「戦後」を背負わせられた島

 沖縄でオスプレイの事故が起きた。メディアは「不時着」としていたけれど、私のような素人からこの事故を観ていると「墜落」としか思えない。どうやら「不時着」と「墜落」という言葉には機体をコントロールできていたか、できていなかったかという大きな差があるようだ。(これに近いようなことを原発について発言していた日本の政治家が居ましたね。)この事故については調査が進んで色々なことが検証されることを心から願っている。

 この事故が起きた後、名護市の稲嶺市長が現場に向かったとのことだった。事故が起きたのは名護市の沖合だったので現場対応をするために様々な視察が必要だと思ったのだろうか。この視察が良かったか悪かったのかはあえてここでは議論しない。問題だと私が思うのは視察をしに来た稲嶺市長を警察が沖縄防衛局の許可を取っていないとして、追い返してしまったことだと考えているからだ。自国での事故に対して、自国の地方自治体の首長が現場を視察できないとは一体どういうことなのだろう。例えば、これが稲嶺市長が何らかの権限を行使し、市民の生命と財産を侵害しようとしてる中で警察が止めに入るのであればまだ理解はできる。しかし、今回の稲嶺市長の行動は名護市民の生命と財産を奪いかねない事故に対応しようとしての行動だった。一体、この国の暴力装置である警察はどこを向いているのか。今回の事故は沖縄の人々のみならず「内地」に居る私たちにも衝撃を与えた。特にSNSでの反応は凄まじく、この事故の後の米軍関係者の発言もあり、今回の米軍の行動に対して反発する人たちも数多く居た。

 沖縄の基地問題はどうしても画面の向こうのこととして伝えられてしまう。「沖縄の人たちは大変ね。」「沖縄には基地があって本当に苦労しているのね。」なんていう言葉が定型の文句だ。そんな画面の向こうで起きていることは日本で起きていることなのに日本の問題として考えられない。あくまでも沖縄の問題としてしか捉えられない。まるで本当に議論しなければいけないことから逃避しているかのようだ。だが、その一方で、私たちは沖縄に「癒し」を見出そうとしている。沖縄の物産展に行けば沖縄を癒しの島として宣伝しているし、テレビ番組では都会の疲れを癒すために沖縄を旅する企画が流されている。そのどれもが都会の疲れを癒してくれるエキゾチックな島としての沖縄だ。そんな沖縄の姿は喜んで観ようとするのに、基地問題になると誰もが分からないふりをする。沖縄は日本にとって様々な「矛盾」や「疲れ」を忘れさせてくれる都合の良い「島」なのだろうか。

 沖縄には基地に反対する人から賛成する人まで様々な人たちが居るが、基地を抱えながら生きていく日常を送っていることには変わりはない。その日常の中で言葉にならない感情を抱えながら生きている。そんな日常に目を向けず、「内地」の人々に癒しを与えるエキゾチックな島として観続けるならば沖縄はこれからどうなってしまうのだろう。沖縄は今でも「戦後」を背負わせられている。まるで下校途中にじゃんけんで負けて「仲間」のランドセルを背負わせられている子供のように。