私はともに生きていきたい

 実はしばらくSNSから離れていた。悪いニュースしか流れてこないし、頭の中が爆発しそうになったから精神的な休養が欲しくなったのだ。言葉が濁流のように流れているSNSの世界から離れ、好きな本を読んだり、音楽を聴いたりしながら小川のせせらぎのような言葉の世界を楽しんでいた。
 だが、SNSはどうしても私を離してくれない。何かの連絡をするときにはSNSを使ってしまう。ついでに何かを書いてしまう。そこでたまたまある記事が目に飛び込んできた。それは琉球新報の塚崎昇平記者の記事だった。琉球新報では毎週日曜日に記者のコラムを発表しているらしく、そこには塚崎記者自身がかつて「ネトウヨ」だったこと、そして、辺野古や高江の現場を訪ね、そこから戦後史を学び、琉球新報の記者になったことが書いてあった。
 「いじめをカミングアウトする。」

これを読んでどのように感じるだろうか。普通、「いじめをカミングアウトする。」と言われると「いじめられたことをカミングアウトする。」と感じるかもしれない。事実、自分がいじめられたことを告白する有名人は多い。だけれども、自分が誰かをいじめた経験をカミングアウトすることはあるだろうか。私が知らないだけかもしれないがそういった話は余り聞かない。

その昔、サッカーの前園真聖選手が「いじめ、カッコ悪い。」というCMに出ていた。いじめることはカッコ悪いし、そのカッコ悪さはいじめる側もどこかで分かっているのだと思う。だからこそ、誰かをいじめた経験を話さない。

 この記事が出てから色々な反応があったようだ。その告白に感動するコメントもあったし、対話の意味を見出す人も居た。その一方、こうした告白を許せないと素直に言葉にする人たちも居た。どちらの気持ちもよく分かる。私みたいに何らかの形で実名が出ている在日の当事者たちはびっくりするぐらいのヘイト発言に襲われる。かつて、私がBuzzfeedで取材を受けた記事がYahoo!ニュースに出たとき、6000件ぐらいのコメントがあって、そのほとんどがヘイトコメントだった。

 彼に対して「許せない」と言うのも当たり前の話だ。でも、そうした人たちと生きていかなければいけない現実もある。差別されている側のジレンマとでも言えば良いだろうか。そんなとき、私はある映画を思い出した。

 私はクストリッツァの『アンダーグラウンド』という映画が好きだ。ユーゴスラビアの歴史を描いた映画で、最後、主人公のクロは友人で自分を裏切ったマルコに「許そう。でも、忘れない。」と言う。

 彼のことを許せない人たちが多いかもしれない。でも、私は彼と一緒に生きていきたいと思った。差別する側であったとしても、こうやってともに生きていくことができる。もし、彼に求めるとすれば、今後このようなことが起きないようにともに協力してほしいと願うことだろうか。未来を作る責任を私はともに分かち合っていきたい。
 あの記事を読みながらあらゆる人たちの顔が浮かんだ。そのどれもが本当の表情だと思う。良いかどうかは私には言えない。だけれども、私は「ネトウヨだった」と自認する人と未来を作っていきたい。

 実名で書くことは怖かったと思う。こうした記事が叩かれることは当たり前だし、そうしたことを覚悟して書くことは容易ではない。私にだって経験がある。

だから、この記事を匿名で書きたくない。

ちゃんと名前をお互いに出して、お互いに語っていくことが大切だ。そうした出会いがまた何かを変えると思う。

私の名前は金村詩恩です。

「美しい国」へ

 私が通っている図書館の下の階には最新のニュースを伝える電光掲示板のついた自販機がある。今日、その前を通りかかったところ、老人2人が自販機の前でこんな会話をしていた。

 

 「書類を書き換えちゃうのはいくら何でもマズいよね。」

 「うん。まさかこんなことをするなんてね。」

 

 今、森友学園との土地取引に関する財務省の決裁文書が改竄されていたと問題になっている。これらは財務省理財局の指示で行われていたとされているが、森友学園と安倍政権との蜜月関係から財務省の意思のみで行ったとは考えにくい。

 今回、書き換えを行った箇所は政権中枢や与党に近い政治家たちの名前など数十か所に及んだ。この中で極めつけは昭恵夫人から「いい土地ですから前に進めてください」というお言葉をいただいたとの学園側の発言が削除されていたことだ。一体、誰がそんな指示を出したのかは容易に想像がつく。
この国はこんな国だったのかのだろうか。

