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切実さを世界に解き放つ

 この間、私の女友達に会った。「会おうね。会おうね。」とお互いに言いながら、なかなか会えず、ようやく会えた友人だった。

社会人になるとどうしても時間が確保できずに困ってしまう。

 私の友人の中でもこの女友達はかなり面白い。

ある人の紹介で出会った友人なのだが、いつも私に刺激的な視点を与えてくれる。

実は在日コリアンの歴史についての卒業論文を書いているときに、あるシェアハウスで卒論の中間発表会を開くことになったんだけど、その中間発表会を開くことを私に提案したのは彼女だった。

 久しぶりに友人と会うと、「そんなこともあったねぇ。」「こういうこともやったねぇ。」なんていう話になるけれども、そんなあるある通り、私の卒論の中間発表会の話になった。私は何だか懐かしい気分でその時の話をしたけれども、彼女にはある違和感があったようだ。

それは私がそのような場を用意されて、用意されたまま喋っているのではないか?という違和感だった。

 確かにあの時、私は嬉々として喋っていたと思う。

なかなか語られなかった、私の共同体の歴史である在日コリアンの歴史を話す機会は無いし、そういう場面が与えられるとついついこちらとしても張り切ってしまう。

そんな私の姿に彼女は違和感を持ったということだったのかもしれない。

 「私の共同体を語る」ことはとても難しい作業だ。

特にマイノリティーという立場に立ってしまうと共同体を語るということそのものがひとつの武器として用いられるし、そういった場が増えていくことは確かに必要なことなのだが、そんなことを語るときの私の口の形であるとか、私が経っている場面は一体どんな場面なのかをあまり考えたことが無かった。 

そうやって考えていけばいくほど、私は私の口の形や声の大きさ、そして私自身が経っている点について深く深く考えていかなければいけないと思った。

私がマイノリティーであることを語る空間では一体何が起きているのだろう?

 大学の教室やゼミの議論の場面、もしくは社会的な集まりの場面でマイノリティーであることを言う機会が増えてきた。

昨今のLGBTに関する認知も広まり、またヘイトスピーチに関しての問題も路上で発生しており、そのような社会的な場面で私が何者であるかを言うような場面は増えてくるだろう。

ダイバーシティ」という言葉が最近の社会の中で様々な広がりを見せていく中で、それはとても良いことかもしれない。

今までは私が何者であるかということを言えない人々が圧倒的に多かったし、そのようなマイノリティーへの社会的な差別が言わないことによって見えてこなかったということも事実だ。

しかし、そのような空間が用意されている中では私自身がマイノリティーの代表者として語ってしまう。確かにそのような空間が用意されていることは間違いないことなのだが、私自身がいつの間にか「代表者」としての色を持ってしまい、「エッジ」としての色をどうしても消さなければ対話ができないのではないか?分かってもらえないのではないか?という問題も存在する。

このような話法を用いていると私というあくまでも「点」である存在がいつの間にか「全体」となってしまい、本来、マイノリティーの問題の中で語られなくてはいけないことが語られなくなってしまうのだ。

 翻って、私の共同体である「在日」の歴史や文化を語ることは一体どういう状況だったかということを考えてみよう。

在日コリアンは戦後日本に登場した民族的なマイノリティーだ。1950年代から様々な政治的な状況の中で歴史や文化を語ることに対してはかなり熱心だった。そのお陰で「在日文学」という文学ジャンルの出現や「在日」をテーマにした作品も多い。

そのような「在日」を文学的なジャンルや歴史的な視点、文化的な視点を語る口の中では主に2つの視点で語られる。

 1つは「在日が日本帝国主義の犠牲者である」という語りだ。この語りは主に朝鮮史の研究者や政治活動を行う人々の口から語られてきた。徴用の為に日本にやってきたり、もしくは朝鮮半島南部で貧困にあえいでいた朝鮮人たちが日本に生活のためにやってきて、サンフランシスコ平和条約によって国籍をはく奪され、最終的には日本の差別的な政策によって、何ら支援も受けられないという観方をする。

大島渚が作った傑作テレビドキュメンタリー「忘れられた皇軍」はまさにこの事実を告発した。

私はこの観方そのものは間違ってはいないと思う。実際に大日本帝国というモザイクガラスのような帝国が存在しなければ私は生まれてこなかったし、現に「朝鮮籍」と呼ばれている「国籍」は植民地時代の「朝鮮戸籍」の名残でもあり、このような歴史の残り香は犠牲者としての今の状況を映し出している。

