんか典型的な例だ。

   確かにそんな見方をすればかなり分かりやすい。「反日」や「親日」なんていうレッテルを貼ってしまえば一体、誰が敵で誰が味方なのかが極めて分かりやすく、そして、複雑で知れば知るほど分からない世界であるにも関わらず、あたかも世界の全てを知ったような気になれる。人は不思議なもので、そんな魅力的な刀にとても弱い。

   こんなやり方はどっかで見たことがあると思ったら、アメリカのあの人が出て来た。

そう、次期大統領のトランプだ。

トランプも分かりやすさを武器に様々なものを敵にしていった。標的となった人や標的となる人々はなんとかしてこんな分かりやすい刀を振ります大きな赤ん坊を倒そうとしたが結局、彼が次期大統領に選ばれてしまった。

彼は「分かりやすさ」を武器にして、見事にのし上がったのだ。

   分かりやすいニュース解説番組がテレビでやっているのも、トランプが人気になるのも複雑な世界の不安に対して「分かりやすさ」を買うことで解消しようとしている現れなのだろう。そんな中で忘れられがちなのは「分かりやすさ」の中に一体何があるのかということだ。

   「分かりやすさ」とは何らか編集されている状態を指す。ある複雑な事象があって、それをどこの誰だか分からないような人間の主観で「分かりやすく」解説される。情報の編集に携わる人とはそんな役割だ。

   ある一面から見れば編集ほど暴力的な行為は無い。自分の主観によって、複雑でその前で立ち止まってしまうような言葉の無い世界を加工し、分かりやすさは切って捨てられ。無理に言葉にしてしまうのだから。

だからこそ、編集側には情報の前で立ち止まる理性が求められる。しかし、今用いられている儲かるか儲からないかという理性なのだ。

   トランプを見ていれば一目瞭然だ。彼は複雑さなんか気にしてはいない。彼が気にしていたのは大統領選挙というゲームの中で如何にしてポイントを稼ぐというかということだった。もしかしたら、そんなポイント稼ぎは韓国の次期大統領候補達を「反日」か「親日」かというベクトルでしか見れない日本のマスコミにも言えるかもしれない。トランプはこんな所にも居たのだ。

   「有識者の言うことを信じるな!」「マスコミの言うことを信じるな!」なんて言うつもりはさらさら無い。だけど「分かりやすさ」を提示されて、のこのこ消費してしまうのはそんな奴らの手の上に乗ってしまっている。こんな中で大事なのは「分かりやすさ」を売りにした情報の前で立ち止まることだ。

   社会人になると立ち止まることを許されなくなってくる。でも、立ち止まらなければ見えないものがたくさんある。立ち止まりがあるからこそ豊かな知性が生まれて来たと言って良い。哲学者達はとりあえず思索のために時間を使った。中には奥さんに水を掛けられた人間も居るが、その人たちの知性は明日を見出す言葉として、今に至るまで受け継がれている。

   哲学者達の言葉は分かりにくい。でも、分かりにくいんじゃない。彼らは明晰に語っている。分かりにくいのは立ち止まるためにあるのかもしれない。

   時間に追われ、何かを消費する体制を突き崩していくためにはそんな立ち止まることが最も有効なことだ。そんな立ち止まりを楽しむ人に私はなりたい。