 私の家には教会の関係で韓国本土の人たちがよく遊びに来ていた。彼らはよく「日本は民主的で良い国ですね。それに引き換え韓国は・・・・・。」なんて言っていた。その言葉の意味が分からなかったが、韓国の現代史を勉強していくうちに政権に近い人たちだけが利益を得ることが韓国では日常茶飯事だったことを知った。もしかしたら、私の両親がいち早く日本に帰化する手続きを取ったのはこんな話を聴いていたからかもしれない。今では全く立場が逆転してしまったがそんな時代があったのだ。

 私が帰化してからしばらくして、日本では「改革」という言葉が流行り始めた。

 

「日本は海外と同じように規制緩和をし、無駄を無くさなければいけない。」

「日本では官僚が政治家以上に力を持っているので、改革してその関係を改めなくてはいけない。」

 

そんな言葉を国民は支持し、政治家たちも競って、「改革」を語り、それを実行していった。そんな中で安倍首相が現れた。拉致問題における姿勢で脚光を浴びた彼は熱狂的な支持の下で「改革」を推し進めた政権で重要ポストを担い、首相にまで上り詰めた。彼が第一次政権を率いる前、『美しい国へ』という本を出版した。実は私も持っていたのだが、内容は如何に日本の歴史や伝統は素晴らしくそれを引き継がなければいけないかと語っているものだった。

 安倍首相が「伝統」を重んじていることが良く分かる。かつて栄光ある大日本帝国では政府要人に近い政商たちに格安で国有地を売っていたし、アメリカとの戦争のときには「敗北」を「転進」と言い換えて、何も知らない国民に伝えていた。彼のやっていることもまさに同じことだ。思想的に近い「友人」に格安で国有地を売りさばき、内閣官房長官には国民向けに「改竄」したことを「書き換えた」と言い換えた。

 彼の言っていた「美しい国」とはこういうことだったのだ。

私は安倍首相にこんなエールを送りたい。

「日本の伝統を引き継いだ安倍首相頑張れ!

安倍首相頑張れ!

自分か自分の妻がこの事件に関与していたら国会議員も辞めるという国会答弁良かったです!」

きっと昭恵夫人も「いいね!」をしてくれるだろう。

 安倍首相があれだけ言っていた明治150年に日本の憲政が崩壊していることが分かるなんて夢にも思わなかった。どこかのRPGゲームよりももしかしたら現実の方がゲームらしいかもしれない。この手のゲームをしているといつも「ここだ!」というところでセーブすることができない。私の友人の中に強引な方法でセーブデータを書き換える奴が居たが、そういう手を使う奴のセーブデータは壊れてしまう。

 ゲームの中ですら強引な「書き換え」は許されないのだ。  

人はそれを「歴史」と呼ぶんだぜ

 私はちょうど「ゆとり世代」と呼ばれる世代だ。小学5年生のときに、当時の担任が「今年からゆとり教育が実施されます。」とか言っていた。テレビを観ていると「ゆとり教育で教科書が薄くなりました。」とか「円周率が3.14ではなく、3として教えることになりました。」とかそんなことばかり言われていた憶えがある。

そのおかげか、先の世代の人たちからはまともな教育を受けていない礼儀知らずな奴らということで「ゆとり世代」なんていうレッテルを貼られてしまった。こんな教育にしたのは誰なんだ?という責任論はどこかへいったままだ。

 そんなTHEゆとり世代の私も社会人になった。そうなると教科書からは縁遠くなる。さらに私が大学生だったころに「脱ゆとり教育」と言って、教育指導要領も変えられた。さぞ、良い教育を受けているのだろうと思っていたが、あるツイートを見て、その意見が変わった。

 どうやら横浜市で採用されている公民の教科書にはこんなことが書いてあるようだ。

『人は1つの国家にきっちりと帰属していないと「人間」にもならないし、他国を理解することもできないんです。』

 なんじゃこりゃ!さすがにゆとり教育でもこんなことは教わらなかったぞ!なんて思いながら、私はまた小学生の頃を思い返してみた。

 小学生だった頃、私は『人間の歴史』という学習漫画にハマっていた。タイトルの通り、人類の歴史を学習漫画にしたもので、特に私が好きになったのは、人間が様々な場所に散らばっていく進化の過程だった。太古の人類がそんな旅をしていることにロマンを感じていた。

