見守ってくれた街の近くで

 誰にでも「ふるさと」と言えるものがあると思う。私みたいなディアスポラは必ず「ふるさとはどこなんだ」という不毛な論争をしてしまう。そんな争いにうんざりした私は「オクニは?」と質問されても「うーん、今住んでいるところですかね?」とやり過ごす。そんな私でも「ここはふるさとなんだ」と思える空間が1箇所だけ存在する。それは東上野のコリアンタウンだ。

 我が家では必ず夏と冬にコリアンタウンにある韓国食材店でチャンジャとゴマの葉の醤油漬けとにんにくの醤油漬けを買いに行く行事がある。この夏と冬の行事を私は毎年、楽しみにしていた。ニンニクの臭いがきついのでどうしても学校が無い夏休みと冬休みの時期にしか食べられないからだ。

   私が通う店にはたくましそうなお母さんが居て、そのお母さんが店を仕切っている。そんな空間を見る度に「帰って来たなぁ。」と思いながら、いつもの食品を買って行く。

 今でも大事な人への贈り物はこの店の美味しいチャンジャやゴマの葉の醤油漬けだ。高価な物よりも私が実際に食べて美味しいと思える食べ物を送りたい。それが最大のプレゼントだと勝手に考えている。

 この街に思い入れがあるのは私だけではない。私の父や母の初めてのおつかいはこの街にある韓国食材店で買い物することだったそうだし、親戚も店をやっていたそうだ。私だけではなく、私の父や母、その先の世代から続く大事な空間。そんな空間を私は「ふるさと」と呼んでいた。

 そんな「ふるさと」だと思っている空間の近くでレイシストによるデモが起きた。私は居ても居られず現場に向かった。「ふるさと」だと思っている空間がありもしない言葉で穢されることはなんとしても防ぎたいと思ったからだ。

 カウンターの現場は凄まじい。ありもしないことを垂れ流すレイシストに対して、色々な人たちがカウンターとして抗議をする。そんな光景は「ヘイトスピーチ」という言葉を知らない人から見たら「一体何をしているのか?」とか「喧嘩しているの?」程度にしか思われないかもしれない。実際に路上で何にも関係の無い通行人が「これじゃ、ただの叫び合いじゃん」と独りごちていた。

 私はそんな中では声を出さず、手持ちのiPhoneでひたすら写真を撮っていた。声を出すことよりも私の愛する街で起きていることを後世に伝えたいという気持ちからだった。

 デモは終着地点のある公園に着いた。カウンターの人々もその公園の周りに集まり、大きな声でヘイトスピーチに抗議していた。あるカウンターの人は興奮してしまったのだろうか、拡声器を持ちながら、レイシストに向かっていこうとした。

 その時、私はその場に居た市民を守るはずの警察官よりも先に制止した。

「これ以上やると刺激して、ここに住む同胞に何かあると困るからやめてくれ」

私はそんなことをカウンターの人に言っていたと思う。

   何か考えていたわけではない。もし、レイシストを刺激をしてしまえば、レイシストにより標的にされてしまうかもしれないと本能的に察知したのだろう。

   当事者になればなるほど差別的な言動の前で様々な感情を飲み込みながら生きている。それは事を荒立てればこちらに差別の刃が向いて来ると考え、とりあえず自分自身の身を守るための行為だ。そんな行為が明日を変えるわけでないことを分かっていながらも「無かったことにする」共犯になっている。

   もしかしたら、私が声を上げなかったのはあの時、レイシストに対して報復の恐怖を感じていたのかもしれない。分かりやすく言えば、いじめられているいじめられっ子が周りにいじめられていることを言えない感情とでも言えば良いだろうか。レイシストに向かって行くカウンターの彼を止めた私の中にはなんとも言えない感情があった。

 ヘイトスピーチのデモが終わった後、行きつけの韓国食材店に行った。街が荒らされていたら嫌だと思ったからだ。不安になりながらも店に向かったが、街と店の様子はいつもと変わらない。店を仕切っているお母さんは居なかったけれども、いつものあの「帰って来たなぁ」という感じがする空間だった。私はそんな様子を見て、安堵したが、いつこの街からたくさんの涙が出るのかと思うとまた複雑な気持ちになる。

 最近、結婚をした友人に会いに行くために結婚祝いとして、その店で柚子茶を買った。こんな寒い時期には身体も心も優しく温まるものが良い。

 柚子茶のような身体も心も温まるような何かは路上にこそ必要なのかもしれない。