去年の今ごろだっただろうか。
私のTwitterアカウントにある人からダイレクトメールが届いた。読んでみると送り主は埼玉にある小さな出版社の編集者で、ブログに書いた文章をその人が出しているコミュニティー雑誌に掲載したいので会いたいとあった。
私はとても嬉しく思って、自転車で片道20キロもある彼女が店主をしていた蕨のブックカフェに向かった。
彼女とはじめて会ったとき「本当に25歳なんですね。良かったー。」と言われた。Twitterですっかり年齢詐称キャラが定着してしまったと思って苦笑した。
私は彼女に私の来歴を含めて、このブログにまつわる様々な話をした。彼女は私の話をじっくりと聞くと「長い間、在日の本を出したかったんです。もしよければうちで本を出しませんか?」と言い出した。
私は「是非ともよろしくお願いします。」と答えたと思う。
その日から私と彼女の冒険が始まった。
私は毎日、自転車で編集者のいるブックカフェに通った。編集者と頭を突き合わせて、ブログをひとつの作品にするためだ。彼女は私の文章に容赦なく、ダメ出しをした。ゲラはみるみるうちに、真っ赤になっていく。
第1稿、第2稿とこれでもかというぐらい文章をともに研いでいった。ときには深夜3時ぐらいまで作業していたこともあった。そんなとき、私は近くの銭湯に行き、編集者の家に泊まらせてもらった。
こんな日々が1ヶ月ほど続いただろうか。
ここまで出来た理由は彼女の情熱だったと思う。彼女のまた私と同様、文章という形でヘイトスピーチに対抗できる方法はないのか模索していたのだろう。在日と長い付き合いがあった彼女は私以上に在日のことをよく知っていたし、文章のことも私に教えてくれた。だが、不思議と私に対して威圧感はない。下手をすれば親子ぐらい年齢が違うのにもかかわらず、どこぞの馬の骨だか分からない私を対等な立場として作品を作るパートナーとして完成までともに走り続けた。
今でも彼女には私のブログを厳しく批評してもらう。それが何よりも嬉しい。あのとき、2人で本を作った日々はまだまだ続いているし、また彼女と一緒に本を作りたいと思っているからだ。
そんなときのことを思い出しながら、私は新潮45のあの記事を読んでいた。
本を作っている人間であれば、あの記事を読んで思わないことはないはずだ。
私たちはなんのために本を作っているのだろう。
それは読者というまだ会ったことのない私の友人たちとともにさまざまなことを分かち合うためだ。
「手に取っているアイツには金がないかもしれない。」
と思って、粋がった25歳の兄ちゃんの文章をいくらで買ってくれるのかということにビビりながら、値段の相談をした。
「会ったことのないアイツが少しでも読みやすいように。」
と祈って、読みやすいフォントにしてもらった。
「本はアイツの一生を左右するかもしれない。」
と考えて、編集者とゲラに向かい、文章を研ぎ澄ましていた。
これが書く人間のプライドだ。
こんなへっぽこで生意気な新人ライターでも分かってる。
そんな私の本だが恥ずかしいことに売れているとは言い難い。正直、生活だって苦しい。「理念だけじゃ、メシは食えない。」という現実を噛み締めながら、それでも業界の片隅で生きている。「こうした生き方も長くはないかもしれない」と、ときに思いながら、それでも本を作ることが大好きだ。
きっとそれは私自身が本によって、助けられた読者であるからだろう。悩んだときには本を開いたし、言葉が見つからないときには本で言葉を探した。そういう気持ちで読んだ坂口安吾の『堕落論』も、中上健次の『日輪の翼』も、フォークナーの『サンクチュアリ』もすべて新潮社から出された本だった。
新潮社という大手の出版社のなかにも「本作りの職人」としてプライドを持った人たちが何人も居るだろう。私は抗議のためのデモへ出ることはない。「文でやられたら文で返す。」のが信条だし、私よりもキャリアを積み重ねている本作りの先輩たちが持つ矜持を信じたい。
だからこうして書いている。
親愛なる新潮社の本作りの先輩たちへ
本を作っているとき、Yondaのトートバッグにゲラを入れていました。
図書館で本を借りるとき、可愛いパンダのトートバッグに本を入れています。
これから本を買うとき、古くなった新潮社のトートバッグを使うでしょう。
あのパンダをこれ以上、泣かせないでください。