 これはある人から聞いた話だが、どうやら人間は旅をしながら脳を発達させていったらしい。また、人間の歴史という尺で見ると定住している歴史よりも、移動している歴史の方が長いそうだ。

 私は済州島出身者の孫にあたるのだが、親類からこんな話を教えてもらったことがある。実は父方の祖父の家系は元々、済州島出身ではなくて、祖父から8代前の先祖が忠清南道からやってきたらしい。また、済州島には高麗時代にモンゴルから人がやってきて、その子孫たちも住んでいるという。つまり、あの小さな島は「移民」でできている。もちろん、島から出て行く人もたくさん居る。

   「移民」で作られた島の歴史からしたら私は当たり前な存在なのだ。

 それを考えてみると人間の歴史とは誰かが移動した跡を辿る作業なのかもしれない。その跡は決して、国境線のように真っ直ぐな線ではなくて、ギザギザだったり、途中で跡が消えていたりすることもある。そんな跡こそまさに人間らしい。私は国境線という直線よりもそんな線を愛でていたいのだ。

 実はあまり好きになれない言葉がある。それは「移民」という言葉だ。なぜなら、「移民」している方が当たり前なのだから。そして、この私もまたどこかへ旅をして、何かしらの跡をつける。それが生きた証になると思う。

 もし、この教科書の言葉を真に受けた子どもが「人は1つの国家に帰属するのが当たり前だ。」と言ってきたらどうしよう。多分、私は「それが本当だったら、私たちはアフリカに居るんじゃないの?」と言うだろう。ただ、2つだけ誓っていることがある。それはそんなことを言った子どもに「○○世代だから」なんて言わないこととそういう教育を受けさせたのは自分たちであることを自覚すること。自分が言われて嫌だったことをしないのが人としてのマナーだということを「ゆとり世代」だからこそ知っている。

こんな形の「和解」なんて

 3日前の朝は嫌なニュースで目が覚めた。朝鮮総連の本部が銃撃されたそうだ。

犯人のうちの1人はヘイトデモに常連で参加していた男だった。
 実はその数日前に民団本部前でヘイトデモがあった。
この1週間に在日と関係の深い場所が襲われたことはショックだった。
 在日の社会には民団と総連という大きな2つのグループが存在する。
ざっくり言ってしまうと、民団は在日韓国人側のグループで、総連は在日朝鮮人側のグループだ。もちろん、この2つのグループとは縁遠い在日や私みたいにどっちかのグループから抜けてしまったような在日も居るが、基本的にこの2つのグループに分かれていると思って欲しい。
 民団の方は韓国を支持していたし、総連の方は北朝鮮を支持していた。本国が対立を深めていくようにこの2つのグループは70年近くずっと対立していた。
それは普通の在日の生活にも現れてくる。その昔、チャンジャ1つを買いに行くにしても、こっちが民団系のお店だからこっちのお店に行くとか、あっちが総連系のお店だからあっちのお店に行くとか、そんな光景があった。

 さらにこの2つのグループは自分たちの呼び名をめぐっても対立している。
これもまた昔のこと、在日が多い地域のとある公立学校で教師が「在日朝鮮人の皆さん」と授業中に話した。すると、これを聞いた韓国籍の親が抗議して、教師たちは「在日韓国人の皆さん」と言うことにしたが、次は朝鮮籍の親がこれを聞いて、抗議した。結局、今よく使われている「在日韓国・朝鮮人」に落ち着いたそうだ。

 私の家は韓国籍の家だった。遠い親戚たちが朝鮮籍だそうだが、私の周りには朝鮮籍が居なかった。今では日本籍になっているが、実は朝鮮籍の人に会ったことがなかったのだ。私が初めて朝鮮籍の人に会ったのは、共通の友人を介して出会った朝鮮大学校に通っている女の子。彼女と話をしていると同じ在日なのに全く考え方が違うことに驚いた。(元)韓国籍だった私は「韓国」と言うが、彼女は「南朝鮮」と言っていたし、私が「北朝鮮」と言うと、彼女は「共和国」と言っていた。なんだか彼女からその言葉を聞くたびに違和感を感じている私が居た。
 そして、もっと違和感を感じたのは日本籍だけれども在日コリアンだという私に対して、なんだかよそよそしい感じがしたことだった。上手くは言えないけれども、彼女の中の「同胞」だとは認めてくれていないような壁があったように感じた。