 この語りが行われていたのと同時にもう1つ行われていた語りとは「在日が韓民族もしくは朝鮮民族を象徴する」という語りだ。この語りは当事者、もしくは韓国や北朝鮮の研究者に用いられることが多かった。民族教育を熱心に行い、また民族心を涵養していくことも戦後は求められた。また、在日は韓国や北朝鮮が良く知られる前の段階であった時代においては日韓もしくは日朝の文化交流の最前線でもあった。今ある焼肉は決して韓国や北朝鮮にあるような焼肉とは違うまた別の食べ物になってはいるものの、キムチやその他、食品を伝えたのは間違いなく「在日」が文化的な発信地としてその役割を担っていたことは間違いないだろう。

 また、戦後の在日文学者たちは日本の古い文化の中に「朝鮮的」な文化を発見するということも行っていた。日本の国民作家である司馬遼太郎と在日文学者の第一人者であった金達寿の試みは今でも書店へ行けば読むことができ、この2人の試みによって大きな影響を受けたと語る人々も多い。

 重要な点はこのような2つの語りは決して別々にされた語りではないということだ。この2つは常に共鳴し合い、さらに相互依存の関係でもあった。

かつて日本で行われた北朝鮮への帰還事業を行う際に、北朝鮮国内で行われた宣伝は在日同胞がいかに日本帝国主義の犠牲者であったかということと彼らが民族として誇り高い生き方をしているかということだった。

この語りは当然、正統政府としての地位を争っていた韓国でも同じ語りをしていた。

  この2つの語りはどんな形で生きているのか?

   私がとある芸大の友人と朝鮮大学校まで行った時の話。

歩いて、朝鮮大学校まで行く道すがら、ある在日の人(「同胞」とでも呼べば良いだろうか?)が韓国語で話しをしていた。そのパッチムができていない韓国語を聴いて、私は思わずおかしさを感じた。それは日本席である私が朝鮮籍である彼に対して国籍は違っても、私の方が民族の言葉を語ることができると思ったからだ。

しかも、私は韓国に留学したことがあった。

私は苦笑しながら、「下手だなぁ」と漏らした。

   すると友人はすかさず「何が変なのかは分からないけれど、何で笑うのかも分からない」と言った。

その言葉を聞いてハッとした。

   あくまでも道具でしかないはずの言語が私の中の帰属したいという欲望の中に埋まってしまっていたのだ。

韓国語もしくは朝鮮語を話せることは在日の中でもステータスだ。それは祖国を忘れず民族の言葉を学び続け、歴史についても理解している。かつて深沢夏衣という作家はそんな様子を一級市民、二級市民という形で皮肉って書いたけれど、私もそのような中で生きていて、また二級市民を嗤うような状況に立っていた。

つまり、民族の言葉を喋れない同胞を私は同胞の中でランク付けしていたということになる。言い方を変えれば知らず知らずのうちに純血さを私も求めていたということだ。

このような形でランク付けするのは祖国に居る人々も同じだ。そして、あいつは「パンチョッパリ」であると陰口を言う。

   今でも影響のある2つの語りは確実に社会のランク付けという形で生きていた。それが如何に国家や民族の中に回収され、国家や民族に対して優等生であるのか?という形だった。

   国家や民族はあくまでも「想像の共同体」とされている。近代というシステムの中で構築されたこの共同体は時に力を発揮し、時に共同体の中に居る人々に対して、牙を剥いた。

本来、私たちは私が作るものであるが、いつの間にか私たちが私を作ると錯覚する。

その錯覚によって、さらに私が実際に作られていくからさらに複雑なことになる。

本来は各々の境遇やモノの見方は違うはずなのにメンバーシップを高めるための想像行為がやがて、私を共同体の一員として高めることになる。また共同体の中にあって、いつの間にやらこうあるべきという姿も現れてきてしまう。そのこうあるべきであるという姿を語り、共同体の一員としての私を語るために語ることも少なくはない。

   マイノリティーが何かを語ることはそんな自己の共同体を強化し、私という存在を代表させることになってしまう。そして、そんな存在であることを求める空間もまた存在する。 卒論中間報告会を開いてくれた彼女はここに違和感を感じたのかもしれない。私自身が私自身の共同体によって生み出された何かに飲まれてしまうようなどこか当たり前なのだが不気味な感じ。

無邪気だった私はそんなことにも気づかず、私のエッジを在日の全てとして語っていた。

   私のような語りをしてしまうことによって一体何が起きるのだろう。

   昔、山村政明という男が居た。彼は在日朝鮮人であったが、幼い時に帰化をし、苦学して大学に入った。

彼もアイデンティティの問題で大分、悩んだようだ。今以上に2つの語りが切実さをもって語られ、そうあることが自由であると信じられた時代は彼にとって酷だったのではないかと思う。

彼は大学に入るとすぐに在日問題を探求したいと思い、あるサークルに入ったが入会を断られた。その理由は彼の国籍が問題だったからだ。日本籍であることを理由に、祖国への裏切り者と見做したということだ。

