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神様を信じている人の日常

   福島で100体以上の地蔵や墓を壊した男が捕まった。私はプロテスタントで宗教が全く違う立場とは言え、この事件には憤りを感じる。どういう動機だかは分からないが、これからの記述で色々なことが分かるようになるだろう。

 こんな酷いが起きてしまうのと同時に、今回の事件に関して、かなり酷い反応があったことも事実だ。逮捕された男が韓国籍だったということで「反日」と結び付けようとして事件を語ろうとしている人たちが居る。彼自身がどういう信条だかは分からないし、判断もできないが、国家や民族という想像物を狂信している人類の姿に、神様はせせら笑っているのかもしれない。

それだけ国境を越える信仰の話を人種主義の話として消費したい人たちがたくさん居るのだろう。そんな現実にこの事件とはまた別の酷さを感じる。

   日本では「日本人は宗教に寛容な民族だ」なんていう話を聴く。

1年の行事を見てみれば、クリスマスはあるし、初詣もあるし、お盆もあるし、赤ん坊が生まれれば神社にお参りに行くし、結婚すれば教会で式を挙げ、亡くなるときには仏教式の葬儀を挙げる。確かに一見見れば「日本人は宗教に寛容だ」なんていう神話が信じられるのも頷ける。だが、本当なのだろうか?

  私が小学5年生だった頃、私は2つの行事に参加できなかった。その行事とはプール開きと日本人形作りの行事で、一見誰にも宗教的な行事とは思えないだろうが、クリスチャンである私にとってはかなり宗教的な行事にだった。プール開きでは形の上ではお酒をまいて、ちょっとした神道の儀式っぽいことををやるし、日本人形を作るになるとそれは偶像崇拝になるしと様々な面で引っかかる。こんなことは学校生活を送る上では常に付きまとった。高校時代にあった宿坊研修は宿坊に泊まって、朝の勤行をする行事だったので、かなり前から私が悪性の風邪を引くことが家族会議で決定した。

   こういうことは事前に牧師さんに相談して決める。私は全てのキリスト教の牧師さんに会ったというわけではないが、うちの牧師さんは即座に学校に行かなくて良いと言ってくれた。お陰で皆勤賞は取れなかったが、正直、信仰の方が大事だから全然、問題は無い。

   私は一度、ズル休みをしたくてズル休みをしているわけじゃないんだから、出席扱いにしてもらえないの?と親に言ったことがある。親は何故か頑なに「それは無理なんだよ」と私に諭していたのを憶えている。大学生になってからその理由が分かった。憲法の授業で同じようなことで宗教上の理由の欠席を出席として認めて欲しいという訴訟があったことを知った。結果として、請求棄却で終わったらしいのだが「日本人は宗教に寛容である」なんて嘘なんじゃないかと改めて感じさせられた判例だった。

   最近、聖書から由来している私の名前を観て「DQNネームですか?」なんて言った人も居た。きっと悪気は無いし、知識の問題もあるのだろうけれど、私は思わず苦笑したのと同時に何か大事なものが否定されたような気がした。

   宗教を信じている人間なんか居ないっていうことが宗教に寛容であるというわけじゃない。無かったことにする理論はここでも働いているのかな。

   仏像を壊されたこと、お墓を壊されたことで怒る気持ちは分かる。でも、その怒りを人の信仰を軽視する今の日本にも向けて欲しい。

   私は仏像や墓を破壊した人も許せないし、こんな私の日常の中にあることも許せない。

信仰には国境なんて関係ないはずだし、誰にも否定するような権利も無い。

   地蔵が壊されていることはプラズマ画面の向こうのことだけれど、私にとってはなんだか他人事のようには思えなかった。