 じゃあ、私はと言えば、純粋培養の韓国籍として育ったので、朝鮮籍の人たちに対しては壁を作っているところがある。どっかで「ああ、思想が違うからね。」とか「総連の人たちだからね。」とかそんなことを思っているのだ。

 今から考えてみれば、彼女にとって私は日本に帰化した「日本人」でしかなかったのかもしれないし、私の「ああ、思想が違うからね。」みたいなところが出ていたのかもしれない。

お互いに違和感を感じたまま友達付き合いをしていたのだろう。

今でもSNSでは繋がっているが、私はどっかで38度線という溝を感じている。

 日本の中にも「分断」の現実はあるのだ。

 総連本部の銃撃事件で最も驚いたことは「気持ちは分かるが」というコメントがあったことだ。民団側に居た人間だし、総連をどう思っているかと聞かれれば、はっきり言って良い印象はないし、むしろ、悪い印象しかないのだけれども、だからと言って、銃撃する気持ちは全く分からない。むしろ、次は私自身なのではないかということしか思えない。たとえ、日本の中の分断の現実があったとしても、こうした脅威の現実は全く変わらない。

 こんな現実の中で民団と総連の「和解」を唱える人たちも出てくるだろう。私もその「和解」には賛成だ。しかし、分断の現実を見てみれば、簡単に「和解」することができないことも分かっている。70年も対立し合っていれば、「遺恨」なんていうレベルじゃないものがたくさん積み重なっている。それを少しずつ少しずつ解決していかなければいけない。
 もう、格好つけないで正直言ってしまおう、ヘイトが原因で「和解」なんて言うってなんか嫌だ。
もっと別の形で出会って、もっと別の形で和解することはできなかったのだろうか。

「私は誰なんだろう」と思う島

 今日は2月22日で、どうやら猫の日らしい。2月22日が猫の鳴き声である「ニャンニャンニャン」と読めることから、猫の日制定委員会が決めたとのことだ。
 そして、この日は竹島の日でもある。1905年2月22日に島根県知事が竹島の所属所管を明らかにする告示を行ったことが由来となっている。この日を制定した2005年には韓国で激しい抗議運動が起こった。長年、この島の帰属をめぐり、日本と韓国の両国は激しく争っている。
 「ニャンニャン」の日だけに日本と韓国はめだかの兄妹みたく仲良くならないのだろうか。思い切って欽ちゃんにドーンと相談してみれば良い。こないだ、妹も来たみたいだしね。
 ちょうど、私が大学生だったころ、竹島李明博大統領(当時)が上陸して、日本国内で物議をかもしたことを憶えている。私のゼミの指導教授がこの出来事をかなり問題視していて、授業でも話をしていた。韓国の友人たちとも、この話をたまにするのだが、「あの島を爆破しよう。」で結論がつく。日韓国交正常化を交渉していたときも同じ話が出たらしい。50年前くらいに偉い人たちが考えていたことと何ら変わらないところに落ち着くというのはなんだか面白い話だ。
  竹島という島はなかなか変わった島だ。まず、日本名と韓国名があって、どっちのものかで議論した挙句、場合によっては裏切り者扱いされる。一度、この島に訊ねてみたいものだ。

 「君って、自分をどっちの島だと思っているの?」

あれっ?これってどっかで見たことある光景だ。とりあえず、書いていて1つ分かったことは私と竹島は「同胞」かもしれないということだ。もし、「帰化申請をしたい。」と言い出したら、私はいつでも相談に乗りたい。
 私なんて竹島をこんな風にしか考えていないが、真面目に「竹島奪還」を主張する人たちも居る。もし、あの島を日本領だとしたいならば、あんパンと牛乳を持って、島に住むアザラシたちに差し出してみると良いだろう。多分、「あうあう」って言うから。「けいじ!」って鳴けば最高だ。これで竹島に住むアザラシたちが日本人であることの証明になる。
 えっ?竹島にアザラシは居ないだって?気にするな。ウン十年前に、本当かどうか分からないことをどっかの雑誌に載せて、1人の芸能人の社会的生命ばかりか、その周りに居た人たちの人生も台無しにした事件があっても似たようなことばかりをやってんだから。きっと、大スクープになると思うよ。この手の記事で儲けたい人たちはたくさん居るだろうしね。
 李明博大統領が竹島に上陸した2年後に、私は釜山に留学した。留学生活の中でとても印象的な出来事があった。短期の語学研修でやってきた日本人の女の子を海に連れていったとき、ジェットスキーで遊んでいる現地の人たちと出会った。その人たちはとても親切で、なんだかよく分からない日本人である私たちにキンキンに冷えたビールとスイカをご馳走してくれた。その中の1人のおじさんがこんなことを言って、私にビールとスイカを手渡した。
 「独島はどこのものだと思う?」
今から思い返してみれば、これはおじさんなりのちょっとしたブラックジョークだったのだろう。その質問をされた時の私はビールと同じくらい背筋が凍っていたけどね(笑)
 私は一部の人たちが泣いて喜ぶぐらいの愛国者なので、すぐに「韓国!」と答え、美味しいビールとスイカを味わった。
帰り際、もう1度、そのおじさんが「独島はどこのものだ?」と私に訊ねてきた。
 私は大声でこのように答えた。