結局、彼は自殺してしまう。貧困の問題や様々な差別が入り組んでいる中で彼は疲れ切ってしまったのだろう。彼の手記はすぐに本になって、様々な人々に影響を与えた。

 そんな彼の死はどのようにして避けられたのか?ということは色々な答えがあるだろう。ただ、切実さを抱えていた彼にそんなことで悩むなよというのは何か酷だと思う。それは私ももうひとりの山村になる可能性のあった人間として、そのようなことは言えない。そのような切実さが現実にある中で、「言うな」ということや「それは思い違いだ」なんていうことをいうことはできない。

ただ、これだけは言えるのではないかと思う。作られた、誰かに見せるためのアイデンティティーなんかよりも自分の切実さをどのようにして世界に解き放つか?ということを考える方が良いのではないかと。

  誰かがマイノリティーの代表として何かを語ろうとするとき、マイノリティーがステレオタイプ化されてしまう。そんなステレオタイプ化されたマイノリティーにとって、ステレオタイプ化されていないマイノリティーはどんな人間なのかさっぱりよく分からない存在だ。ある種においては異端の存在とも思うかもしれない。しかし、それは異端の姿ではなく、むしろ、マイノリティーと言っても多世界的に存在するという実はごく当たり前のことを無視しているだけにしか過ぎないのだ。

 マイノリティーという立場は常に不安定であり、切実さを持っている。私のようなエスニック・マイノリティーだけではなく、セクシャル・マイノリティーや女性、部落の人々や自ら学びの道を選んだのにも関わらず、「不登校」というレッテルを貼られている人々、様々なマイノリティーが何らかの切実さを持っている。そして、世界のどこかでマイノリティーとして生きている人々は全てがそんな不安定さの中で自分が何者なのかを探し、私が人間でないことを実感させられながら生きている。

 そんな中だからこそ、マイノリティー内部の強化ではなく、あらゆるマイノリティーの人々が持っている切実さを寄せ集めて、人が本来、持っている「普遍的な何か」として語っていきたい。それはマイノリティーであるということをチケットに世界と繋がり、共に考え、言葉を交わすということである。

 当然、こんな切実さはマイノリティーだけが持っているものではない。どのような人間でも切実さは持っている。そして、切実さがあればあるほど声を出す人間が少なくなってきてしまう。それは声を出しても何かに繋がらないと思ってしまうのかもしれない。だが、それは何かに別の世界に繋がるものだと思う。

  そんな切実さを私は「希望」と呼ぼう。

 当事者としての語りを自己の共同体を強化するものではなく、むしろ、その語りを「普遍的なもの」として落とし込むこと、それはただでさえ不安定であるマイノリティーという立場にはとても辛いことかもしれないが、そんな不安定であるという切実さから生み出される疑いの目があることはある種の語るための原動力であり、世界と繋がることがチャンスになっていく。

 私の語りの中に共同体を代表したくなる欲望があることは事実だ。しかし、その欲望を客観視することによって、私にとって新しい世界が開け、本当の意味で平等な世界になるのであればそれはとても幸せなことだ。共同体を代表する欲望から違う問題に直面している人々を想像する知性を持つこと、そして、違う問題に直面していく人々と繋がり、対話をして共に歩んでいく力。

今まで言葉がないとされてきたかが故に、私の中の切実さからそんな新しい言葉を手にしたい。

 私の語りは多世界の中にあるただひとつの中の語りにしか過ぎない。

一つの人格の中には様々な面が存在する。

不安定で波のような私、それも日本国籍取得者、韓民族、クリスチャン、男性、様々な私が安定を持っていたり、不安定さを抱えたり、様々な中で生きている。

マイノリティーである面はほんの一部でしかない。そうであるが故にそんな面に目を向けなくなることもある。

でも、私の負の面としている面は世界に繋がる可能性を有している。

   マイノリティーとマジョリティーは固定化されたものではない。複雑で多色な私は時に誰かを抑圧したり、抑圧されたりするかもしれない。入れ替わり立ち替わりしていく状況を時に面倒臭いとしてしまうのもまた私を固定化することになるだろう。固定化されない多色な世界に敢えて生きるということだ。

だからこそ、世界という大きな海の中で、言葉という波を発生させることによって、どこからか反響するのを待っている。そんな波が様々、反響し合えば、やがては大きな波になっていく。そんな波が新しい世界を作ってきた。

 思えば、私が好きでたまらない人たちはそんな人たちだ。切実さを切符にして様々な言葉を紡いできた。そんな人たちの言葉で私は生きている。

小さな波かもしれないがこうやって私のエッジから観ている風景を少しずつ少しずつ書いていきたいと思う。そして、これを読んでいる切実さを持った人たちと私は繋がり、共に考えたい。

 言葉だけは時空を超える。そんな時空を超える言葉にこそ私の希望を詰めていきたいのだ。