 「アメリカ!」

ホルモンは放るもんではない

 先日、ネットサーフィンをしていたところ、ホルモンを焼いたことが原因で火事なった店があったことを知った。どうやら客が大量のホルモンを焼いてしまったことによって、炎が油のついたダクトに燃え移ってしまったらしい。
 ホルモンっていうのは迂闊なことをTwitterで言って、炎上してしまうぐらいに燃えるものなのだが、このことを知らない人が居たようだ。
 ホルモンの焼き方を学ぶというのは成人の通過儀礼であると、どっかの文化人類学の教科書に書いてあった(はず・・・・・。)。
あのブルーハーツだって、歌っている。

 

誰かが網を変えてた気がする
そんなことはもうどうでも良いのだ
ホルモンは熱い金網の上
アイスクリームみたいに溶けてった


確か曲名は『1001gのホルモン』というのだが、私の記憶では宮崎あおいがCMで歌っていた。モランボンのCMソングよりもイカしていたと思う。(肉なのに。)
あの映画界の巨匠、深作欣二もこの歌が好きだとどっかで聴いたことがある。
「それって、『1001のバイオリン』のこと?」と思った貴方。
ネットにこそ真実があるのです!(絶叫)
 さて、この世の中には良いホルモンと悪いホルモンがある。
「焼いて食べるのがレバーだ!店員が出す前に『生でも食べられるレバーです。』というレバーは良いレバーだ!」というハートマン軍曹の言葉はソクラテスが真理としている。
あれ、プラトンだったっけ?
「ソッソソクラテスか、プラトンか~♪」って野坂昭如が歌ってたから、多分、どっちかが言っていたことに間違いない。
 ちなみに悪いホルモンを出されるとこんな感じになる。

 

智恵子は埼玉にホルモンがないといふ。
ほんとのホルモンが食べたいといふ。
私は驚いてホルモンを見る。
皿の上にあるのは、
切っても切れない
むかしなじみのきれいなホルモンだ。
まっしろなテッチャンの輝きは
市場直送の新鮮さのあかしだ。
智恵子は遠くを見ながら言ふ。
東上野の東京苑に
毎日出ているホルモンが
智恵子の本当のホルモンだといふ。
あどけないホルモンの話である。

 

 以前、某所でミノを食べた。
全く噛み切れないのだ。
そういうミノに出会うと不思議なもので、何故か、頭の中で愛国歌が流れ、「祖国のために、民族のためにこのミノを許してはいけない!」とアジテーションしながらデモ行進をしている私が見える。
どっかの偉い人が言った「スリーパーセル」ってこういうことか。だったら、最初から焼肉にうるさい人たちで良いじゃないか!
 以前からホルモンの語源は「放るもん」であると言われていた。私もこの説を信じていたが、どうやらそうじゃないらしい。食肉加工工場に勤めているおじさんに話を聴いてみたところ、「内臓の部分は石鹸になるから捨てるはずがない。」と言っていた。ちなみに大正時代に流行した滋養強壮の効能がある料理を「ホルモン料理」と言っていたらしく、それが語源なのではないかとも言われている。
 じゃあ、夜中、食肉工場の敷地の中で埋められた内臓肉を掘り出して、それを洗って食べたというエピソードは何だったのか。謎は深まるばかりだ。
 そこで私はホルモンの謎を調べるために韓国中央会館の中にある在日韓人歴史資料館に行ってきた。ところが日曜日は休みだったらしく、残念ながらそのまま帰ることにした。
中央会館の近辺はいつも静かなのだが、今日はなんだか騒がしかった。どうやらヘイトデモが中央会館前で行われていたようで、「不法侵入者!」「韓国に帰れ!」という声が空に響き渡っていた。
 あの土地を買い、建物を建てるためにどれだけの人がホルモンを売り、金網を洗ったのだろうか。時には理不尽なこともあっただろう。だが、そんな時にもあのホルモンの味と温かさが何とか支えてくれた。
ホルモンは放るもんではない。
こうやって生きている私たちも放るもんではない。

「誰がスパイなんだ」と馬鹿が言う

  父と母が若い頃の話だ。

初めて、父が結婚前、初めて祖母に挨拶をした帰り、深刻な顔をしてこんなことを言ったらしい。

「お前の母さん、韓国のスパイじゃないだろうな。」

   祖母はあの時代、大学を卒業したインテリで、韓国で学校の先生をしていた。

母を育てるために日本にやってきたのだが、父からしたらスパイだとしか思えなかったらしい。

母は父の言葉を聴いて、「この人、馬鹿なんじゃないか。」と思ったそうだ。

   もちろん、父の言っていることはただの思い違いだ。全く根拠がない。

   一方、祖母は祖母で父の済州島出身者という経歴を気にしていた。

以前も書いたが、済州島は韓国に反乱を起こした島だと考えられていたからだ。

もしかしたら、祖母は私が済州島出身者になってしまうことも心配していたかもしれない。

   何せ、北朝鮮のスパイだと思われてしまうかもしれないから。

   これがスパイを日常の中で感じる瞬間だ。

私は日本で生まれ、日本で育ってきたけれど、韓国や北朝鮮のスパイ合戦に見事、巻き込まれていた。

   38度線が無くても、私は見えない『スパイ』と身近に生活していた。だけれども、日本人からスパイ呼ばわりされることは無かった。

   とある人と飲んでいたときのこと、丁度、お互いに戦争の話になった。

私にとって、こんな機会はとても嬉しい。何せ、戦争と言えば朝鮮戦争の話なので、日本人の戦争の話を聴けるなんていうことは滅多にない。

しかも、何より嬉しいのはその人の曾祖母から聴いた話をしてくれていた。

どうやら、100歳以上になって、亡くなる前だからと言って、色々と聴き出したらしい。

その中で、その人は彼女にこんなことを尋ねた。

「何で戦争しちゃいけないの?」

   そうすると彼女はこう答えたそうだ。

「戦争は馬鹿がのさばるからやっちゃいけないよ。」

どうやら戦争中、特高がスパイを探すためにガサ入れされた経験を持っていたらしい。

ガサ入れとは言っても、結局は食料欲しさのタカリだったようだが、そんなことでスパイ呼ばわりされてしまってはたまったもんじゃない。

   誰かをスパイ呼ばわりするって、つまりはそんな奴らと全く変わらないことなのだ。

   ある日のこと、テレビを観ていたら、ある特定の地域を指して、在日をスパイ呼ばわりする女性学者が居るじゃないか。もちろん、直接、そうだと断言する発言ではなかったが、あからさまにそれを示唆しているように思えた。

どういう了見で語っているのだろう。

テレビを観ながら、ああ、この国でも馬鹿がのさばる国になったのかと思ってしまった。

それは同時に戦争に向かっているということなのかもしれない。

   この女性学者さんはかつて、ルワンダで何が起きたかを知っているだろうか。

浅学な私の知る限り、どっかのラジオ局が民族でけしかけたことがきっかけだったはずだ。

国際政治学者である彼女がこれを知らないって言ったら、それは勉強不足と言われてもしょうがない。

公共の電波はそれだけ影響力のあるものであるはずだ。

しかし、それにもかかわらず、とうとう、あんな発言が出てしまった。

   この発言をきっかけにまた一つ、私は生きづらくなったけど、彼女はどう思っているのだろう。

私が一番心配していることは、何の関係もない在日が妙な国家関係の争いに巻き込まれることだ。場合によってはどちらの国からも抑圧された立場であることもある。

複雑な立場であることも分からないのに、ああいう言い方をされたらたまったもんじゃない。

   今日は一日、こんなことを考えていた。

私の祖母とこないだ飲んだ人の曾祖母が会ったらどんな話をするだろうと。

 その時に祖母が私の出自を心配した理由を言うだろうか。

そして、飲んだ人の曾祖母は戦争の怖さをどう語るのか。

ただ、これだけは想像がついた。

私がもし、彼女たちに何で戦争はダメなのかという質問をされたら、声を合わせてこう答えるに違いない。

「スパイを探す馬鹿がのさばるからね。」